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#087 大飯原発3,4号機運転差止請求控訴事件
名古屋高裁金沢支部判決
(記事、社説、原告団・弁護団声明、判決要旨、判決全文)
2018.7.4
〇 朝日新聞デジタル(2018.7.4)
大飯原発、運転差し止め命令を取り消し 名古屋高裁支部
関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の運転差し止めを住民らが求めた訴訟の控訴審判決が4日、名古屋高裁金沢支部であった。内藤正之裁判長は運転差し止めを命じた一審・福井地裁判決を取り消し、住民側の請求を棄却した。
訴えていたのは、福井県などの住民183人。
2014年5月の一審判決は、運転を差し止めるかどうかの判断基準として「東京電力福島第一原発事故のような事態を招く具体的な危険性が万が一でもあるか」を挙げた。そのうえで、安全対策を講じる際に想定する最大の揺れ「基準地震動」を超える地震が05年以降、各地の原発を5回襲った点を重視。「大飯原発の安全技術と設備は脆弱(ぜいじゃく)なものと認めざるを得ない」と地震対策の不備を認定した。
控訴審では、地震学者の島崎邦彦・元原子力規制委員会委員長代理が住民側の証人として出廷。大飯原発の審査担当だった島崎氏は、現在の計算方法で基準地震動を算定すると、揺れが過小評価になるおそれがあると証言。再稼働に向けた審査は不十分だと訴えた。これに対し、関電側は規制委の見解などを根拠に、計算方法は妥当だと反論していた。
判決が運転差し止めを命じても、確定しない限り運転は可能。大飯原発3、4号機は一審判決前の13年9月から定期検査で停止していたが、再稼働の条件となる新規制基準に適合すると原子力規制委員会に認められ、3号機が今年3月、4号機が同5月に再稼働した。
◉ 朝日新聞 2018.7.5
論評なし
➡ 住民側の告訴断念、判決確定後に社説
大飯原発判決 福島の教訓はどこへ
福島第一原発事故の過ちを繰り返さないための教訓は得られた――。判決はそう評したが、果たしてそう言えるのか。
関西電力大飯原発3、4号機(福井県)の運転差し止めを地元住民らが求めた訴訟で、訴えを退けた名古屋高裁金沢支部の控訴審判決が確定する。原告側が最高裁への上告を断念した。
4年前の福井地裁判決は、福島事故後に発足した原子力規制委員会が定めた新規制基準への適否にとらわれず、「福島事故のような重大な事態を招く危険性があるか」を独自に検討して、差し止めを命じた。
これに対して高裁判決は、新規制基準について「各分野の専門家が参加し、最新の科学的・専門技術的知見を反映して制定された」とした上で、「その内容を尊重するのが裁判所としてふさわしい態度」と指摘。規制委による「適合」判断にも「不合理な点は認められない」として、原発の危険性は社会通念上、無視しうる程度に管理されていると結論づけた。
福島の事故の教訓とは何だったか。「原発は安全」と唱える多くの専門家の判断によりかかった結果、「想定外」の重大な事態が実際に起き、今も回復できない甚大な被害を招いたことではなかったのか。
高裁判決は、まるで福島の事故前に戻ったかのようだ。「事故の教訓はおおむね得られた」とする認識を見るにつけ、そうした思いを禁じ得ない。
高裁では主な争点にはならなかったが、重大事故を起こすと住民が安全に避難することが極めて難しいことも、福島事故の重い教訓である。
事故を受け、原発から30キロ圏内の自治体は避難計画の策定を義務づけられた。それが妥当で現実的かどうか、第三者が審査し、その上で再稼働の是非を判断するのが当然だろう。
ところが現状はそうなっていない。規制委は設備の技術的な安全審査に徹している。一方の政権は、規制委が安全と判断した原発は粛々と稼働させると繰り返すばかりだ。立地自治体が同意すれば再稼働しており、手続きに大きな欠落があるのが実情である。
高裁判決は、原発を廃止する選択も可能だとした上で、「司法の役割を超え、立法府や行政府による政治的な判断に委ねられるべきだ」と述べた。
国会と政府はどう受け止めたか。原発を閉じていく方針を明確に示し、避難計画を含めて再稼働の是非を厳しく判断する。福島の教訓を踏まえれば、それが当然の姿勢ではないのか。
◉ 読売新聞 2018.7.5
大飯原発控訴審 差し止めを覆した合理的判断
科学的知見を軽視した1審判決を覆した。妥当な判断である。
名古屋高裁金沢支部が関西電力大飯原子力発電所3、4号機の運転差し止めを命じた1審・福井地裁判決を取り消した。
福島第一原発事故後に相次いで提起された差し止め請求訴訟で、初の高裁判決だ。原発の運転を認めた現実的な判断は、他の裁判にも影響を与えよう。
判決は、原発の稼働を認めるかどうかの判断基準として、危険性が「社会通念上、無視しうる程度にまで管理されているか否かが検討されるべきだ」と指摘した。
「具体的危険性が万が一でもあれば差し止められる」として、「ゼロリスク」に拘泥した1審判決とは対照的である。
最大の焦点は、設備の耐震性評価の前提となる「基準地震動」策定の合理性の是非だった。
控訴審では、原子力規制委員会の委員長代理だった島崎邦彦氏が「関電の算定手法では過小評価になる可能性がある」と証言した。これに対して判決は、詳細な調査を基に策定されており、「不合理とはいえない」と結論付けた。
大飯3、4号機は昨年5月、福島第一原発事故の教訓を踏まえて強化された新規制基準の下で、規制委の安全審査に合格した。既に再稼働している。判決は、規制委による慎重な審査結果を尊重したものだと言えよう。
最高裁は1992年、四国電力伊方原発の安全審査を巡る訴訟の判決で、「行政側の合理的な判断に委ねられている」との見解を示した。高度な科学的、技術的判断が求められるためだ。
