2014.5.22(木)
当時16歳のヒッキーのこのデビュー曲がリリースされた1998年、私は南相馬市(当時、原町市)に転勤しました。
翌年、2名が死亡した東海村JCO臨界事故が起き、具体的内容は忘れましたが、双葉郡8町村の首長、議員などから対応要請があり、あたふたした記憶が残っています。 その12年後にイチエフ事故が起き、8町村の方々が皆、避難を余儀なくされるようになるなどとは、当時、全く想像もできませんでした。
ただ、イチエフは、私も東電に案内され、燃料プールを含む内部視察も行いましたが、その時、何か得体の知れない薄気味悪さを感じたことは事実です(東電福島事務所は、その頃から約10年間、私が福島に戻ってからも、事故・アクシデントが起こる度に説明に来ました)。
そんな中で大ヒットしたこの曲。 TVを席巻しているアイドルやジャリタレとは異なる、ニューヨーク育ち、しかもあの「藤圭子」の娘というヒッキーのデビューは、極めて衝撃的、センセーショナルでした。 “天才現る” まさにそんな感じでしたね。