2016.7.15(金)
福島民友新聞が最近なんだか変です。
原発事故に関して、特定の人物の行動・言動を再三、過度、好意的に採り上げたり、光の部分をことさらに強調し、陰の部分を無視または捨象したり、批判したりするのが通例になってきています。
まるで福島には、もう何も問題が無いと、万々歳の雄叫びを上げているかのようです。でも、光も影も、どちらも現実ではないですか。
これでいいのですか? 一部の幹部の思い込みで記事を書き若しくは編集し、有力な地域紙の一つとして120年を迎えようとするその輝かしい歴史に泥を塗っていませんか?
1948年からY社との提携関係を結んでいますが、どうも最近特にY社の顔色をうかがうような記事が多いと感じるのは私だけでしょうか?
競争紙の福島民報も発表報道が多いですが、それに比べても最近の書きぶりの偏りが非常に気になります。
民友紙の実質的な創刊の祖で、自由民権運動の先駆的指導者にして全国初の福島県議会(県会)の議長、衆議院議長であった河野広中翁も、さぞ泉下で嘆いているのではないでしょうか。