• yanxia2008

【原発事故を米軍“準機関紙”はどう伝えたか】

2014.5.26(月)

 原発事故を「有事」と捉えるStarrs and Stripes紙と、「平時」での深刻な事態と捉える日本のマスメディアとを比較して分析した有意義な論文だと思います。  シェアさせていただきます。

http://ci.nii.ac.jp/els/110009575989.pdf?id=ART0010027284&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=&lang_sw=&no=1493904995&cp=

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The Open University of Japan

【特集】

原発事故を米軍“準機関紙”はどう伝えたか

Stars and Stripes 紙の報道内容分析から

How did the “Stars and Stripes” newspaper report

about nuclear complex accident?

放送大学情報化社会研究会

震災報道検証プロジェクト

Association for Information Society and Media Studies

Earthquake disaster coverage verification project

キーワード: 東日本大震災; メルトダウン; ヨウ素剤; 星条旗新聞; 自主避難

Received: 2013.3.4

1. 問題の所在

 2011 年 3 月 11 日午後 2 時 46 分、マグニチュード 9.0 の巨大地震が東日本を襲った。地 震によって緊急停止し、混乱に陥った東京電力福島第 1 原子力発電所は、高さ 15m1)を超 える津波に襲われ、全電源を喪失して原子炉を冷却できなくなり、複数の原子炉で炉心溶 融(以下、メルトダウン)が起こった。その後に起きた水素爆発により原子炉建屋は吹き 飛び、大量の放射性物質が飛散、漏洩して、周辺一帯の住民は長期の避難を強いられてい る。震災による原発事故は、今日にいたるもなお、きわめて深刻な被害をもたらしている。

 今回の原発事故は、原子力発電に多くを依存してきた国のエネルギー政策や、災害時の 対応のあり方などの問題を浮き彫りにした。それと同時に、新聞や放送をはじめとする既 存のマスメディアの報道のあり方を厳しく問うことにもなった。

 原発事故の報道をめぐっては、情報が錯綜し、専門家の見方が分かれる中で、政府や東 京電力の公式発表に依存した結果、進行中の事態の報道が遅れ、内容も的確さを欠いたの ではないかと指摘されている。

 こうした問題の背景には、原発事故の報道によって住民の不安や混乱を引き起こすこと に対するマスメディア内部の懸念と躊躇があったという見方がある。だがそうした事情を 勘案したとしても、当時の一連の報道は、マスメディアが伝える情報と、マスメディアそ のものに対する信頼を大きく揺るがす結果となった。

 本稿では、これまでに指摘されてきた原発事故報道のあり方が、日本のマスメディア固 有の問題かどうかを検証するために、日本のマスメディアとは異なる視点を持つ米国防総 省のもとにある新聞“Stars and Stripes”(『星条旗新聞』と訳される。以下、S&S と表記)に焦点を当てて、その原発事故に関する報道を分析することにする。

 東日本大震災の発災以降、日本のマスメディアの原発事故報道をめぐっては、伊藤守『ド キュメント テレビは原発事故をどう伝えたのか』(平凡社、2012 年)、遠藤薫『メディア は大震災・原発事故をどう語ったか』(東京電機大学出版会、2012 年)をはじめ、多くの 検証がなされている。だがこれまでのところ、この米軍関連紙を取り上げて分析を行った研究は見られない。  本プロジェクトが試みた S&S の報道分析は、それ自体一定の意義を持つと思われるが、

さらにこれを当時の日本のマスメディアの報道と比較することで、マスメディアの本来あ るべき姿を検討する一つの手がかりにもなりうると考えられる。

 ここで S&S について簡単に触れると、同紙は米国防総省管轄のもと、世界各地にある米 軍基地に所属する軍人やその家族などに向けて情報を提供する、いわば米軍の準機関紙と もいえるメディアである。日本国内にも記者を常駐させ、東日本大震災発災後も独自の視 点で報道を行ってきた。本稿でとくに S&S に着目する理由としては、(1)読者層が主に米 軍関係者のため、事故を起こした原発周辺住民の不安・混乱に配慮した報道を行う必要が なく、初期の段階からより核心に迫った報道ができる可能性がある、(2)ニュースソース として、米本国および在日米軍関係者にアクセスしやすい立場にあり、米軍が独自に把握 した情報が掲載されている可能性がある、(3)記者 12 人が常駐するなど、他の外国メディ ア(新聞社・テレビ局)と比べ、日本国内の取材体制の充実の度合いが高い、(4)米国防 総省の管轄のもとにあるとはいえ、編集に関しては一定の自律性を持ち、とりわけ日本政 府の思惑とは無関係に原発事故の報道ができる、といった点がある。本稿では、上記の点 を踏まえつつ、東日本大震災発災以降の S&S の掲載記事を分析し、日本のマスメディアの 報道内容との比較を試みることにした。

 以下、本稿の構成としては、まず S&S の設立目的や取材体制について、S&S 編集責任 者の見解を踏まえつつ記述し、同紙の持つ性格を明確にする。その上で、発災翌日の 2011 年 3 月 12 日から同年 6 月 1 日までの記事2)について、原発事故そのものの報道や放射能の 影響に関する報道、避難の呼びかけに関する報道に重点を置いて分析を行う。そして、そ うした検証を軸に、報道の内容が同時期の日本側のマスメディアの報道とどのように異な り、その違いがいかなる要因から生じたかについて、考察することとした。

2. Stars and Stripes の概要

2.1. 設立目的・取材体制

 S&S の報道内容を分析する前に、ここでは同紙の基本的性格や取材体制などを確認して おくことにする。この節の内容は主に、公表されている資料と、2012 年 12 月に同紙の東 京支局員に行ったヒアリングに基づくものである。

 S&S は、戦地や海外にいる米軍人や軍属に、アメリカ内外の情報を伝えるための新聞で あり、その歴史は南北戦争時までさかのぼる。S&S が日本で発行をはじめたのは、第 2 次大戦の終戦直後、1945 年 10 月 3 日で、連合国軍総司令部(GHQ)の委嘱によって朝日新 聞東京本社で印刷が開始された。米軍は兵士たちや占領地域の住民への広報媒体として、 新聞発行を重視しており、太平洋作戦地域ではフィリピン再占領時に、英字紙「デイリー・ パシフィカン」を発行、沖縄占領直後には日本語紙「ウルマ新報」を発行してきた。そし て、日本本土進駐に合わせて、「デイリー・パシフィカン」を母体として発行したのが S&S 日本版である。

 ただし、こうした新聞発行の目的や歴史的経緯から、S&S を米軍の「機関紙」と捉える のは当を得ていない。同紙は米国防総省の DMA(Defense Media Activity)管轄下にあり、 同省から補助金を得ているが、「報道の自由」(合衆国憲法修正第 1 条)が保障された媒体 と位置づけられ、そのミッション・ステートメントにおいて、編集権の独立がうたわれて いる3)。また、1990 年代初頭にはオンブズマン制度の導入も行っている。

 読者層は、米軍人やその家族、軍属、関連業者、米政府関係者などが主で、2012 年会計 年度(2011 年 11 月~2012 年 10 月)の購読部数は、太平洋地域と欧州地域の合計で 770 万部、戦地である中東地域の配布部数は 1,700 万部となっている。また、主に艦船向けの デジタル版が 150 万部発行されている(いずれも 1 年間の部数を合計したもの)。さらに、 オンライン・モバイル版の登録者が約 18,000 人いるほか、ウィークリー版が関東、沖縄、 韓国で合計 2 万部発行されている。戦地や海外にいる軍人の「知る権利」を保障するとい う同紙の目的から、原則として米国外での発行であるが、米国内の基地、住宅向けにも週 刊のダイジェスト版が発行されている。収入は購読料と広告料、それに米国防総省からの 補助金である。

 S&S の米国外の取材・編集体制は、太平洋地域(日本・韓国・グアム)、欧州地域、中 東地域の 3 つに区分されている。このうち、太平洋地域の中心は在日米軍横田空軍基地に あり、太平洋地域の責任者(取材デスクに相当)に加えて、海外全体を統括する編集責任 者が駐在している。2013 年 1 月現在、太平洋地域の取材部門には 20 名がおり、日本に 16 名、韓国に 4 名が駐在している。日本駐在の 16 名の内訳は、横田空軍基地に 8 名(上記の 編集責任者 2 名、ウェブ版の編集者 2 名、記者 4 名)、東京支局(港区六本木)に 2 名、横 須賀海軍施設に 2 名、佐世保海軍施設に 1 名、キャンプ・フォスター(沖縄県)に 3 名と なっている。このほか、東日本大震災発災時には三沢空軍基地にも 1 名が駐在していた。 編集責任者 2 名とウェブ版の編集者 2 名を除いた 12 名の内訳は、軍人 3 人、軍属 7 人、日 本人 2 人となっており、軍属はマスメディアでの取材経験を持つ者が中心である。

 取材データは、すべてワシントン DC のヘッドオフィス(本部)に送られ、編集・整理 の後に紙面が作られる。ワシントン DC では全体の責任者のもとに、記者 4 名が国防総省 などの取材にあたっている。完成した紙面は、東京支局に電送され、東京支局にある輪転 機で印刷される。その後、新聞は空輸で日本国内の米軍基地およびグアムの米軍基地に送 られ、基地内の住宅に関しては各戸に配達される。東京支局には印刷、配送、広告、人事 部門の担当者など約 150 名が勤務しており、業務部門の拠点となっている。

 同紙記者による取材先は米軍基地を中心に、日本の政治・経済に関連した分野など幅広 い分野におよぶという。ただし取材記者の数が限られていることもあり、日本国内の記者クラブ・団体には加入しておらず、AP 通信など通信社の配信記事で情報を補っている。 また米軍司令官などの米軍関係者への取材も、一般のメディアと比べて便宜が図られてい るわけではない。普段から接触する機会あるという有利な側面はあるが、軍事など機密情 報も多く、米軍関係者への取材は必ずしも容易なわけではないという。

