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#070 前川喜平文部科学前事務次官講演録
(2017.8.2)
前川さん おおいに語る ー加計・憲法・夜間中学などなど
2017.8.2(水)18:00
福島県文化センター小ホール
主催:前川さんの話をきく会実行委員会
《講演》
(司会)
ただいまから「前川さん おおいに語る 加計・憲法・夜間中学などなど」を開催させていただきます。
本日の司会進行を務めさせていただきます鈴木真理と申します。どうぞよろしくお願いいたします(拍手)。
始まる前に、前川さんのプロフィール、皆様にも本日お渡ししているかと思いますが、簡単にご案内させていただきます。
1955年、奈良県に生まれます。東京大学法学部卒業。1979年文部省入省。宮城県教育委員会行政課長、文部省教育助成局職員課長、文部科学省初等中等教育局財務課長、初等中等教育企画課長等を経て文部科学省官房長、初等中等教育局長、文部科学審議官。2016年6月より文部科学事務次官。そして2017年1月退官。
その後の活躍は、皆様ご存じの通りかと思います。
それでは前川さんにご来場いただきたいと思います。皆様、拍手を持ってお迎えいただきたいと存じます。よろしくお願いいたします(拍手)。
(前川氏登壇)
(前川氏)
もういいんですね、はい。ちゃんとしゃべります、はい。
本日は、皆様方お集まりいただきまして、誠にありがとうございます。
ひょんなことから、こういうことになりまして(笑)。
こういうことって、どういうことかよく分かりませんけども(笑)。
いろんなことがありましてですね、週に1度くらいのペースで、・・ときどき休みますけど、福島駅前自主夜間中学というところでですね、ボランティアをさせてもらっていまして、そのご縁でこういうことになりましてですね、こういう皆様方の前で「おおいに話せ」ということでございまして。
「おおいに話す」ということは、演題でございますんで、大変ありがたいと言えばありがたいんですけども、逆に言えば何話していいんだかよく分からないんです。
《加計問題》
今のところですね、私の顔を見ると大体皆さん思い浮かべるのが加計学園だと思うんですね(笑)。
決して本意ではないんです。本意ではないというのは、別の言葉で言うと「不本意」というんですけども。同じことですが(笑)。
一体こいつ、何を加計学園で問題にしているかということを、きっと皆さんお聞きになりたいんだろうなということで、余りしゃべりたくはないんですけど、お話しさせていただきます(笑)。
加計学園を巡る問題というのは、つまるところ、「国家権力の私物化」ということが起こったのではないかという疑惑であります。
本来、すべての国民のために使われるべき国の仕組みがですね、特定の人の特定の利益のために使われてしまったのではないかという疑いがあるわけでありまして、そのことがいま問題になっているということであります。
使われた仕組みというのは、「国家戦略特区制度」というものでありまして、国家戦略特区という地域が全国で10地域指定されているわけでありますけども、そこでは特別な規制緩和が行われることになっていまして、四国にございます愛媛県今治市というところで獣医学部の設置についての規制緩和が行われたということなんですけども、それが結果として特定の学校法人の特別な恩恵に繋がったんではないかと、特別の扱いをされたのではないかと、こういう問題であります。
獣医学部というのは、一般的には作らないということになっていまして、なぜ作らないということになっているかと言いますと、もう十分獣医が足りているからということなんですね。
全国に16の大学が既にございまして、そこで毎年獣医学部を卒業して獣医師国家試験を受けて獣医師になる人が毎年大体1000人ぐらいずついます。
ですから、毎年新しい獣医師が1000人ぐらいずつ生まれているということでございまして、今現在も獣医師の数というのは、毎年少しずつ増えているんです。
高齢化ということもございまして、70歳過ぎても獣医師として現役で働いている方もいらっしゃいますし、新規に獣医師になる、獣医師の免許を取る人と獣医師の免許を取ってお亡くなりになる人とですね、そのプラスマイナスをすればですね、プラスなんですね。
ですから、毎年毎年、獣医師免許を持った人が増え続けています、今もですね。
そういうことでですね、獣医師は今現在も数としては足りていると。これは農林水産省も言っておりますし、しかも増え続けている。
一方で、牛とか豚とか、あるいは犬とか猫とか、動物の数はですね、減ってるんです。日本は、人口そのものが少しずつ減ってきておりますけれども、ペットは増えているんじゃないかと思われている方もいるかも知れませんが、実は犬も猫も減ってるんです。牛も豚も減ってます。
従って、獣医師の仕事というのは、将来的に増える見通しはあまりないんですね、やはり。
そういった中で、農林水産省は、獣医師という業を、獣医療法という法律がございますけども、獣医師の仕事の、業界を所管するのが農林水産省です。獣医師国家試験というものを主催しているのも農林水産省です。
文部科学省は、農林水産省と相談しながら、獣医学部の新設が必要かどうかということをチェックしながらきているわけでございます。
結果として、確かに半世紀にわたってですね、新しい獣医学部ができなかったことは事実なんですけども、これは、その必要性が政策として認められなかったからなんですね。