今回の判決は、新基準について「専門家の議論が結実された」ものだと捉え、「その内容を尊重するのが裁判所としてふさわしい態度といえる」と強調した。判例に沿った常識的な結論である。
原発の再稼働を巡る地裁や高裁の判断は割れている。直ちに法的効力が生じる仮処分で、運転停止に追い込まれた原発もある。
エネルギーの安定供給に関わるだけに、下級審の判断で原発の稼働が左右される状況は好ましくない。再稼働の適否を判断する枠組みについては、拘束力のある最高裁の判例が必要ではないか。
差し止めを求めた住民側が、上告するかどうかが注目される。
無論、大地震を完全に予測することは困難だ。規制委も未知の震源での地震について、改めて検証を始めた。原発の安全性向上には不断の取り組みが欠かせない。
◉ 毎日新聞 2018.7.5
論評なし
◉ 日本経済新聞 2018.7.5
論評なし
◉産経新聞(主張)2018/7/5
大飯原発訴訟/政治の覚悟を問う判決だ
関西電力大飯原子力発電所3、4号機(福井県おおい町)の運転差し止めを平成26年5月に命じた福井地裁の判決が、名古屋高裁金沢支部によって取り消された。
高裁は、1審を不服として控訴していた関電の主張をほぼ全面的に認めた。上級審として誤りを正したことになる。
住民側が上告しなければ、3・11後の原発の安全性と運転の是非をめぐる裁判で事実上の初の確定判決となる。
これまでの複数の高裁判断は仮処分に対する決定であったので、本訴を扱った今回の名古屋高裁の判決は一段と重い。
第5次エネルギー基本計画で、原発は「重要なベースロード電源」と位置づけられている。
政府は、原子力規制委員会の安全審査に合格した原発の円滑な再稼働に向けて、積極的な調整に汗を流すべきである。
4年前の福井地裁の判決は、極端なゼロリスク論に立つものだった。「地震大国日本で、基準地震動を超える地震が到来しないというのは根拠のない楽観的見通し」として、原発に対する安全対策そのものを否定した。
地裁判決に対し、名古屋高裁は原発の有する危険性は「社会通念上、無視しうる程度にまで管理・統制されているか否かが検討されるべきである」とした。1審判決が軽視した「社会通念」の常識を尊重した、明快な論理である。
また、規制委が大飯原発の安全審査に用いた新規制基準にも不合理な点はないとした。
控訴審では、原発の耐震設計の基礎となる基準地震動の大きさが争点となったが、高裁は関電の取り組みを妥当と認めた。
関電が地震を起こす活断層の規模を、より大きく見積もることで過小評価になることを防いでいる点が是認されたのだ。
判決に、福島事故を踏まえて「わが国のとるべき道として原子力発電そのものを廃止・禁止することは大いに可能であろう」とする文言が含まれていることに注目したい。
その是非は、「もはや司法の役割を超え、国民世論として幅広く議論され、それを背景とした立法府や行政府による政治的な判断に委ねられるべき事柄である」と高裁は指摘した。
つまりは、政治の覚悟が厳しく問われているのだ。
◉ 福島民報 2018.7.5
論評なし
◉ 福島民友 2018.7.5
論評なし
◉ 北海道新聞 2018.7.5
大飯控訴審判決 住民の不安、直視したか
大地震がきっかけとなって起きた福島第1原発事故の教訓を軽視していないだろうか。
関西電力大飯原発3、4号機(福井県)の運転差し止めを周辺住民らが求めた訴訟の控訴審で、名古屋高裁金沢支部はきのう、差し止めを認めた一審判決を取り消し、住民側の請求を棄却した。
一審の福井地裁は4年前、大飯原発の地震対策に構造的欠陥があると指摘し、運転差し止めを命じた。関電側が控訴したため、この判決は確定せず、3、4号機は今春相次いで再稼働した。
今回の高裁判決は、再稼働の根拠となった原子力規制委員会の新規制基準について「不合理な点は認められない」とし、安全対策の欠陥も否定した。
具体的な危険性が万が一でもあるかを検証すべきだとした一審判決とはあまりに対照的だ。
高裁は規制委の判断を追認するだけで、住民の不安に向き合ったとは言い難い。
控訴審では、関電が大飯原発の耐震設計の目安として算定した揺れ(基準地震動)の妥当性が最大の争点となった。
住民側証人として出廷した元規制委員で地震学者の島崎邦彦東大名誉教授は、算定に用いた計算式を検証し、基準地震動が過小評価された可能性を指摘した。
関電側は「震源となる活断層の面積を詳細な調査で適切に把握した上で、より大きな面積を設定して算定した」と反論。判決はこの主張を採用し「過小だとは言えない」と結論づけた。
島崎氏は規制委員時代に大飯3、4号機の地震対策の審査を担当した専門家である。2016年の熊本地震のデータも参考にした指摘は傾聴に値する。
最新の科学的知見を取り入れ、安全基準を不断に補強していくことが、福島第1原発事故の教訓だったはずだ。
これを正面から取り上げずに「(大飯原発の)2基の危険性は社会通念上無視し得る程度に管理・統制されている」とまで言い切ったのは大いに疑問である。
福島の事故から7年が過ぎても、なお約5万人が避難生活を強いられている。またこの間にも熊本地震や大阪府北部地震など大きな地震が各地で発生した。
原発に対する国民の不安が増す中、取り返しのつかない過酷事故を「想定外」で済ますことはもはや許されない。
こうした厳格な姿勢こそ、司法に求められていたのではないか。
◉ 河北新報 2018.7.5
論評なし
◉ 中日新聞・東京新聞 2018/7/5
大飯原発控訴審 司法は判断を放棄した
住民の「人格権」を尊重し、関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止めを認めた一審の判断は、いともあっさり覆された。「原発の是非は政治に委ねる」という裁判所。一体誰のためにある?