2.2. 東日本大震災発災時の対応

 東日本大震災発災に際して、S&S はどのような体制を取り、どのような取材を行ったの か。私たちは 2013 年 2 月に、同紙の太平洋地域の編集責任者(横田空軍基地駐在)に書面 で質問を行った。本節の内容はその回答に基づくものである。

 大震災そのものに関する報道は、その多くを AP 通信など通信社が配信した記事に依存 したという。同紙は原発事故の取材では現地に記者を派遣しなかったために、事故そのも のに関しては通信社からの情報を利用せざるをえなかった。そして原発のメルトダウンに 関する報道についても、大部分は通信社が配信する記事に頼ったとのことである。

 情報源としては、こうした通信社から配信された記事に加えて、テレビなど日本のマス メディアの報道を日本人スタッフがモニターして、読者に伝えるべき重要性があると判断 した報道については引用という形で伝えたという。同紙は、通信社や新聞社などさまざま なニュースソースと契約し、記事そのものに関してはそれらのみを利用している。ただし、 ウェブ版に関しては、読者に関係すると思われれば、他のニュースソースのリンクも張る ようにしている。実際、震災直後の時期には、入手し得たかなり多数のリンクを張ったと いう。

 その一方、米軍基地や駐日アメリカ大使館、アメリカの国防総省に関しては、同紙の記 者が直接取材しており、米軍として地震や津波にどのように対応したかについては、独自 に報道を行った。また原発事故の規模や深刻さについては、アメリカ本国や日本国内の専 門家に取材したケースもあり、このことは S&S の紙面の分析からも裏づけることができる。

 原発事故報道に関して同紙が力点を置いたのは、米軍がこの事態にいかに対応したかと いう点にある。基地の司令官が、軍人やその家族に何を伝えていたか、なぜ各基地の司令 官によって情報開示に差があったのか、そうした司令官の言動が基地内の人びとにパニッ クを生じさせなかったかどうか、さらに、原発事故の直後に出された自発的な避難計画が パニックを引き起こさなかったかどうかに力点が置かれた。

 記事の取捨選択に関して、同紙は米国議会により編集上の独立を担保されており、今回 の震災報道や原発事故の報道でも、横田空軍基地駐在の編集責任者 2 名が取材体制を決め ていた。編集責任者は、日常的に S&S の本部と情報交換をしているが、同紙が掲載する記 事について、米軍が何らかの影響を与えることはないという。

 S&S は自主取材の記事であれ、配信された記事であれ、できる限り正確な情報を米国軍 人とその家族に伝えるのが使命であり、東日本大震災でも、読者が最も関心をもつ事態の 報道に努めたと、編集責任者は力説している。

 原発事故が明らかになった時点で、在日米軍基地内でも艦船の出港などをめぐって憶測 や不安の声が広まった時期があり、米軍の動きを中心とする正確な情報を伝える機能が同紙には期待されていたといえる。

3. Stars and Stripes の原発事故報道~発災から 10 日後まで

 本章では 2011 年 3 月 12 日の東日本大震災の記事がはじめて掲載されたときから、福島 第 1 原発の事故が起こり、放射能の被害が拡大することに強い危機感をもった軍関係者の 家族たちの国外退避が課題となり、やがて米軍の関心がリビア攻撃へ移っていく 3 月 21 日までの 10 日間の S&S 太平洋地域版(以下、S&S 日本版:震災当時。2013 年 2 月 1 日に 太平洋地域版に統合)の紙面を調べた結果を報告する。この時期の S&S の最大の関心事は 震災直後に発生した原発事故であった。

3.1. 大震災発災直後の紙面構成

S&S は一般の新聞とは明らかに紙面構成が異なる。たとえば、震災前のある 10 日間の 紙面構成を見てみると、まず「戦争・軍事(WAR/MILITARY)」面、次いで「国際(IN THE WORLD)」面、「米国内(IN THE STATES)」面などが続き、最後に「スポーツ」面で終わ る。世界中に展開する米軍の“準機関紙”として、「戦争・軍事」が冒頭で扱われているこ とが、一般紙と大きく異なる点である。

 「戦争・軍事」関連の報道を第 1 の使命とする S&S に変化が見られたのが、東日本大震 災の初期(3 月 12~21 日)の紙面構成であった。3 月 12 日以降、S&S 日本版では、未曽 有の震災と原発事故を受け、1 面から 4 面、さらにある日の場合は最大 7 面までを、「日本 の地震(EARTHQUAKE IN JAPAN)」(3 月 12~17 日)、あるいは「日本の大災害(DISASTER IN JAPAN)」(3 月 18 日以降)という見出しでくくられる紙面構成となっている。この時 期の S&S が特別な編集方針で臨んでいたことがわかる。ちなみに S&S の他の地域の編集 版(欧州、太平洋、中東、韓国など)では、この時期に同じような特別編集がとられたこ とはない。

 S&S は、東日本大震災を戦争や紛争に匹敵する、トップニュースとして報じるべき「有 事」として捉えていたことがわかる。ただ S&S の紙面数は、平日と土曜日が 32 面、日曜 日が 48 面という面建てに変化はなく、全体の増ページはなかった。さらに全紙面における 東日本大震災の報道が占める割合も最大で 2 割程度であった。広告の出稿数にも著しい変 化は見られなかった。「有事」の報道であっても、全体の紙面構成やページ数、広告には影 響をおよぼしていないことがわかる。

3.2. 原発事故の第1報

 S&S に原発事故関連の記事が最初に載ったのは、震災と津波に関する報道と同じく 3 月 12 日である。この日の「日本の地震」面を仔細に見てみよう。

 1 面全体に大きく津波被害の写真があり、その右下に比較的小さな文字で「原子力発電 所が緊急停止」との見出しが出ている。2 面は米軍が提供する緊急連絡先、安否確認先な どの情報。3 面以降は震災や津波の被害状況を報道している。そして、震災が起きたときの東京の様子、その後の人々の動向に触れて、米軍からの情報として約 86,000 人の在日米 軍関係者とその家族は無事であり、軍施設に重大な被害はなかったことを伝えている。

 原発事故に関しては、1 面から 6 面までを使って報じた東日 本大震災関連記事の最後に、「原子力発電所で事故と報道」の小 さな記事があるだけである。この段階では、日本のマスメディ アが報道した内容と変わらない情報が伝えられている。この記 事の中では、枝野幸男官房長官(当時)が記者会見で、「放射能 漏れはない」と言明したことが報じられている。その上で、今 後の状況によってはメルトダウンが起きる可能性を示唆してい るが、この記事は東京発の AP 通信が配信した記事であり、S&S が取材したものではない。

 この日は、日本国内のマスメディアも世界のメディアも、メ ルトダウンの可能性を示唆する報道を行なっていた。一方、米軍が原発事故に関する特別 な情報を持っていることを示す記事は S&S の紙面にはない。

3.3. 自社記事と転載記事の棲み分け

 原発事故について S&S に掲載されている記事のほとんどが、第 1 報の AP 通信電をはじ めとして、ワシントンポスト、シカゴトリビューンといった米系の主要メディアからの転 載記事である。これらの記事が伝えるような、原発事故のメカニズムや放射能被害の実態 や分析について解説した記事は、国防総省から発表された情報を除いて、S&S 日本支局の 独自取材記事の中には見られない。その最大の理由として考えられるのは、同紙の取材チ ームの層の薄さである。

 S&S 日本支局の取材スタッフは日本全国で 12 人(震災当時)と、在日外国メディアで は多いほうとされるが、それでも日本国内の報道メディアに比べてはるかに少ない。S&S の日本支局は、日本の新聞社の地方支局レベル、あるいはそれ以下でしかないために、時 間と労力を要する原発事故の原因究明や被害の実態、今後想定される被害などについての、 緻密な取材や、分析にもとづいた記事は出稿できないのが実情であった。

 取材スタッフの数が限られているために、取材でカバーする地域も限定せざるをえなか った。この時期に S&S が独自取材で出稿した記事の発信地は、東京都心、横田、厚木、横 須賀、三沢、仙台、福島であり、主に S&S 日本支局や在日米軍関連施設の所在地、あるい は「トモダチ作戦」にしたがって、米軍による救援活動が行われた場所周辺に限られてい る。震災直後の記事の内容も、たとえば青森の三沢空軍基地での停電の話題や、放射能被 害のレベルは退避するほどではないと言明する厚木海軍基地の司令官へのインタビュー、 原発事故で甚大な被害をこうむった福島からの記事では、原発事故で避難してきた人々が 避難した二本松市などで被災者を取材したものなどであり、危険を冒して避難指定区域に 潜入して実態を伝えようとするものはない。このように、S&S では、自社記事と転載記事 が扱う分野との間で、棲み分けがなされていることが分かる。

 この時期の S&S の紙面を読んですぐに気づくのは、震災当事国の日本のメディアからの 6記事の転載が見られない点である。S&S では日本のメディアが出稿した記事の全文掲載は 1 つもなく、S&S スタッフが執筆した記事中に、NHK や共同通信が報じたことをごく一部 引用するにとどまっている。写真の使用を除けば、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日本 経済新聞など国内紙からの記事の転載や引用は見られない。

 この理由として考えられるのは、速報性が求められる情報については、NHK や AP 通信 と提携している共同通信からの情報だけを利用していたこと、原発事故のメカニズムや放 射能被害の分析、予測される被害などに関しては、信頼に足る情報を米軍が持っており、 これを情報源としていた、などが考えられる。たとえば、米軍が 1998 年に決めた、放射能 が活発な環境下での安全ガイドラインと、それに関連した国防総省からの情報をもとにし た記事(3 月 17 日 1 面)は、S&S が日本のマスメディアの報道に信頼を置いていなかった のではないかと疑わせるものである。

