2018.3.28(水)
結局、彼は、忠誠を尽くした筈の「組織」から責任を一身に押し付けられ、石もて追われた立場であることさえ認識できないまま、退職金と引き換えに(いや、それすら訴追されれば支給停止になるかも知れない)、公僕の矜持を捨て去り、良心を売り渡し、国民的英雄になり損ね、そして静かに暮らす筈だった余生を、絶えず後ろ指さされる身に自らを落とし込めたという事実だけが残ったということ。
「訴追の恐れがある」というのは、自らが自らを「容疑者」と定義付けたことを自認、自白したことに他ならない。
我が里会津の「什(じゅう)の掟」では、「ならぬことはなりませぬ」が人生最大の根本原理であることぐらい、同県人として知らぬ筈もあるまいに。
哀れであり、同情などしない。