「福島原発事故の深刻な被害の現状に照らし、原発そのものを廃止・禁止することは大いに可能であろうが、その当否を巡る判断はもはや司法の役割を超え、政治的な判断に委ねられるべきだ」と名古屋高裁金沢支部。結局は判断の放棄であろう。
福島の悲惨な現状を認めた上で、判断を放棄するのであれば、「司法の役割」とは何なのか。
二〇一四年の福井地裁判決は、憲法一三条の幸福追求権などに基づく人格権を重んじて「具体的危険性が万が一でもあれば、差し止めが認められるのは当然だ」と言いきった。
福島原発事故のあと、初めて原発の運転差し止めを認めた画期的な判断だった。
高裁はこれを「内在的な危険があるからといって、それ自体で人格権を侵害するということはできない」と一蹴した。
内在する危険に対して予防を求める権利は認められないということか。あまりにも不可解だ。
控訴審では、耐震設計の目安となる揺れの強さ(基準地震動)の妥当性、すなわち、原発がどれほどの揺れに耐えられるかが、最大の争点とされていた。
元原子力規制委員長代理で地震学者の島崎邦彦東大名誉教授は法廷で「基準地震動は過小評価の可能性があり、大変な欠陥がある」と証言した。
それでも高裁は「高度な専門知識と高い独立性を持った原子力規制委員会」が、関電側がまとめたデータに基づいて下した判定をそのまま受け入れた。そして「危険性は社会通念上無視しうる程度にまで管理・統制されているといえるから、運転を差し止める理由はない」と断じている。
ここでも規制委と関電の主張を丸のみにした判断の放棄である。
それにしても、今や原発の危険性を測る“ものさし”になってしまった「社会通念」。その正体は何なのか。
避難計画の不備や核のごみ問題などどこ吹く風と、政府は再稼働に前のめり。司法が自らの責任を棚に上げ、政治に委ねるというのなら、もはや「追従」と言うしかない。
「内在する危険」に対する国民の不安は一層、強まった。
◉ 福井新聞(論説)2018.7.5
大飯原発控訴審判決 安全の過大評価は禁物だ
関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)運転差し止め訴訟の控訴審で名古屋高裁金沢支部(内藤正之裁判長)は、一審の福井地裁判決を覆し、関電に運転を認める判決を下した。
一審判決は地震対策に「構造的な欠陥がある」と断じたが、控訴審判決では関電の主張を全面的に受け入れた形だ。
運転差し止めの仮処分では、これまで高裁決定は4件あり、うち広島高裁は昨年12月に四国電力伊方3号機の運転を禁じた。
今回の判決で高裁レベルでは国策を後押しする流れが強まったといえよう。30件以上に上る係争中の原発訴訟にも影響が出そうだ。
差し止め訴訟は、仮処分を求める訴訟とは違って、判決が確定しなければ差し止めにはならず、関電は今春、3、4号機を相次いで再稼働させている。運転が容認されたからといって、不断の安全対策が求められるのは当然だ。
今夏に実施予定の高浜、大飯2原発を対象にした総合防災訓練や、モデル事業として行う避難道路の改修なども国が前面に立って実効性の高いものにしていく必要がある。
控訴審で最大の争点となったのは耐震設計の目安となる揺れ「基準地震勣」が妥当かどうか。
大飯原発の地震対策を審査した元原子力規制委員長代理の島崎邦彦氏が「過小評価になっている」と証言。
これに対し内藤裁判長は「詳細な調査に基づき、震源断層の長さ、幅などを保守的に評価している」などとする関電の主張を認め、「過小であるとはいえない」とした。
一審判決で「福島原発事故のような事態を招く具体的危険性が万ーでもあれば、差し止めが認められる」としていた審査過程の「判断枠組み」に関して、控訴審判決は新規制基準に違法、不合理な点はないとし「原子力規制委員会の判断にも不合理な点は認められず、発電所の危険性は社会通念上無視しうる程度にまで管理されている」とした。
火山灰対策や使用済み核燃料なども同じ論理を繰り返すにとどまった。
原告の住民側は、島崎氏の証人尋問で「歴史的な一日」と評するなど、流れを引き寄せたかに見えた。
しかし、その後、専門家らの尋問を求め弁論再開を5度申し立てたが、いずれ
も認められず結審。
この段階で今回の判決は予想されていたといえる。
結局、最高裁が1992年の四国電力伊方原発行政訴訟判決で示した国の裁量権、国や電力事業者の立証責任といった考え方を踏襲した格好だ。
原発廃止は可能としながら「もはや司法の役割を超える」と裁判所として科学的判断を回避したことは禍根を残さないか。
一審判決は原発から250キロ圏の原告人を適格とするなど確かに注目すべき判断だったが、使用済み核燃料事故まで想定した辺りは福島事故を感情的に捉えた印象が拭えなかった。
一方、高裁判決は規制委などの専門性に重きを置いた。
ただ、その規制委が絶対の安全を保証したわけではないとした経緯がある。
「安全」の過大評価は禁物だ。
◉ 信濃毎日新聞 2018.7.5
大飯控訴審 司法の後退は許されない
主体的に判断しないということなのか。
福井県の関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止めを巡る控訴審判決で、名古屋高裁金沢支部は、差し止めを認めた福井地裁の判決を取り消し、住民側の請求を退けた。
原子力規制委員会の新規制基準に不合理な面はないとし、稼働の安全性を認めている。