3.4. Stars and Stripes の原発事故報道の特色

 S&S 日本版の主な読者は、いうまでもなく在日米軍関係者およびその家族であり、彼ら が必要とし、関心を持つ話題を報道することが S&S の編集上の基本方針である。

東日本大震災それ自体の報道に関しては、S&S は対象とする読者の「コミュニティー」 の中に犠牲者や行方不明者がいなかったことや、長期にわたって再興不能なほど破壊され た軍関係の施設がなかったことで、東日本を中心とする日本の被害に関しては、当事者と して取材する必要をあまり感じなかったと推測される。このことも、S&S が取材する対象 や内容、カバーする範囲を限定していた要因であろう。

 ところが、3 月 12 日に福島第 1 原発 1 号機が爆発したことによって、この「コミュニテ ィー」も、多くの日本人と同じように、目に見えず体感もできない放射能汚染にさらされ る危機に直面することになった。原発事故後の放射能汚染とその影響については、日本人 と同様に、在日米軍の「コミュニティー」でも、最も知りたい関心事となった。独自取材 の体力に乏しい S&S は、信頼を置く情報源として米系大手通信社や新聞社の報道に頼った。 ただ、調査対象期間のすべての記事について見られるのは、一貫して放射能被害の影響や 拡大の可能性について、冷静に受け止めるように読者に呼びかけていることである。

 そうした中で、S&S 日本支局が原発事故関連で日本のマスメディアとは異なる独自色を 際立たせているのは、放射能汚染の被害拡大の懸念が深刻化する中で、在日米軍関係者の 一部の家族たちが、米軍の承認を受けて日本から退避する動きを見せるまでの、3 月 16 日 から 18 日の一連の報道においてである。

 3 月 16 日付の 4 面冒頭の記事では、S&S 日本支局の取材に答えて、厚木海軍基地の米軍 司令官が「日本からの退避の判断は国務省が行う」と明言している。これは前日に厚木海 軍基地内のタウンホールに集まった、放射能汚染を懸念する在日米軍関係者の家族たちが 臨んだミーティングで発表された内容を再確認したものであった。

 ミーティングで司令官がまず伝えたのは、「緊急避難計画があるかどうかと問われるなら、 それはない」ということだった。そして万一、退避が必要になった場合は、病人が優先さ れ、その次が軍人以外であること。さらに司令官は取材に対し、不測の戦争状態に備えて、常に退避について心構えができていると答えている「。退避の決断は、大使館から出される。 そこで戦時の計画が実行に移される」(厚木海軍基地のエリック・ガードナー司令官)とあ る。そして皮肉にも、日本は太平洋地域や朝鮮半島の有事の際に、米軍の家族など非軍人 たちが逃れる「避難先」とし、長い間考えられていたことも記事の中で言及されている。

 翌 3 月 17 日の 1 面の冒頭の記事では、国防総省が、「もし日本の今の状況がさらに悪化 する事態になれば、86,000 人の米軍関係者らを含めて全員が未曽有の最悪の核の災害に直 面することになる」と警告しているとして、福島第 1 原発を中心に日本政府が発表する避 難指定区域よりも広い、50 マイル(80km)を指定して、その外に避難するよう呼びかけ たことを伝えている。さらに駐日アメリカ大使館は在日米国人に対し、50 マイル以内の人 は可能なら退避、さもなければ屋内に留まるよう伝えている。そして在日米軍の軍医が、 80 マイル以内で救助活動を行った空軍の乗組員たちに、有害な放射性物質に備えて、安定 ヨウ素剤(ポタジウム・イオダイド、ヨウ化カリウム、以下、ヨウ素剤)を服用するよう アドバイスしはじめたことを報じている。

 放射性降下物(fallout)への備えについては、前述したよ うに、米軍が 1998 年に定めた「放射能が活発な環境での安全 ガイドライン」を、同じ 1 面の中央に掲載している。そこに は、「指揮官・司令官たちが、いかなるリスクが許容できるの かを決定する責任を負わなくてはならない」とされている。 つまり放射能が活発な現場での米軍の行動指針として、その 場でどう行動するかの判断は現場の指揮官たちにゆだねられ ているということである。即断が求められる緊急事態につい

ては、軍の上層部やそれ以上の組織に判断を仰がずに、現場の指揮官が決断の責任と権限 が負わされている。

 これは戦時下の軍人の行動規範と同じであって、かつて人類が経験したことのない広範 囲に及ぶ放射能汚染の可能性を前にして、米軍関係者はこれを「想定内」として、これに 備えた対応が事前に練られているということがわかる。

 3 月 17 日の紙面までは、「日本の地震」としていた見出しが、翌日 18 日からは「日本の 大災害」に変わる。そしてこの 18 日の紙面では、在日米軍関係者の家族の第 1 陣が、軍の 許可により「日本を脱出」した記事が巻頭に載っている。この日以降は原発事故に関連し た独自取材は、日本からの退避関連の記事だけとなり、やがてそれが 20 日には冒頭の記事 がリビア情勢と入れ替わる。21 日の 1 面から 3 面まで、紙面はリビア情勢の記事で占めら れ、「戦争・軍事」が最初の数面に来るという S&S の「平常時」の紙面構成に戻っていっ た。

3.5. 国内メディアの初期の原発事故報道

 ここからは、同期間を含む数カ月間の日本のメディアがどのように原発事故を報じたの か、複数の研究成果から概観してみる。

 新聞とテレビの福島第 1 原発事故の報道に対しては、どのメディアも同じような内容の「横並び報道」、政府の発表をそのまま報じるだけの「大本営発表報道」などとする批判が ある。NHK 放送文化研究所が行った発災後 72 時間のテレビ報道(NHK、日本テレビ、フ ジテレビ)の検証によると、原発に関する情報量の増減には 3 局に共通して 3 つの山(1 号機爆発、3 号機爆発への懸念、3 号機爆発)があった。報道の推移が似通っているのは、 情報が限られているため、政府や東電の記者会見という、同じ時間に同じ情報源から出さ れる情報にもとづいて報道せざるを得ないことが背景にあると分析している4)。

 3 月 11 日から 17 日までの 1 週間のテレビ報道分析を行った伊藤守は、次のように指摘 する。原発の冷却機能喪失という事態をいち早く報じながら、その深刻さの認識がテレビ の編集者と、そこに出演して語る専門家の双方に欠けていた。1 号機爆発の後もなお、メ ルトダウンの「可能性」という言説を繰り返し、他の原子炉の爆発も想定される可能性に 積極的に言及しなかった。こうしたテレビ報道は、すべてのテレビ局が同じような情報を 伝えるだけだったと視聴者にみなされてもしかたないものだったといえる5)。

 新聞報道に関しては、3 月 11 日に朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞の全国紙 3 紙が出 した号外では、「巨大地震・津波による被害」、「首都圏も被災」、「福島原発事故」の 3 本柱 が報じられて、全体をバランスよく報じようとする態度であったとの評価がある6)。12 日 の朝日、読売、日経の朝刊 1 面の見出しは、いずれも東日本大震災だが、13 日の朝刊 1 面 では 3 紙とも福島第 1 原発 1 号機の爆発を伝えており、トーンの違いはあるが、この時点 で既に「炉心溶融(メルトダウン)の恐れ」との表現が見出しにある。

 メルトダウンの有無については、1 号機爆発直後のテレビ・新聞の報道ではメルトダウ ンが起きたことをほぼ明言する表現が使われていた。だが時間が経つにつれて、それが「可 能性の 1 つに過ぎない」とでもいうように表現が後退していく。国立情報学研究所のテレ ビ・アーカイブシステムを使った調査では、3 月中は頻出していた「メルトダウン」とい う言葉の報道出現回数は、4 月になると極端に減少、一転して東京電力がメルトダウンを 事実として認めた 5 月にふたたび増加している7)。

 早稲田大学教育・総合科学大学院の花田達朗教授ゼミによる新聞報道の分析では、3 月 12 日から 19 日までの 8 日間の全国紙 3 紙(朝日、毎日、読売)の記事のうち、3 紙とも数 にして半分近くが、情報を電力会社および政府・行政から得ている、いわゆる「大本営発 表報道」であった8)。この結果について、「むしろそれと同程度には他の取材源からの記事 が多かったことの方が目を引く。情報が電力会社や政府・行政に集中している事故直後の 時期にもかかわらず、他の情報源にも当たって紙面を構成していたことがうかがえる」と している。一方、震災後 1 カ月間の同じ全国紙 3 紙に掲載された、福島第 1 原発の半径 20km 圏内で撮影された写真の多くが、東京電力や原子力安全保安院から提供されたものであり、 新聞社のカメラマンが原発事故現場に近づいて撮影したものではなかった、と分析してい る。

 田中幹人らは、震災後 3 カ月間の朝日、読売、日本経済、毎日の 4 紙の 1 面に掲載され た記事の同質性を数量化して分析した結果、全報道、震災報道、原発報道の「何を話題に したか」というレベルでは「横並び報道」が認められるとしている。その一方、「今後の原 発利用に対する意見」について「どう議論したか」というレベルでは、各紙ごとの論調の違いがあったとしている9)。

 「横並び報道」の大きな要因として、原発事故発生後の早い段階で原発周辺への立ち入りが困難になったことがある。政府は当初 3km 圏内(3 月 11 日 21 時 23 分)の住民へ避難 を指示、その範囲を 10km 圏内(12 日 5 時 44 分)、20km 圏内(12 日 18 時 25 分)と順次 拡大した。朝日新聞社は 12 日、社員の安全を確保するために、政府指示よりも広い原発か ら半径 30km 以内に近づかないことを決定した。記者からは 30km 圏内での取材を望む声 や、多くの住民が残っている状態で避難することへの疑問の声もあったという。NHK や共 同通信社も同様に 30km 圏内での取材を制限していた。しかし「ただちに人体に影響はな い」といった政府発表をそのまま報じたメディアが、住民や読者に説明もなく自社の記者 を退避させたことは、「ダブルスタンダード」との批判を受けた10)。

 こうした事故当初の報道の積み重ねの結果、仔細に見れば、各社ごとの相違点もあり、 多様な情報源からの取材が行われているにも関わらず、どのテレビ局、どの新聞も同じよ うな、東京電力や政府の発表どおりの内容しか報じない「大本営発表」との印象が多くの 視聴者・読者に強く残ったといえる。

4. 放射能の影響をどう伝えたか

4.1. 在日米軍および災害支援活動中の艦船への影響

 本章では S&S が、福島第 1 原発事故の放射能による影響に関して、主に在日米軍につい て行った報道を概観する。

 放射能の拡散などの被害情報について、S&S が日本国内メディアと比べて多くの情報を 得ていたわけではない。ただし米軍動向については、独自に取材した報道が多数見られる。 取材源である米軍からは一定の取材上の制約を受けていた可能性があるが、同紙の読者層 の知る権利を最優先に、事実に即した報道がなされている。

 在日米軍に関する放射能関連の記事は、3 月 15 日付 7 面で S&S 独自記事として太平洋 上で災害支援活動中の第 7 艦隊が汚染を受け、海軍が退避行動をとった旨を報じたのが第 1 報である。

 低レベルの放射能汚染が、大気中や仙台近郊で救援活動中の 3 機のヘリコプターの搭乗 員から検出され、艦船と航空機を福島第 1 原発から離れた場所に退避させた動きを報じた ものである。また、同じく支援活動中だった第 3 艦隊の空母ロナルド・レーガンに乗艦中 の大尉によるフェイス ブックの書き込みを紹介し、検出された放射線量は非常に低いことを伝えている。

 わずかな放射線が測定されただけで艦隊が退避したことは、米軍が原発事故直後から放 射能汚染について警戒していたことを示すといえよう。米海軍の艦船では、船体に付着し た放射性物質を海水で洗い流す装置などが通常の船舶よりも整っている。放射線のレベル が低いのであれば、災害支援活動を優先させるために退避しないという選択肢もあったの に、米軍が乗組員への健康に配慮して早い段階で退避させていたという情報は、日本側にとっても、ひとつの判断材料となり得る。

 放射能汚染被害への対応として、可能な範囲で遠くに退避するという行動は合理的であ

る。結果として、退避が必要なレベルではなかったとしても、福島第 1 原発の危険性がい まだよく分からない状況では、退避が過剰反応であるとはいえない。日本の新聞やテレビ で、「米軍が退避」という事実が大きく報じられていれば、日本政府の避難指示への対応に ついて、世論から大きな批判が出た可能性がある。

 空母ロナルド・レーガンはヘリコプターの中継拠点になるなど、米軍による支援活動の 中核となっていた。それが放射能の影響を避けるために影響圏外へ退避した事実は、日本 政府の「危険な状態ではない」という発表を、米側がそのまま受け止めてはいなかったこ とを示す端的な例である。

 16 日付 5 面では、S&S は独自取材の記事として、横須賀海軍施設に入渠していた空母ジ ョージ・ワシントンの艦上をはじめとして、在日米海軍の東京エリアにある基地内で、放 射性物質を検出したことを報じている。さらに東京エリア以外の基地についても取材し、 静岡県のキャンプ富士では放射線レベルに変化がみられないことを伝えたほか、東京都の 横田空軍基地、神奈川県のキャンプ座間でも変化がないことを取材し報道している。その 上、神奈川県内陸部の航空基地である厚木海軍基地内では、「原発事故により横須賀と厚木 できわめて低いレベルの放射線が検出された」とし、「この放射線量は胸部 X 線検査と同 レベルだが、最大限の安全を見積もって、室内に留まり、換気装置および窓を閉じるよう」 に、基地内放送で呼びかけが行われたことが報じられている。

 また同日付 2 面では、これも S&S 独自記事として、放射能汚染物質の拡散がアメリカ本 土に達するというネット上の「噂」について否定し、冷静に対応するように呼びかけた。 同時期の共同通信の 17 日ワシントン DC 発の配信記事11)を見ると、米本国で原発事故に対 する危機意識が高まっていることがうかがえ、これに対応した記事とも読み取れる。

 日本政府が避難の呼びかけに消極的だった一方で、在日米軍は軍人ならびに扶養家族な どに自主的避難の指示を行い、国外避難への体制を整え、災害支援艦艇を「低放射能汚染」 海域から即刻退避させた。ちなみに、駐日アメリカ大使館の英語版ウエッブ・サイトでは、 ジョン・ルース駐日大使が 17 日、日本に居住する米国市民に対して、福島第 1 原発から 「80km 圏内からの避難勧告」をしたという内容が掲載されている。

 17 日付以降の S&S では、放射性物質の検出に関連する新たな記事は見られない。以後 は放射性物質の検出によって発せられた「自主避難」についての報道が、これに代わって いくが、放射線の影響に関しては、日本国内のメディアと同様に健康上、問題がないレベ ルであることを伝える内容が継続的に紙面に載っている。

 だがこの時期、福島沖で活動する艦船では、放射能の影響にかかわる動きが断続的にあ った。23 日付 2 面では、強襲揚陸艦エセックスで行われた海軍の放射線防護隊員らの活動 を、海軍提供の写真を用いて紹介している。また、24 日 4 面では、空母ロナルド・レーガ ン艦上から S&S の記者が送稿した記事で、同艦が除染のため、東北沖での救援活動を停止 したことが伝えられている。

 こうした記事を受けた形で、25 日付 6 面では、駐日アメリカ大使館の調査により、在日基地内の水道水が安全であることが報じられた。そしてこの時期を境に、在日米軍基地内 や、行動中の艦船からの放射能検出記事はほぼ掲載されなくなり、S&S が伝えるテーマも、 日本のマスメディアと同じような内容に変わっていく。

 S&S では 4 月 3 日付で 1、3 面を使って、原発事故によって生じた放射能の影響が、基 地や居住エリアでの生活、さらに米軍の作戦行動にどのような影響があったかを総括して いる。そのなかで、基地内でも未確認情報が噂の形で伝わったことや、空母が行動を明ら かにしないまま緊急出港したことが、基地の人びとや扶養家族たちに不安をあたえ、噂の 伝搬を助長したという分析がなされている。

4.2. 放射能関連報道に関する分析

 S&S の報道の特色としてあげられるのは、事実の報道もさることながら、米軍を中心と するアメリカの対応について重きを置いている点である。放射能の影響に関する報道でも、 関東圏での数値が深刻ではないとする日本政府の発表や、それをそのままの形で報道した 日本のマスメデイアの姿勢と大きく異なるわけではない。ただし、米軍や家族をふくめた 軍関係者への避難勧告はすみやかに報道された。そして、その後事態の正確な把握ができ るにつれて、過剰な反応を抑えようとする姿勢に変わっていった。記事からは、危険が予 想される状況の中では、米国市民を危険の可能性からまずは遠ざけ、彼らを守ることを第 1 とした在日米軍の姿が浮かび上がってくる。

 放射能あるいは放射線の検出情報を、日本のマスメディアが入手するのは容易ではなか った。その点で、米軍独自の調査網としては、作戦部隊での計測、在日米軍基地内での計 測などの手段があり、もし米軍による汚染状況の確認情報が S&S によって報道されていれ ば、その重要性は日本のメディアにとっても高かったと思われるが、そうした記事は紙面 の調査からは確認できなかった。

 それでも米軍が独自に放射能汚染の計測を実施していたことは、S&S の紙面から読み取 ることができた。3 月 30 日付 3 面には S&S の独自取材として、「トモダチ作戦」の陸上部 隊共同指揮官マーク・A・ブリラキス第 3 海兵師団司令官へのインタビューが掲載されて いる。同部隊が展開中のすべての地点で、放射能汚染物質の継続的な監視を行っており、2 時間ごとに指揮官に報告されることを明らかにしている。

 行動中の部隊や基地内での放射性物質の検出についての具体的な記述は、第 7 艦隊の艦 船と、緊急展開した第 3 艦隊の空母ロナルド・レーガンに関する記事に限られるが、ここ には作戦そのものが機密事項であったことが背景にあるかもしれない。

 展開中の艦船では、放射能汚染物質の検出と同時に災害支援活動を中断して除染活動に 入り、乗員にはヨウ素剤を服用させていることが報じられている。そして関東地区の在日 米軍基地や、住宅施設では駐日アメリカ大使館からの注意喚起として、外出を控えるよう にとの指示が出され、S&S でもこの情報を伝えている。この例のほかに、基地内で出され たさまざまな指示を見ても、日本政府などから公表されていた以上の放射線量に関する情 報をもっていた可能性は高い。

 軍の実働部隊に関しては明らかな緊急対応と見なせる行動をとっており、放射能汚染物質に関する認識は、公式発表よりも深刻なものであった可能性が高いと推測される。基地 内や住宅施設では「健康に影響がない」と公式に発表しながら、横須賀海軍施設では空母 を緊急出港させるという、矛盾した行動をとった。このことから基地隊員や扶養家族らの 不安感を増大させる事態となったのである。

 こうした事態を伝えているのが、S&S の 4 月 3 日 1、3 面の紙面である。ここでは「恐 怖:噂の抑制が最初の戦い―司令官」という見出しで、基地内での「噂」を抑えるのに苦 慮している状況が伝えられた。