いまの原子力行政の仕組みを肯定しすぎた感が否めない。
原発の新規制基準について、裁判長は「専門家が参加し、最新の科学的・技術的知見を反映し制定された」と評価。規制委の審査も合理的で、危険性は無視できると結論付けている。
基準は設備面の適合性を見る指針にすぎない。規制委も「安全の保証ではない」と認めている。政府は「世界最高水準」と繰り返すけれど、原子炉や原子炉建屋の構造強化が不十分なことは、多くの専門家が指摘している。
何より、住民の避難計画が規制委の審査対象に含まれていない。16万もの人々が故郷を追われた福島の現実があるのに、判決は住民避難に触れなかった。
重大な事故に対処できるよう管理・統制されていれば「原発に内在的な危険があるからといって、人格権を侵害するとはいえない」と断じている。
控訴審では、耐震設計の目安となる揺れ「基準地震動」の妥当性が焦点になった。規制委の元委員長代理が、基準地震動が過小評価された可能性を指摘し「想定に大変な欠陥がある」と証言したものの、考慮されなかった。
裁判長も重視した争点なのに、住民側が行った地震学者らの証人申請を却下している。訴訟指揮にも疑問が残る。
原発の廃止は「大いに可能」としながら、判断を立法府や行政府に委ねた点も見過ごせない。
3・11後、最高裁は「原発訴訟特別研究会」を設けた。全国から集まった裁判官からは、行政手続きの適否にとどまってきた従来の判断の枠組みを見直すべきだ、との意見が聞かれた。
その後、福井地裁、大津地裁、広島高裁は、地震や津波、火山対策を独自に見極め、運転差し止めを認める判決、仮処分決定を出してきた。再び主体的な判断を避けるようになっては、司法の後退と言わざるを得ない。
憲法に記されている通り、それぞれの裁判官が独立した職権を行使し、厳密な検討を重ねていけば原発がはらむ不合理は、より明確になっていくはずだ。
◉ 京都新聞 2018.7.5
大飯原発控訴審 住民の不安膨らむ判決
関西電力大飯3、4号機(福井県おおい町)の運転差し止めを周辺住民らが求めた訴訟の控訴審判決で、名古屋高裁金沢支部は、差し止めを認めた福井地裁判決を取り消した。
住民側の逆転敗訴である。
判決は原子力規制委員会が定めた新規制基準を「最新の科学的、専門的知見を反映した」と評価、「危険性は社会通念上無視できる程度まで管理・統制されている」とし、2基が新基準に適合するとした規制委の判断を追認した。
「社会通念上」とは何を示すのか。どの程度なら危険を許容できるというのか。住民の不安はかえって膨らむのではないか。
「具体的な危険性があれば運転の差し止めは当然」とした福井地裁の判断とは対照的な考え方だ。
原発を巡る司法判断では、一審で差し止めの判断が出ても、上級審などで覆る事例が少なくない。
隣接する福井県高浜町の高浜原発3、4号機について、運転差し止めを命じた2015年4月の福井地裁の仮処分決定は同年12月に同じ福井地裁で取り消された。16年3月には大津地裁が運転差し止めの仮処分決定をしたが、17年3月に大阪高裁が取り消している。
今回の控訴審も「高裁の壁」に阻まれた。原発の稼働を止めるハードルは上がったように思える。
最大の争点は、関電が設定した耐震設計の目安となる揺れ(基準地震動)の妥当性だった。原告側は算出に用いた計算式を検証し、過小評価となっている可能性を指摘したが、高裁はこれを退けた。
すでに営業運転していることをふまえ、関電側の主張を追認したかのようにみえる。
気になるのは、「福島原発事故に照らし、原子力発電そのものを廃止することは可能だろうが、その判断は司法の役割を超えており、政治的な判断に委ねられるべき」と述べていることだ。
原告の主張を退ける判断をしておきながら、原子力発電の存廃について深入りを避けようとするのはなぜなのか。司法の役割を放棄したと思われても仕方ない。
大飯、高浜両原発は14キロしか離れておらず、災害時に同時に被害を受ける可能性がある。
しかし、政府と福井県はそれぞれの原発で事故が起きた場合の避難計画はまとめたが、両原発が同時被災した際の計画は作成していない。
原発に関する施策が貧しい現状があるからこそ、司法には根拠のある判断をしてほしかった。
◉ 神戸新聞 2018.7.5
大飯原発控訴審/「安全神話」が生きていた
関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止めを周辺住民らが求めた裁判で、名古屋高裁金沢支部は一審の福井地裁判決を取り消し、訴えを棄却した。
2014年の一審判決は、関電の地震対策に「構造的な欠陥がある」として差し止めを命じ、関電側が控訴した。原子力規制委員会は結審を待たず、再稼働を認めた経緯がある。
控訴審では規制委の審査を指揮した前委員長代理が、住民側の証人として関電の地震想定は過小評価の可能性があると、安全性に疑問を呈した。
しかし高裁は「新規制基準や規制委の判断に不合理な点は認められない」とした。高度な技術が結集した原発の判断は専門家に委ねるとする判例から、踏みだそうとしなかった。現状を追認した印象だ。
高裁段階で原発差し止めの仮処分が出された例はあるが、差し止めを求めた裁判での運転容認は初となる。今後、各地の訴訟にも影響を及ぼすことになりそうだ。