 噂が広まった最大の原因は、5 月まで定期修理の予定だった空母ジョージ・ワシントン が突然出港したために、多くの家族たちに、空母は放射能の汚染から逃れるために出港し たと受けとめられたと報じている。また施設内の保安要員に対しても、在日米海軍が艦船 配備を事前に告知しなかったため、空母によって家族たちを安全な場所へ移送するという 「噂」が広がったことを指摘した。

 1 面から 3 面を使う大きな記事にしたことは、放射性物質への過剰反応を抑えるために、 事実の検証をしておこうとする S&S の姿勢が見てとれる。「噂」が広がったことの影響を 最小限に抑え、一連の出来事をその後の教訓とするために、あえて公表すべきと考えた米 軍当局の判断が働いていたのか、それとも S&S が独自に、検証が必要だと考えたのかは、 S&S 編集の独立性との観点からも注目すべき点である。

 S&S 報道を通じて原発事故と、これに対応した米軍行動をみると、われわれの認識以上 に米軍は深刻な情勢判断を行っていた可能性が高いといえる。

5. メルトダウンやヨウ素剤をめぐる報道

 本章では放射能の影響をめぐる S&S の報道の中でも、とくに重要と思われるメルトダウ ンや、内部被曝を抑制するヨウ素剤の配布についてまとめて扱う。「メルトダウン」は事故 の深刻さに直結する用語であり、S&S が事故にどのような危機意識をもって報じていたの かを示す材料となる。ヨウ素剤についても健康被害への対策がどのようにとられていたの かを示す重要な情報である。以下に時系列に沿って具体的な記事をみていく。

 5.1. メルトダウンの危険性をどう伝えたか

 3 月 12 日の 6 面には AP 通信の「原発は問題を抱えている」として、原子炉の冷却シス テムが止まっていることを指摘。原子力安全・保安院の匿名の担当者の話として、冷却シ ステムの停止が続けば、放射性物質が外部に漏れだし、最悪の場合、メルトダウンを引き 起こす可能性があることを明らかにしている。

 13 日の 3 面にも AP 通信の記事を「原子炉はいまもメルトダウンの危険がある」という 見出しで扱っている。「メルトダウン」という単語を横 5 段で目立つようにし、記事内では 4,000°F(約 2,200°C)で燃料棒が溶けることなど具体的な技術的問題も取り上げている。 S&S は AP 通信のように福島県いわき市の現場や、原子力安全・保安院に担当記者を送り 込む人的、時間的余裕はなかったと思われるが、配信記事でメルトダウンの問題を正面から扱う意欲が感じられる。  14 日もメルトダウンに関わる記事が 4 本掲載されている。AP 通信の 1、3 面の記事では

「部分的なメルトダウンが起きている懸念」を伝え、「当局者はメルトダウンの危険を否定」 との見出しで、枝野幸男官房長官が「完全なメルトダウン」を否定していることを紹介し ている。そして同日 4 面の、在日米軍基地の状況を説明する記事では、原子力安全・保安 院の情報として、部分的なメルトダウンや放射能漏れによる健康被害の兆候が出はじめて いることに触れ、さらに 7 面でも、ワシントンポストやロサンゼルスタイムズの記事を引 用して、原子炉の危機的状況を説明している。ただしいずれも S&S の記者が直接取材した ものではない。

 15 日は 1 面で「メルトダウンの脅威が日本の原発で生じている」との記事を載せている が、これもワシントンポストの記事であり、内容も技術的な説明は共同通信の配信記事に 依拠している。S&S も原発の状況について独自の情報は得られておらず、もっぱら他の米 報道機関の記事に頼っていることがわかる。報道内容も日本の報道機関と大差はない。

 16 日の 14 面では経済報道に強いブルームバーグニュースの記事を引用し、「日本の原子 力産業はしばらく不安定になる」とし、メルトダウンを回避しようとしている東電を含む 日本の原発事業者が過去にもさまざまな不祥事を起こしてきたことも紹介している。

 3 月中はこうした AP 通信やワシントンポスト、ブルームバーグニュースなどの引用に よる「メルトダウン」の単語が登場する記事が続く。4 月になると記事は少なくなってい く。4 月 27 日には 1 面の S&S 独自の記事で「多くの米軍家族が日本に戻る途上にある」 として、メルトダウンの危険性があるなかで米軍が出国準備を急いだことに触れているが、 原発の危険性から米軍家族の問題へと S&S の報道の比重が移っていることをうかがわせ る。

 5.2. ヨウ素剤をめぐる報道

 放射性ヨウ素による内部被曝を軽くするためのヨウ素剤をめぐっては、いつ配り、服用 指示を誰が出すのか、国内の自治体でも議論になった。S&S の記事を見ると、在日米軍内 部でも混乱があったことがうかがえる。

 ワシントン発の全体的な原発事故対応の報道の中で、駐日アメリカ大使館が原発から 50 マイル以内にいるアメリカ市民に対して、可能な限り屋内にとどまるように指示、米軍の 医師団が米空軍のメンバーに対して福島原発から 80 マイル以内で活動する場合はヨウ素 剤を服用するように勧告、というような対策が採られていることが報じられている。

 自主避難を待つ扶養家族や、避難を見合わせて日本に留まっていた扶養家族らを混乱さ せたのがヨウ素剤の事前配布措置だ。放射性ヨウ素がヒトの甲状腺に蓄積することを防ぐ 目的で服用するものだが、在日米軍では各基地で必要量を備蓄しているとして当初、実際 の備蓄体制や配布時期などを明らかにせず、妊婦や子供を抱える家族は不安感を募らせた。

 3 月 21 日午後、横田空軍基地医療グループのフレッド・ストーン副司令(空軍大佐)な どが、ラジオ放送(AFN:米軍放送網、この場合は中波放送)で基地全員分のヨウ素剤を 確保していることなどを伝え、予防措置として配布を開始することを明らかにしている。

 また、三沢空軍基地では放射線の影響外であるとして、ヨウ素剤の配布予定はなく、基地 内で保管していることなどを明らかにした(3 月 22 日付 6 面)。原子力推進艦艇が帰港な いし寄港する横須賀海軍施設のある自治体側の神奈川県横須賀市ではヨウ素剤の錠剤と粉 末剤のそれぞれを一定量備蓄しているが、この原発事故発生時には配布していない。

 しかし首都圏の米軍基地および米軍住宅地区内では、緊急に配布された。ただし、予防 的に服用することは甲状腺を守る効果がないため、指示が行われるまでは服用しないよう に指示された。この上で、神奈川県横浜市内の根岸住宅施設、同逗子・横浜市内の池子住 宅施設および同綾瀬・大和市内の厚木海軍基地内住宅施設では 21 日から受け取り可能であ り、同座間・相模原市内のキャンプ座間および東京都福生市などにまたがる横田空軍基地 の各住宅施設では、その後 24 時間以内に配布を可能にする体制をとることが報じられてい る(22 日付 1 面)。

 同時期、各米軍基地を擁する東京・神奈川の両自治体では、市民に対する注意喚起なら びに配布は行っていない。事前配布がはじまった際、軍扶養家族の女性の 1 人は、「福島第 1 原発の危機が起きたときに配布せずに、いま配りはじめることに疑問がある」としなが ら、「この配布は、海軍が安全の判断を誤った際に備えるものだと信じている」と語ってい たことを報じている(22 日 6 面)。

 5.3. メルトダウンやヨウ素剤をめぐる報道の分析

 S&S は原発の情報について独自の情報源を持っていたようには思われない。記事は AP 通信などの引用が多く、独自性があるようにも思われない。もともと米軍の準機関紙とい う位置づけで原子力発電所の専門記者がいるわけでもない。それでも日本の報道機関より も原発の危険性について積極的に報道しているように感じられるのはなぜだろうか。

 「メルトダウン」という単語は日本の報道機関も報じていた。第 3 章でも指摘したよう に、事故当時は頻出していたのに徐々に表現が後退していったとの印象がある。S&S が「メ ルトダウン」という単語を使用したピークは 3 月中旬で、4 月になると下がり、5 月にはほ とんどゼロになる。これは日本国政府や東電の発表をもとに「可能性のひとつ」として使 用しなくなったのではなく、ニュース性の判断だと思われる。日本政府および東電がメル トダウン状態だったことを認めた 5 月中旬以降に再び「メルトダウン」という単語の使用 回数が激増する日本の報道機関とは異なる。

 日本の報道機関は独自に原発内部の状況を調査できず、情報は政府や東電に頼らざるを 得ない中で、メルトダウンが起きていることを断定できなかった。「可能性の 1 つ」という 発表に沿った「正確」な表現になっていくのは、読者や視聴者に過度な不安を与えないよ うに配慮した可能性もある。S&S は独自の情報源はなかったが、読者が米軍関係者に特定 されていることもあり日本の報道機関のような配慮は不要だったと考えられる。そもそも 冷却システムが一定時間止まればメルトダウンが起きるのは当然の結果だ。メルトダウン が起きているかどうかということに焦点を当てた記事を出すよりも、米軍関係者向けに基 地の詳しい情報を載せることを優先していったと考えられる。

 ヨウ素剤の報道では、在日米軍もいつ配るべきか苦慮したことがうかがえる。服用時期の判断が難しく誤って服用すれば副作用の危険もあるため慎重な判断が求められ、事故直 後には配布できなかったとみられる。米軍関係者の不安に応えるため 3 月 21 日から「予防 的措置」として配布したことは、最後まで配らなかった基地周辺の自治体の対応と対照的 だ。S&S は米軍関係者向けの新聞だけに、軍扶養家族の女性の不満の声を掲載するなど、 読者の視線に立った報道がなされている。日本の報道機関は軍扶養家族にヨウ素剤の配布 について取材することは難しいため、S&S の情報は日本側にとっても参考になる。米軍が 予防的措置とはいえヨウ素剤を配り始めたことが日本の報道機関でも当時取り上げられれ ば、国内でも配布に踏み切る自治体が広がった可能性がある。