控訴審判決で内藤正之裁判長は「原子力発電そのものを廃止することは可能だろうが、その判断は司法の役割を超えており、政治的判断に委ねられるべきだ」と述べた。
確かに原発政策の可否は、国民の声にていねいに耳を傾けながら政治判断すべきだろう。
しかし個々の原発について司法が踏み込んだ判断を避ければ、再稼働や運転の継続が既成事実化しかねない。
行政から独立した立場で原発の適法性と安全性を厳しく審査する。相次ぐ原発訴訟で、民主主義の原則である三権分立に国民が期待を寄せていることを自覚してもらいたい。
原発の安全性を専門家に委ねる考え方は、1992年に最高裁が示した伊方原発訴訟判決に基づいている。国の審査基準や調査過程に著しい過ちがある場合に限り違法とした。
原発の「安全神話」が信じられていた時代の発想を踏襲した今回の判決には驚く。
7年前の福島第1原発事故以降、原発に対する国民の意識は大きく変わり、原子力施策も修正を迫られた。裁判所も過酷な事故を引き起こした教訓に正面から向き合わねばならない。
◉ 高知新聞 2018.7.5
【大飯原発訴訟】気になる司法判断の流れ
原発は安全といえるのか―。東京電力福島第1原発事故を受け、問われ続けるこの問題にまた一つ、司法の判断が加わった。
関西電力大飯原発3、4号機(福井県)の運転差し止め訴訟の控訴審判決で、名古屋高裁金沢支部は、差し止めを認めた一審の福井地裁判決(2014年)を取り消した。住民らが逆転敗訴した。
差し止め訴訟は仮処分の申し立てと異なり、確定するまで効力を持たない。大飯3、4号機はことし3~5月に再稼働しており、控訴審判決は事実上、これにお墨付きを与えたことになる。
判決で注目すべきは「2基の危険性は社会通念上無視し得る程度にまで管理・統制されている」と認めた点だ。住民らの生命と生活を守る人格権を侵害する「具体的危険性はない」と言い切った。
一審とあまりに対照的だ。
福井地裁判決は、「よって立つ」指針として人格権を挙げた。福島の事故のような被害を招く「具体的危険性が万が一でもあるのかが判断の対象」と位置付け、原子炉規制法などに「左右されない」とした。
その上で、関電が策定した大飯原発の基準地震動(耐震設計の目安となる揺れ)を上回る地震発生の可能性などに言及。大飯原発の安全性を「楽観的」「脆弱(ぜいじゃく)」と批判した。
福島事故で原発の「安全神話」は崩壊した。「想定外」におびえる住民に寄り添った判決といってよい。これに対し二審は、関電側の主張を全面的に採用した形だ。
原子力規制委員会の新規制基準は最新の科学的、専門的知見を反映したもので、その基準と規制委による大飯3、4号機の適合判断はいずれも不合理な点はない、とした。
最高裁は、1992年の四国電力伊方原発を巡る判決で、判断は「行政庁の判断に不合理な点があるか否かという観点から行われるべきだ」との見解を示している。
名古屋高裁支部もこの枠組みを踏襲したといえよう。福島事故の後、全国で相次ぐ原発の運転差し止めを巡る多くの司法判断も同様の流れにある。
訴訟の控訴審判決は今回が初めてで、係争中の同様の訴訟に与える影響は少なくあるまい。規制委の前委員長は新規制基準が「絶対安全とは申し上げない」と発言したが、司法が新規制基準を重視する流れが加速する可能性がある。
今回の判決は原発の廃止・禁止にも触れている。「判断は司法の役割を超え、国民世論として幅広く論議され、立法府や行政府の政治的な判断に委ねられる」とした。
司法の立ち位置の強調にも、議論の呼び掛けにも聞こえるが、原発の危険回避には廃止を急ぐことが最善ではないのか。
国際的には再生可能エネルギーが重視される方向にあるが、日本政府は原発回帰が鮮明だ。司法判断の流れも気になる。原発をどうするのか国民的論議が不足している。
◉ 南日本新聞(鹿児島)2018.7.5
[大飯原発控訴審] 不安に誰が応えるのか
関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の周辺住民らが運転差し止めを求めた訴訟の控訴審判決で、名古屋高裁金沢支部は、差し止めを認めた一審福井地裁判決を取り消した。
原子力規制委員会の新規制基準に適合した2基について「危険性は社会通念上無視し得る程度にまで管理・統制されている」とし、安全性が確保されたと判断した。
東京電力福島第1原発事故後の住民の不安を受け「具体的危険性が万が一でもあれば、運転差し止めは当然」とした一審判決とは正反対の判断である。
新規制基準が原発の安全性を必ずしも担保しないことは、九州電力川内原発再稼働の際に当時の規制委員長が言及している。
この基準に適合したから「社会通念上無視し得る」とは、原発の危険性を軽く見過ぎていないか。住民の不安に寄り添う姿勢に欠ける判決と言わざるを得ない。
判決理由で内藤正之裁判長は、新規制基準について「最新の科学的、専門技術的知見を反映して制定された」と評価した。
だが、福島の原発事故では「想定外」の規模の津波によって、計り知れない被害がもたらされたことを忘れてはならない。
「最新の科学」や「専門技術的知見」が、いつ、どこで、どれくらいの規模で起きるか想定できない災害に本当に対処できるのか。不安は拭えない。
一審判決は耐震設計の目安となる基準地震動について、「地震によって事故が起きる危険性についてあまりに楽観的」と関電を厳しく批判した。だが、高裁は関電側の主張を全面的に採用した形になった。今年3~5月に2基が再稼働し、既に営業運転に入っていることにも配慮したように見える。
福島の事故後に起こされた原発の運転を巡る訴訟や仮処分申し立てで司法判断が揺れる中、今回は初の高裁判決で注目された。
それなのに、福島原発事故の被害に照らせば「わが国の取るべき道として原子力発電そのものを廃止することは可能だろう」としながらも「その判断は司法の役割を超えており、政治的な判断に委ねられるべきだ」と判断を放棄したかのように述べたのは残念だ。
脱原発を求める世論が高まる中、原発の再稼働について、政府は「規制委で安全性が認められた」とし、規制委は「基準の適合性を審査した」とするのみで、誰も主体的に責任を持とうとしない。
それならば「司法判断を」と、住民からの訴訟や仮処分申し立てが今後も続く可能性がある。原発に対する司法の姿勢が問われる。
③ 原告団・弁護団声明
名古屋高裁金沢支部による大飯原発訴訟控訴審不当判決に抗議する声明
2018年7月4日
大飯原発福井訴訟原告団
代表 中 嶌 哲 演
大飯原発差止訴訟福井弁護団
団長 島 田 広
1 名古屋高等裁判所金沢支部は,2018年7月4日,福井地方裁判所が2014年5月21日に言い渡した,関西電力株式会社に対し大飯原子力発電所(以下「大飯原発」)の3号機及び4号機の原子炉について運転差止めを命じる判決(以下「福井地裁判決」)につき,原判決を取り消し,住民らの請求を棄却する不当判決を言い渡しました(以下「本判決」)。
2 福井地裁判決は,生命を守り生活を維持する利益を日本国憲法が保障する人格権の中核部分として位置づけ,これらがきわめて広汎に奪われる原子力災害の具体的危険が万が一でもあれば,原発の差止めが認められるのは当然,という判断を示しました。「豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり,これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である」と語る判決の言葉は,現在もなお癒えることのない福島第一原発事故の被害に真摯に向き合う倫理的な問いかけであり,人権を守る砦としての裁判所の責務に忠実に原発の安全性を厳しく審査した同判決は,国内外で多くの共感を呼びました。
しかし,関西電力や原子力規制委員会は,原判決の指摘を真摯に受け止めることなく,控訴審の審理中にもかかわらず遮二無二大飯原発の再稼働を強行しました。「第二のフクシマ」をまたなければ,関西電力をはじめ,立法府も行政府も,廃炉・脱原発を決断できないのか?とさえ思わせるような,愚かな原発再稼働が進む中で,司法が国民の期待に応え,再び原発の安全性を厳しく審査するのか否かが,注目されていました。
3 審理の過程の中で,関西電力は,住民側が提起した疑問点にはまともに答えようとせず,また,安全性に関する関西電力の主張の根拠となる,基準地震動の算定や地盤調査に関する生データの開示を,一貫して拒否しました。その態度は,自らの基準地震動策定や安全審査について裁判所が科学的に再検討を行うことを妨害しデータ隠しに終始する,きわめて不当なものでした。
4 こうした関西電力による不当なデータ隠しにもかかわらず,裁判の中で次々に大飯原発の危険性が明らかになりました。
(1) 島崎邦彦・元原子力規制委員会委員長代理が,2017年4月に証言し,基準地震動策定の際に用いられる入倉・三宅式は,過去の地震データがない大飯原発で用いると,基準地震動の大幅な過小評価になることを,過去の複数の地震の科学的検証結果をもとに指摘し,政府の地震本部のレシピ改定にしたがった,より科学的で安全側に立った計算方法をとるべきであると指摘しました。
島崎証言の指摘は,纐纈一起東京大学地震研究所教授も繰り返しこれを支持しており,きわめて信用性の高いものでした。
(2) 物理探査学会元会長である石井吉徳氏はじめ複数の同学会関係者や,元京都大学防災研究所助教授の赤松純平氏が,関西電力の地盤調査がきわめて不充分で,しかも不充分な調査の結果すら関西電力の都合のよいようにゆがめて解釈されており,大飯原発の地盤は関西電力の想定より軟弱で,地下には断層の存在さえも疑われることを指摘しました。
関西電力の安全設計が,基準地震動の計算方法に加え,地盤調査でも,基準地震動の大幅な過小評価を引き起こす重大な欠陥のあるものだったことが明らかになったのです。
(3) さらに最近,原子力規制庁が,大飯原発の大山噴火に伴う火山灰想定が過小であると指摘し,関西電力による火山灰想定の欠陥が明らかになりました。このように,島崎氏の勇気ある証言を端緒として,1被告の地盤調査の問題点,2基準地震動の過小評価,3安全審査の欠陥など,生データの提出や各専門分野の有力な証人尋問によって解明する必要が生じており,住民側は複数の科学者証人の証人尋問求め,法廷の内外で,審理を尽くし事実を解明するよう裁判所に繰り返し求め続けましたが,裁判所は,2017年5月に原子力規制委員会が大飯原発を安全審査合格とするや審理終結を急ぎ,基準地震動の計算方法や地盤調査という,まさに原発の安全性の根幹に関わる重要な問題も含め島崎氏以外の証人全ての尋問を「必要性なし」として拒否し,強引に審理を終結するという暴挙に出ました。