6. 避難の呼びかけをめぐる報道

 6.1. 放射能検知で急展開した避難の動き

 本章では、S&S が米軍による「自主避難」に関してどのような情報提供を行ったかにつ いて、見ていくことにする。

 日本に居住する米国市民に対する避難については、3 月 12 日午後に発生した福島第 1 原 発の爆発後も特別な避難体制は取られなかった。しかし、同 15 日に神奈川県横須賀市内の 在日米軍横須賀海軍施設内で放射能を検出したことから、一転して、17 日に米国防総省か ら「自主避難」指示が出された。これにより、在日米軍・軍属ならびに政府関係者らの扶 養家族(以下、扶養家族)およそ 1 万人が、4 月中旬までに日本を脱出した。このうちの 約 7,800 人が軍の支援を受けた避難であった。

 米国務省はこれとは別に駐日アメリカ大使館を通して、日本に滞在中の米国市民のチャ ーター便による帰国の支援を行っている。避難先は全米 50 州全域におよび、4 月 15 日に 米国防総省が自主避難解除の指示を出した以降も多くの自主避難者が数カ月に渡って日本 に戻れない状況が続いた。

 発災以降、続いていた福島第 1 原発での放射能漏れに加えて、3 月 12 日午後の爆発事故 後も日本在住の官民扶養家族に対する避難指示は出されなかった。この時期、AP 通信電 で原発周辺住民の避難状況を報じている(14 日付 1 面)。また 15 日付でも、アメリカ太平 洋軍(USPACOM)トップのロバート・ウイラード太平洋軍司令官(海軍大将)が、避難 の必要性を否定(15 日付 5 面)し、翌 16 日付ではエリック・ガードナー厚木海軍基地司 令(海軍大佐)が緊急避難計画の存在を否定した(16 日付 4 面)。福島第 1 原発から 130 マイル離れていることから首都圏の基地ならびに居住者は安全だという主旨であった。

 しかし実際には 15 日午前 6 時、福島第 1 原発で 3 機目の原子炉爆発(4 号機の水素爆発) が起きた。その 1 時間後、午前 7 時に横須賀海軍施設に入渠中の原子力空母が放射能値の 上昇を検出し(16 日付 5 面)、事態は一変する。在日米海軍自らの手で放射能の拡散を確 認したことを受けて、17 日付のワシントン DC 発として「国防総省が原発事故で多数の軍 人軍属が被害に直面する恐れ」を報じ(1 面)、同日 17 日に国防総省は自主的避難プログ ラムを発表した。これにより、一気に日本国外避難に向けての体制が取られたのである。

 そして 18 日には、アメリカ空軍は被災地域から大型の無人偵察機 RQ-4 グローバル・ホ ークをアンダーソン空軍基地(グアム島)に撤退させた(19 日付 5 面)。発災直後から情 報収集を開始していたとみられ、日本政府にも画像情報などを提供していたことが報じら れている。

 同機は通常、北朝鮮の核兵器開発の監視任務にあたっているとされる。この時期、12 日 午後には 1 号機、さらに 14 日午前には 3 号機が相次いで爆発しており、米政府側も福島第 1 原発の事態がどこまで悪化するかの判断を迫られていた。

 米空軍は偵察機による情報収集で事態の推移を監視しており、福島第 1 原発の事故の深 刻さを把握していた。これに加え、在日米軍の中でも海軍、原子力推進艦艇を扱う部隊が 東京エリアで最初の放射能を検出したことで、米政府は「最悪の事態」に備える必要性が あると判断した。

 6.2. 国防総省が民間人の国外避難を主導

 この後、自主避難便が出発する東京都の横田空軍基地、神奈川県の厚木海軍基地ならび に青森県の三沢空軍基地の扶養家族らに対しては、在日米海軍のフェイスブックを通じて 避難情報が伝えられはじめ、首都圏・東北エリアの各基地では関係家族が脱出便に搭乗す るために集まりはじめる。 S&S でも自主避難便に関する情報を連日報じる体制を敷き、3 月 18 日付「日本脱出」(1 面)、同 19 日付「米国家族が脱出準備」(1 面)と大きく報道し ている。

 避難対象となったのは日本国内(本州全域)に居住する軍扶養家族と民間扶養家族で、 国防総省側が出発便の準備・調整を行い、移動・滞在にかかるすべての費用を負担した。 輸送手段を持つ航空部隊基地からの便を求めて、脱出を希望する多くの民間人が、横田・ 三沢両基地の出発ゲートに集まってきていた。こうして 19 日午後 5 時、最初の避難便が横 田空軍基地から離陸し、233 名がワシントン州シアトルに向かった(20 日付 3 面)。

 S&S でも、実際の避難方法について Q&A を掲載したほか(20 日付 5 面)、21 日付の紙 面では、各基地でタウンミィーティングが開催され、太平洋軍トップをはじめとする高級 士官らから自主避難の概要がレクチャーされたことを伝えている(21 日付 5 面)。脱出希 望者たちは、いわば着の身着のままで集まったが、軍側には定期便を避難者に割く余裕は なく、米国内の航空会社も手配しての対応を迫られた。こうしておよそ 1 カ月の間に約 1 万人が日本国外へ避難した。

 国防総省から避難解除が指示された 4 月中旬以降、6 月に入っても 5,000 人もの帰国でき ない家族が生まれていた(6 月 1 日付)。

 6.3. 沈静化に努める在日米軍 国防総省との温度差

 国防総省による自主避難プログラムが発表された半面で、同時期に在日米軍ならびに駐 日アメリカ大使館は日本に対する支援作戦「トモダチ作戦」を展開しており、扶養家族に 対する自主避難とは相反するような作戦行動がとられた。S&S の報道では、在日米軍高官 らは一貫して緊急避難の必要性を否定しており、4 月に入ると、なるべく早く日本に帰還するようにコメントを出している。また投書を紹介する形で、自主避難を「有給帰国休暇」 (3 月 30 日付 1 面)などと批判する記事も掲載された。

 三沢空軍基地では 3 月 20 日(日)、戦闘航空団司令のマイケル・ロスタイン大佐が基地居 家族にむけて、3 カ所でタウンミィーティングを開催し、およそ 1,100 家族が登録した自主 避難を 2 週間から 1 カ月をかけて行うことを伝えた。この戦闘航空隊は F16 戦闘機部隊を 擁しているが、三沢空軍基地が救援活動で中心的役割を発揮しているために、戦闘部隊の 訓練ができなくなっていること、さらに部隊員を残したまま家族を米本国へ送らなければ ならないという事態に直面していたことを報じている(21 日付 5 面)。

 このためにF16 戦闘機の訓練地が別に必要となり、同記事はまた、パイロットの技量維持 と整備のために韓国などで訓練を再開する方針を示し、日時は決まっていないとしながら、 「2 週間から 1 カ月のうちに行われる三沢空軍基地居住者の米国への自主避難が済めば飛行 隊は展開する」とも伝え、3 月 20 日の時点で、1,100 家族が自主避難に登録しているとして、 避難準備が進んでいると述べている。

 この自主避難は 1 カ月で日本に戻る計画であるとされたが、基地内小学校のスコット・ス テリー校長は、「30 日以内に戻れる保証はなく、米国で直ちに転校手続きを取るべき」だ。 なぜなら「児童には教師が必要なのです」と訴えたことを紹介した(同)。

 計画では避難する家族は 30 日以内に日本に戻るとしているが、三沢空軍基地は福島第 1 原発から遠いためこれは放射能による被害への警戒からではなく、震災による被害が深刻で 復旧に時間がかかり、基地での訓練再開の見通しが立たないことを想定しているとみられる。

 6.4. 足りない避難便と再開する基地内小学校

 3 月 19 日(土)には横田空軍基地からシアトルに向けた第1便が、233 人の扶養家族を乗 せて出発した(20 日付 3 面)。さらに、20 日(日)の段階では、首都圏および東北地区の 7,900 人が軍のフライトを希望する事態となった。S&S はこの時期、福島第 1 原発が依然メルト ダウンの危機に直面していると捉えており、唯一の避難便拠点であった横田に加えて、厚 木、三沢の両基地も加える必要が出てきたと伝えている(21 日付 5 面)。扶養家族向けの 定期帰国便「パトリオット・エクスプレス」を避難用に振り向けるだけでは足りず、民間 機の運航を加えて、27 日までに 11 便が準備された。また、三沢空軍基地はもっとも北に あることから、帰国便の割り当ては最後にまわされた。

 21 日(月)には厚木海軍基地から第 2 便として 153 人が出発した。この段階で、避難便に 登録したのは 8,000 人に増加していた(22 日付 6 面)。このため優先順位の高いカテゴリー 4 の「妊婦」、次いでカテゴリー3 の「子ども連れの家族」に該当する家族が、長期間、基 地内の大型機用格納庫などで出発便を待たされることになった。

 この家族らは、「17 日(木)には切迫感があったが、だいぶトーンダウンした」、「みんな の心が事態の長期化を覚悟する方に傾きつつある」と、疲労感を訴えている(22 日付 6 面)。 そして「恐怖と家族を守るための離日」を求める声がある一方で、「放射能については懸念 していない」(同)という声を、S&S は独自取材して報じている。さらに災害支援の「ト モダチ作戦」に従事している横須賀・厚木の基地所属隊員が、軍が扶養家族に対して帰省費用と日当を支給していることについて、「頭がおかしくなってしまう」(同)と述べたと いう批判の声も紹介している。14 日には三沢空軍基地の小学校が再開(同)するが、22 日(火)には厚木海軍基地内の小学校が再開し、日本に残ることを決めた母親が、「私たちは 残ることを決めた。その方が 100 万倍も良い気がする」(同)と述べるなど、避難の判断が 揺らぎはじめたことがわかる記事が掲載されている。

6.5. 何が教訓に残ったのか

 在日米軍も、1 万人単位の扶養家族を国外退避させる事態は想定していなかった。およ そ 1 カ月間にわたって行われた国防総省による自主避難プログラムが指示された 2 日後に は、避難の第 1 便が出発するという素早い対応だったが、その後の避難便は週数便のペー スに留まり、結果として脱出希望者の多くを基地内に留め置く事態となった。

 また、避難便への搭乗希望を受けつけた国防総省とは違って、在日米軍は断続的に避難 の必要性がないことを訴えていた。自主避難が指示された後も 4 軍を統括する太平洋軍司 令が、「緊急避難の必要性なし」(3 月 23 日 1 面)、「避難は容易ではない」(25 日 5 面)な どと避難を思いとどまるように訴えている。さらに「安全な場所に留まるべき」の記事で は(30 日 16、17 面)、避難の選択を迫られた扶養家族コミュニティーが混乱する様子を伝 えている。

 そして、「避難生徒を早く学校に戻すように指示」(30 日 3 面)や、避難先の「グランド フォーク、ハワイでの避難経費比較」(30 日付 16 面)、S&S ウェブサイト(ストライプス・ コム)に寄せられた意見として、「自主避難は有給休暇か」(30 日付)、「自主避難で受け取 る現金」(31 日付)、そして子どもの避難基準が混乱した結果、「病院の警告で挫折する家 族」などの様子が伝えられている(4 月 2 日付 1 面)。S&S のこうした記事を通しても、福 島原発の事故という深刻な事態に対して、同盟国としていかなる態度で臨むかの点で、国 務省と国防総省との間で考え方の違い、それにもとづく対応の違いがあったことが浮き彫 りになる。

 S&S は、4 月 17 日付で「国防省が避難家族に日本帰国指示」(1 面)と伝え、あわせて 「兵士の危険手当は 5 月までに終了」(同 3 面)と、実質的に緊急体制が解かれることを報 じている。

自主避難を行った 1 万人が実際に日本を脱出するまでに数週間を要した。代替の避難手 段の有無については報じられていないが、こうした現状を考えると、福島第 1 原発の爆発 事故影響がさらに拡大した場合には、多くの被害が生じたことが予想される。

 今回のような大規模な民間人の避難手段の確保に関して、米軍にとってもさまざまな示 唆が得られたようである。5 月に入ると「在韓米軍に教訓」(5 月 22 日 1 面、3 面)として、 避難家族の受け入れが朝鮮半島有事の際の貴重な教訓となったことを報じている。

6.6. 「自主避難」に隠された大規模作戦についての検証

 本報告は原発事故発生直後の約 3 カ月間の S&S 報道を検証対象としているが、在日米海軍を取り巻いていた周辺情勢について触れておきたい。あわせて、日本在住の米国人らを対象とした「自主避難」作戦の全体像について隠された点について指摘しておきたい。

 2010 年末の 12 月 3 日から 1 週間、日本列島周辺全域を演習エリアとして米海空軍と海上・航空自衛隊は 3 年ごとに実施している日米合同統合演習「キーン・ソード 2011」(注: 米国会計年度表記)を過去最大の規模で展開していた。アメリカ太平洋軍(USPACOM) の主力となる第 7 艦隊(母港・横須賀)の原子力空母ジョージ・ワシントンがクリスマス 休暇と定期修理のために横須賀海軍施設に入渠したのは 12 月 14 日、翌年 5 月一杯までか かる長期間のメンテナンスに入った。これと交代する形で、同第 3 艦隊(同・カリフォル ニア州サンディエゴ)主力の原子力空母ロナルド・レーガンが、米韓合同演習として太平 洋西方に展開している。

 一連の「自主避難」の発端となったのは、本報告でも指摘したように、2011 年 3 月 15 日に横須賀海軍施設内などで放射線値の上昇を確認したことだった。この事態を米国政府 は重視する。この 2 日後、17 日にはバラク・オバマ大統領が、「避難」を発令する状況で はないことを呼びかけると同時に、国防総省は「予防的措置」として日本国内(本州)の 米国人に対して「自主避難」を指示した。

 S&S では独自ニュースとして、同 17 日付 1 面で「最悪の場合」が生じた場合、在日米 軍を含む米国人ら 86,000 人規模の、きわめて大規模な避難が必要となる「可能性」を、ワ シントン DC 発で報じている。この「予防的」措置は、北米全域を担当エリアとするアメ リカ北方軍(USNORTHCOM)が主体となる「オペレーション・パシフィック・パッセー ジ」(太平洋横断作戦)として展開された。同作戦では自主避難民の緊急空輸ならびに受け 入れ体制を整えた。さらに、日本に居住している扶養家族を「自主避難」させるにあたっ ては、アメリカ太平洋軍(USPACOM)のトップが急遽来日して、その直接に扶養家族ら とのタウンミィーティングを開催するなど在日米軍は万全の態勢を敷いた。

 米軍による非戦闘員避難は、「自主避難」(Voluntary Departure)「正式避難」(Authorized Departure)、「命令避難」(Ordered Departure)の 3 段階に分けて行われる。

 自主避難は原則として自弁で行われ、避難するかどうかの判断は当事者に任される。そ して次のステップからは国費負担での避難に切り替わる。今回の発災以降の避難体制は、 「自主避難」と位置づけられていたのが、実際には米政府が避難費用を負担しており、当 初から「正式避難」に準じる避難レベルで開始されたといえる。

 同時期、米国政府が災害支援作戦「トモダチ作戦」を被災地全域に渡って展開していた ことはよく知られている。事実、発災後 2 カ月間で、およそ 20 カ国・地域と国連組織から 緊急援助および医療支援などのチームが東日本の被災地で活動した。なかでも最大規模の 災害支援作成を展開したのが米国であったが、そのかたわら米国務省と米軍は、別の大作 戦を進めていたのである。

 「太平洋横断作戦」では、約 8,000 人の扶養家族が米国本土などに避難した。アメリカ 北方軍は、連邦緊急事態管理庁(FEMA)などと連携してこの作戦を展開したが、航空機 の調達には限界があり、3 月 19 日から開始された軍による自主避難便の運航は、最終便が 米国内に到着した 3 月 30 日まで 10 日以上の日数を要している。なお同作戦では、放射能 汚染がさらに拡大した「最悪の場合」に対応する避難手段が準備されていたと考えるのが自然である。  「最悪の場合」、対象となる米国人は 86,000 人におよび、作戦は単なる避難民の空輸作戦にとどまらず、過去に例をみない規模での「命令避難」、つまり大規模な非戦闘員避難作戦(NEO:Noncombatant Evacuation Operation)に切り替えて発動する可能性があったので ある。

 横須賀海軍施設で入渠中だった空母ジョージ・ワシントンは、通常 1 月から 4 月一杯ま でが定期修理期間となっている。前方展開中の主力艦は常時 1 カ月以内に出港可能な体制 を取っているとされるが、発災直後、わずか 10 日で出港できる状態にまで戻した。だが核 廃棄物の搬出および航空機の離発着装置(カタパルトおよび降着装置)の整備はいずれも 途中のままで、固定翼機の発着ができない状態のまま、震災発生後 10 日目の 3 月 21 日午 後、乗組員をデッキに並べる登舷礼を省略して緊急出港した(核廃棄物の搬出や着艦訓練 は 6 月に再開している)。

 不完全な状態の空母を緊急出港させた意図は何だったのか。在日米海軍内でも出港理 由・目的地は明らかにされなかった。いずれにせよ、このあわただしい出動によって、横 須賀海軍施設はガラ空きの状態となり、居住地区内の扶養家族たちの不安は大きく膨らん だ(3 月 24 日付 5 面)。艦載機を搭載していない、つまり十分な受け入れ空間を持つ空母 を緊急出港させた理由は何だったのか。この事実を知った基地内の人たちの多くが、ベト ナム戦争末期、首都サイゴン陥落時の NEO 作戦、すなわち南シナ海に展開した空母を避 難船として用いた作戦と同じようなものが開始される可能性を考えたとしても不思議では ない。

 S&S の避難報道にタブーがなかったとは思えない。S&S は一連の自主避難に関する報道 で、国防総省からの自主避難指示が出されて以降、連日にわたって詳細な記事を掲載して いる。その一方で、この避難作戦名が紙面上に現れるのは 3 月 30 日付 16 面の三沢空軍基 地発の記事が最初で、実質的に避難便の最終便が運航された直後のことである。しかもこ れは、避難を自粛すべしという記事の文脈で触れられている。そして私たちが検証した期 間の記事の中に、ふたたびこの作戦名が登場することはなかった。1 万人規模の自主避難 作戦の名称の使用を避けなければならない理由があったのだろうか。

 国防総省は 4 月 15 日に、自主避難計画よる資金補助を 25 日で終了する旨を避難中の扶 養家族らに伝え、自主避難指示は事実上解除された(4 月 16 日付 1、3 面)。これに合わせ る形で第 7 艦隊主力の空母ジョージ・ワシントンが横須賀海軍施設に戻ったのは 4 月 20 日である。およそ 1 カ月遅れでの定修入りであった。その後通常の出航をしたのは 6 月 12 日、およそ 3 カ月間の震災支援体制を終えて、在日米軍はほぼ発災前の体制に戻った。

7. 考察

 ここまで本稿では、S&S の米軍“準機関紙”としての性格や、その取材・編集体制を踏 まえつつ、原発事故をめぐる報道内容の検証を行ってきた。以下、どのような点で S&S の 報道が日本のマスメディアの報道とは異なり、それがどのような要因によってもたらされたのかを考察する。  まず、原発事故そのものに関する事実経過については、S&S は多くを通信社が配信する記事に依存していたこともあり、独自の情報を入手し、報道を行っていたとは言いがたい。 しかし、情報の「伝え方」は日本のマスメディアとは異なっていた。つまり、日本の新聞 やテレビ局の多くが、原発事故の状況、とりわけメルトダウンの可能性について、きわめ て慎重な報道ぶりだったのに対し、S&S にはそうした躊躇はなかった。結果から見るなら ば、2013 年の現段階で判明している事実に照らして、S&S は事態の推移を客観的に伝えて いたといえる。