5 本判決は,関西電力が基準地震動を策定した経緯や安全審査の過程について,関西電力の主張をそのまま引き写したかのような通り一遍の認定をし,それだけで,関西電力による安全性の証明はなされたものと認めました。これは,関西電力には,上記のような重大な疑問点に答える義務はないというに等しい,不当な判断です。
一方で,本判決は,住民側に対し,高度の具体的危険性を立証するよう求め,しかも,自ら住民側が請求した証拠調べを軒並み却下して立証手段を奪っておきながら,具体的危険性の証明がないなどとして,原判決を覆しました。
こうした判決内容を踏まえ,控訴審の経過をひと言で言えば,原子力規制委員会の安全審査の結果さえ出れば,裁判所は,自ら主体的に原発の安全性を審査することなく,住民側の立証手段を奪ってでも強引に審理を打ち切ってこれに追随するだけだった,ということになります。
これは,もはや裁判ではありません。
福島の被害に背を向け,「見ざる,聞かざる,言わざる」の態度で行政追随を決め込み,あたかも「関西電力のサーヴァント(召使い)」(審理終結後の記者会見での中嶌代表の言葉)であるかのごとく,住民側の裁判を受ける権利を奪った不当な「裁判」に対し,満腔の怒りをもって,強く抗議します。
6 本判決は,行政追随を急ぐあまり,多数の事実誤認や論理破綻を犯しています。
(1) 判断枠組みについて,いわゆる伊方型の判断枠組みを採用しながら,関西電力に求められる安全性の主張立証については,ほとんどその主張通りの認定に終始しており,先の高浜原発差止仮処分において大阪高裁が示したと同様の,電力会社寄りの事実認定となっています。
(2) 基準地震動に関して,本判決は,地震の予知予測は正確に行うことができないことは疑いがない,全国的な観測網の整備が進んでから蓄積されたデータが少ない,クリフエッジとされた基準地震動の1.8倍を超える地震動は将来来ないとの確実な想定は本来的に不可能,との原判決の指摘はいずれも正当と認めています。そうであれば,それだけで,現在の基準地震動では本件原発の安全は到底確保できず,具体的危険の存在を認めた原判決は維持されるはずでした。
ところが,本判決は,それは政策的な選択に委ねられるべきで,司法判断としては,「最新の科学的,専門技術的知見に照らし,その想定が合理的な内容となっているか否か」を問題とすべきだとして「クリフエッジとされた基準地震動の1.8倍を超える地震動」の可能性があっても,その想定は合理的なものでありうるかのごとき判断を示しています。
電力会社の安全設計が完全に崩壊するクリフエッジを超える可能性があるとしても,具体的危険はないといいうるという判断は,恐るべき安全軽視であり,そもそも司法審査を放棄したとしか言いようがありません。
(3) 本件訴訟の中心争点となった,大飯原発の基準地震動の著しい過小評価を指摘した島崎証言については,同証言が指摘する,関西電力の行った調査がきわめて不充分で,かつ,基準地震動の過小評価は関西電力の言うところの「保守的な評価」「不確かさの考慮」ではカバーしきれないほど大きなものであることを完全に無視し,きわめて抽象的に,関西電力の主張通りに,関西電力の想定が保守的であると認めています。真摯に基準地震動の合理性を検討しようとする姿勢は微塵もありません。
(4) 地盤調査について,原子力規制委員会の審査ガイドでは,敷地地下の地層が水平かつ成層でなければ,3次元的な評価をしなければならないのに関西電力がこうした調査をしていないことについて,本判決は,そもそも地層が均質な水平成層構を呈していることなど考えにくい,という乱暴な認定をしました。そうであれば,審査ガイドにしたがって3次元的な評価をしなければならないのに,それをしていない関西電力の調査の不充分さについては,完全にこれを無視しています。
また,一審原告らが指摘した低度層(軟弱地盤)の存在や,断層等の存在を示す回折波の問題については,いずれもその評価が判然としない,明らかでないという曖昧な判断に終始しています。裁判所が判断できないと考えるのであれば,一審原告らが求めるように,関西電力の生データを提出させ,科学者証人の尋問を実施し,審理を尽くすべきでしたが,そうした審理を一切放棄して,上記のような曖昧な判断をくり返すのは,司法の責任放棄としか言いようがありません。
(5) 大山噴火に伴う火山灰想定について,原子力規制庁が関西電力の現在の想定10cmを大きく超える層厚26cmの層厚を大飯原発とほぼ等距離の地点に認めたことに触れつつも,それは単なる可能性に過ぎないなどとして,関電の想定が信頼できるとしている点も,火山の危険性を著しく軽視したものといえます。
(6) 法的にも,「安全」であるかどうかの判断基準として,福島原発事故の経験を踏まえて「危険性が社会通念上無視し得る」かどうかという規範を定立していますが,現在のわが国の地震学の最も権威ある学者2人が基準地震動の計算方法の誤りを指摘し,元物理探査学会長を含む複数の学者から数々の地盤調査の問題点を指摘され,原子力規制庁からさえ火山灰想定の過小評価を指摘されている大飯原発の危険性が「社会通念上無視しうる」とは,到底いえるはずがなく,判決の論理は完全に破綻しています。
7 行政に追随し,住民側の裁判を受ける権利を奪ってまで強引に判決をし,形式的には福井地裁判決を覆しても,かかる裁判とはいえない不当な判決によって,福井地裁判決の正当性は,いささかも揺るぐものではありません。また,福井地裁判決が指摘し,控訴審の審理の中でさらに明らかになった大飯原発の危険性に対する市民の不安は,払拭されるどころか,ますます深まらざるを得ないでしょう。,