 そうした差異は、原発事故による放射能汚染やその影響、さらには避難の呼びかけに関 する報道を見るとさらに際立つ。これらのニュースは、米軍基地の関係者にとっても最大 の関心事であったことから、放射能汚染の広がりや米軍基地内の動きについては独自取材 も含めて手厚く報道されている。基地内で放射線が検出されたといった情報については、 放射線量も含めて事実を詳細に報じられ、また、在日米軍関係者の一部の家族が米軍の承 認を受けて日本から退避する動きについても逐一報道されている。基本的な報道姿勢とし ては、放射能被害の影響や拡大の可能性について、冷静な受け止めを呼びかけているもの の、基地関係者がとるべき行動の指針となりうる情報を提供していたと言える。S&S の読 者層は、主に在日米軍関係者とその家族であり、福島第 1 原発の近隣住民を含めた幅広い 読者層、視聴者層を持つ日本の新聞社やテレビ局と違って、事故の深刻さを強調しても、 住民のパニックなどの混乱を懸念する必要はなかったわけである。

 これはもちろん、米軍の“準機関紙”という S&S の性格によるところが大きい。在日米 軍関係者が、有事に際して自らの行動を判断する情報は、米政府から各地域の在外米軍の 情報伝達システムを通して伝えられる。それとは別にあるのが数々の米軍が提供する情報 であり、S&S はその情報伝達手段の 1 つであった。そして、特筆しておくべきことは、東 日本大震災によって「想定外」の災害に見舞われ、それに対応する心構えも準備もできて いなかった私たちとは異なる情報伝達システムのなかに、S&S の読者がいたということで ある。米政府、あるいは米軍は、原発でメルトダウンという深刻な事態が起きていること を最初から予測し、自国民と軍を守るために最大限の措置をとった。他方で、日本政府の 対応は後手にまわり、マスメディアの慎重な報道もあって、結果として、私たちはそうし た情報の流れからは疎外されていたことになる。

 そして、こうした差異は、S&S、あるいはそれを取り巻く米軍関係者が、原発事故を「有 事」と捉えるか、「平時」での深刻な事態と捉えるかという考え方の違いによっても生じた ものと考えられる。在日米軍関係者は「有事」にいつ臨むかもしれない覚悟のなかで日本 に滞在している。勤務地としての日本には一定期間しか在留しない米軍関係者とその家族 は、退避すれば、深刻な事態を回避できる存在であるともいえる。S&S とは、「有事」に 際しては、いつでも避難するという覚悟ができている者を対象としたメディアであり、そ のことが取材、編集方針にも影響しているといえる。

 さらには、S&S が日本のマスメディアの放射能汚染報道に信頼を寄せていなかった可能 性も指摘できる。第 2 次世界大戦末期に日本に投下した原子爆弾の研究開発以降、戦後冷戦下で核兵器開発や核実験を繰り返し行い、放射線の研究を積み重ねてきた米軍が、放射 能の影響に関しては、日本よりもはるかに信頼できる情報源であることに疑問の余地はな い。さらに 1979 年 3 月のペンシルベニア州スリーマイル島の原発事故を経験したアメリカ は放射能汚染についてはきわめて敏感である。S&S の報道からは、こうした米軍関係者の 考え方が浮かび上がってくる。

 いずれにしても、報道から分かるのは、米軍、そしてその“準機関紙”である S&S は、 東日本大震災とそれに続く放射能汚染被害の拡大を、戦争と同レベルの「有事」と判断し、 情報を伝えていたことである。そして、そうした判断のもと、メルトダウンの可能性や放 射能の影響について即座に言及し、米軍関係者の避難報道を行った。その姿勢は、結果と して、読者にとってより的確な情報を提供していた可能性が高い。

 もちろん、こうした比較だけでは、日本のマスメディアに構造的な問題があり、それが 結果として報道の停滞に結びついたと結論づけることは難しい。日本の新聞社やテレビ局 には、原発周辺住民のパニックを引き起こさないように配慮することが求められ、政府や 電力会社など当事者からの裏づけがなければ報道が難しいといったさまざまな制約がある。 ただ、水素爆発で原子炉建屋が吹き飛び、複数の原子炉でのメルトダウンが強く疑われた 「有事」において、平常時と同じ姿勢や基準で報道することが適切かどうか、S&S の報道 のあり方は、日本の原発事故報道に再考を促すものになった。そして、そうした事態を招 いた背景には、広く指摘されているように、「有事」に即応しうる専門的な知識や取材上の 訓練が十分ではなく、さらには、そもそもどのような事態を「有事」と捉え、どういった 体制で臨むかについて準備が不十分だった点があると思われる。

 S&S と日本のマスメディア(新聞社・テレビ局)は、その歴史的背景や報道機関として の性格、読者層や視聴者層、日本社会への影響力などの面で、まったく異なるメディアで ある。しかし、原発事故をめぐる S&S の一連の報道分析を通じて、日本のマスメディアが どのような問題を抱えているのか、その一端が浮き彫りになったと考えられる。

 本報告は、震災報道検証プロジェクトの有志らが協力して作成した。これまで研究・検 証対象にされたことがなかった S&S を対象としたことで、本報告が明らかにした点は少な くなかったと考えている。今後、本報告が研究資料として広く活用されることを願うとと もに、本プロジェクトとしても、新たな視点から、この未曽有の大震災、そして、いまだ 収束の兆しが見えない福島第 1 原発事故の検証を継続していきたい。

謝辞

本稿執筆に当たり、Stars and Stripes 紙には、ヒアリングへの対応や質問への書面での回 答などで協力をいただいた。関係各位に感謝申し上げる。

本報告で検証対象とした Stars and Strips 紙の記事一覧

[対象期間]2011 年 3 月 12 日~6 月 1 日

【凡例】

  •  面数を示す項の「16-17」は、見開きページを示す。

  •  段数はカラム(column)を指す。原則として「5 段」が横 1 面を使うトップ扱いの記事。

  •  出所は以下のとおり略記した。

AP: The Associated Press、S&S: Stars and Stripes、WP: The Washington Post、LAT: Los Angeles Times、

BN: Bloomberg News、USAF: the U.S. Air Force

  •  各記事の抄訳等は、本プロジェクトのウェブサイト <http://mispjt.web.fc2.com/> で、2013 年 1 月 6 日から公開している。

【執筆担当】 村上聖一(1・7 章) 大野哲弥(2 章) 羽生浩一(3 章) 安野雅人(3 章) 下村元之(4 章) 多田敏男(5 章) 大津昭浩(6・7 章) 志藤聡子(記事一覧)

  1. 1) 『福島原子力事故調査報告書』(東京電力、2012 年)では、福島第 1 原発 1~4 号機の原子炉建屋は高 さ 10m(高さの起点となる小名浜港工事基準面(O.P.)から 10m の高さであるという意味)の敷地に 建設されており、津波の第 2 波はこの原子炉建屋周辺で 5.5m の高さまで冠水(浸水深)したと被害状 況を報告している。すなわち、1~4 号機に到達した津波は O.P.プラス 11.5~15.5m で、原子炉建屋周 辺全域が破壊されたほか、原子炉建屋上部の給気用ルーバー部などから浸水し、原子炉建屋地下階に 設置していた電源盤などの設備機能も失われた。

  2. 2) 分析対象の記事および紙面の画像については、S&S のウェブサイト(http://www.stripes.com/)にある Digital Edition 日本版(2012 年 6 月時点)から選択した。

  3. 3) 過去には「合衆国政府、国防総省、米太平洋軍の公式見解や支持されたものとみるべきではない」旨 が紙面に明示されていた。また、同紙には「社説」がなく、これは同紙が公平・中立であることを示 す姿勢の現れともみることができる。

  4. 4) 田中孝宜・原由美子「東日本大震災 発生から 72 時間 テレビが伝えた情報の推移」『放送研究と調査』 (2012 年 3 月)pp.2-21

  5. 5) 伊藤守『ドキュメント テレビは原発事故をどう伝えたのか』(平凡社、2012 年)

  6. 6) 遠藤薫『メディアは大震災・原発事故をどう語ったか』(東京電機大学出版局、2012 年)

  7. 7) 高野明彦、吉見俊哉、三浦伸也『311 情報学 メディアは何をどう伝えたか』(岩波書店、2012 年)

  8. 8) 花田達朗・教育学部花田ゼミ『新聞は大震災を正しく伝えたか』(早稲田大学出版部、2012 年)

  9. 9) 田中幹人、標葉隆馬、丸山紀一朗『災害弱者と情報弱者 3・11 後、何が見過ごされたのか』(筑摩選

書、2012 年)

  1. 10) 上丸洋一、小此木潔『現場からいちはやく記者が消えた! 原発とメディア 3・11 後』(朝日 WEB 新

書、2013 年)

  1. 11) ワシントン発共同電(2011 年 3 月 17 日 13 時 48 分)。米原子力規制委員会(NRC)は 16 日、東日本

大震災で事故が起きた福島第 1 原発の半径 80km 以内に住む米国民に対し、予防的措置として避難す るよう勧告した。避難が難しい場合は、屋内への退避を要請した。日本政府は同 20km 圏内に避難、 同 20~30km 圏内に屋内退避を指示しているが、米政府はより広い範囲を対象とした。また、ロイタ ー通信によると、米国務省は帰国を希望する米大使館員の家族を帰国させるため、航空機をチャータ ーした。

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