私たちは,関西電力と国及び福井県に対し,同原発が抱える根本的な危険性から眼をそむけることなく,直ちに同原発の運転を停止するよう,強く求めるものです。 以上
④ 判決要旨
平成26年(ワ)第126号大飯原発3,4号機運転差止請求控訴事件
【判決要旨】
l 原子力発電所の設備等について事故を起こす欠陥があり,周辺の環境に対して放射性物質の異常な放出を招く危険があるのであれば,どの範囲の住民が運転の差止めを求め得るのかはともかく,人格権を侵害するとして,当該原子力発電所の運転差止めを請求することができる。その一方で,現在の我が国の法制度は,原子力基本法,原子炉等規制法などを通じて,原子力の研究,開発及び平和利用の推進を掲げ,原子力発電を一律に有害危険なものとして禁止することをせず,原子力発電所で重大な事故が生じた場合に放射性物質が異常に放出される危険などに適切に対処すべく管理・統制がされていれば,原子力発電を行うことを認めている。このような法制度を前提とする限り,原子力発電所の運転に伴う本質的・内在的な危険があるからといって,それ自体で人格権を侵害するということはできない。もっとも,この点は,法制度ないし政策の選択の問題であり,鎬島原死事故の深刻な被害の現状等に照らし,我が国のとるべき道として原子力発電そのものを廃止・禁止することは大いに可能であろうが,その当否を巡る判断は,もはや司法の役割を超え,国民世論として幅広く議論され,それを背景とした立法府や行政府による政治的な判断に委ねられるべき事柄である。
2 原子力発電所における具体的危険性の有無を判断するに当たっては,その設備が,想定される自然災害等の事象に耐えられるだけの十分な機能を有し,かつ,重大な事故の発生を防ぐために必要な措置が講じられているか否か,すなわち,原子力発電所の有する危険性が社会通念上無視しうる程度にまで管理・統制されているか否かが検討されるべきである。そして,原子炉等規制法の下,高度の専門的知識と高い独立性を持った原子力規制委員会が,安全性に関する具体的審査基準を制定するとともに,設置又は変更の許可申請に係る原子力発電所の当該基準への適合性について,科学的・専門技術的知見から十分な審査を行うこととしているのであって,具体的審査基準に適合しているとの判断が原子力規制委員会によってされた場合は,当該審査に用いられた具体的審査基準に不合理な点があるか,あるいは具体的審査基準に適合するとした原子力規制委員会の判断に見過ごし難い過誤,欠落があるなど不合理な点があると認められるのでない限り,当該原子力発電所が有する危険性は社会通念上無視しうる程度にまで管理され,周辺住民等の人格権を侵害する具体的危険性はないものと評価できる。
3 本件発電所の安全性審査に用いられた新規制基準は,各分野の専門家が参加し、最新の科学的・専門技術的知見を反映して制定されたもので,所定の手続も適切に踏んでいるのであって,手続面でも実体面でも原子炉等規制法を始めとする関係法令に違反していると認めうる事情はなく,また,内容において不合理な点も認められない。
4 本件発電所の基準地震動及び基準津波は,最新の科学的知見及び手法を踏まえて策定されたものであり,そこで用いられた各種パラメータは安全側に配慮して保守的に設定され,性質や程度に応じて不確かさが考慮されているほか,計算過程及び計算結果に不自然,不合理な点は見当たらず,年超過確率も極めて低い数値になっていることからすれば,これらが新規制基準に適合するとした原子力規制委員会の判断に不合理な点があるとは認められない。なお,基準地震動の策定に当たり,地震モーメントを求めるに際し用いられた入倉・三宅式について,地震動の事前予測に用いると地震モーメントが過小評価される旨の専門家の証言があるが,対象となる活断層の長さや幅を保守的に大きく見積もり,断層面積を地表地震断層の長さそのものから求めた数値より大きく設定することなどによって過小評価を防ぐことが可能であると考えられ,本件においても対象となる活断層の断層面積は,詳細な調査を踏まえて保守的に大きく設定されているから,1審被告の策定した基準地震動が過小であるとはいえない。
5 本件発電所の安全上重要な設備の耐震性,対津波安全性,異常の発生・拡大防止対策及び重大事故等対策(火山灰対策を含む。),テロリズム対策等は,最新の科学的知見及び手法を踏まえて講じられており,地震,津波を始めとした外部事象による共通要因故障のみならず,偶発的な設備の単一故障を仮定しても設備の安全性が確保されているほか,重大事故等対策の有効性も科学的手法によって検証されるなどしており,IAEAの国際基準等に反するともいえないのであって,これらが新規制基準に適合するとした原子力規制委員会の判断に不合理な点は認められない。
6 以上によれば,本件発電所の安全性審査に当たって用いられた新規制基準に違法や不合理の廉はなく,本件発電所が新規制基準に適合するとした原子力規制委員会の判断にも不合理な点は認められず,本件発電所の危険性は社会通念上無視しうる程度にまで管理・統制されているといえるから,本件発電所の運転差止めを求める1審原告らの請求は理由がない。 以上