同じように、学部の新設を抑制している分野というのは他にもございます。医師、歯科医師、歯医者さんですね、それから船舶職員、船の動かす専門職員ですね、そういった人たち。これは、新しい学部の新設を認めていないという認可基準がございます。
それから、教員についても実は同じように新設をしないという決まりになっていたんですけども、教員については、平成17年に規制を外しました。
というのは、その後ですね、もう今は既に起こっていることですが、退職者、退職する教員が増えてきたということがありまして、それはなぜかと言いますと、定年間近い50代後半の先生の数というのは非常に多いんです。
従って、このところですね、毎年辞める先生の数が増えてきています。毎年辞める先生の数が増えるということは、新規に採用する先生の数も増えてくるということがございまして、少子化の傾向は確かにあるんですけども、今現在は小中学生、それほど大きく減っておりません。
そういうこともあってですね、先生が今後、採用が増えてくるということを見越して、教員養成学部については規制を外したと、こういうこともございます。
従って、専門的な人材養成については、将来の人材需要というものを確認しながら、学部の新増設については考えていこうと。
これが従来の文部科学省の考え方でありまして、これに対して、「規制緩和をすべきだ」という意見はあるんです。確かに。
そういった将来の人材の需要ということを考えずに、とにかくどんな学部でも作りたいところに作らせればいいじゃないかと。
どんどん作って競争させて、うまくいかなかったところは潰れればいいじゃないかと。
こういう考え方もあるんですけども、これはちょっとですね、なんと言いますか、コンビニを出すのとは違うんですよね。
コンビニっていうのは結構、できたり潰れたりしてますけども、大学の学部を作るというのは、結構大変なんです。
お金もかかりますし、人もそうですし、専門の先生たちを何十人も集めなければいけないと、こういうことですから、簡単に作ったり潰したりというわけにはいかない。
作ったはいいけれど、作りすぎて困ったという失敗例がありましてですね。
これは法科大学院というものです。
大学を出た後、大学院で弁護士や裁判官、検事になるための勉強をする、そういう大学院を作りまして、こうれからは、そういった法曹界、つまり法律のお仕事をする方は大学院を出てから司法試験を受けてもらいましょうと、そういう考え方で作ったんですけど、たくさんできちゃいましてですね、法科大学院の中には、合格率、司法試験の合格率が極めて低いというところも出てき、またそういったところは「あそこに行ってもダメだから」というんで入学希望者もどんどん減っていくということがあってですね、せっかくできた法科大学院なんだけれども、10年も経たずに店じまいしなきゃならないというところが次々と出てきちゃったということがございます。
法科大学院の場合は、先生がいればなんとかなるんですね。
あとは本があればいいんです。本があれば。
獣医学部というのはですね、2年間で済む法科大学院とは違って6年間かかります。
一人の獣医を育てるのに18歳から24歳まで6年間かけなければ獣医師の養成はできないと。
更に、そのために様々な実験・実習室などが必要になって参りますので、ものすごく初期投資が必要になってきます。
つまり、ものすごくお金を掛けなければできない人材養成であります。
これを簡単に作ったり潰したりはできないわけなので、やはり、一定の計画性がなければいけないというのが文部科学省の基本的な考え方。
これは、医師にも歯科医師にも通じることであります。
ですから、学部の一定の、・・特定の分野の学部の新増設を規制すべきかすべきでないか、これは規制緩和の議論として、政策的な議論として、これは大いにやったらいいと思います。
文部科学省は、やはり一定の規制は必要だという立場ではありますけれども、いや、規制緩和はせずに自由な競争に任せればいいという考え方もあるのは事実ですから、それは政策として、政策論として闘いですね、そこは政策として消えてけばいいと。
加計学園に関わる問題というのは、規制緩和がいいことなのか悪いことなのかという問題ではなくてですね、規制緩和の結果として、特定の人に特定の利益が生じたのではないかというところに問題があるので、先ほど、国家権力の私物化が疑われるということを申し上げたわけですけれども、そこに問題があるというふうに思っております。
具体的に何が問題かと申しますと、新しい獣医学部を作るということはですね、既に2年前に政府の中で検討課題にはなっていました。
ただ、その検討課題になったときに、どういう考え方を取ったかというと、先ほど申し上げたように、従来型の獣医というのは足りている。
だから今までの獣医と同じことをする獣医であれば、今後も増やす必要はないと。
新しい獣医学部を作るのであれば、これまでの獣医学部がやっていないような新しい仕事をする獣医だったら、それは必要かも知れませんねという考え方だったんですね。
そこで、2015年の6月30日に「閣議決定」という形で、政府全体の決まりとして決まった文書がございまして、これを「日本再興戦略改訂2015」というんですけれども、この日本再興戦略という閣議決定文書があります。
その中に、獣医学部の新設については、これこれの条件の下で検討をするという4つの条件が示されたわけでありまして、その4つの条件とは、まず具体的な主体、加計学園なら加計学園、京都産業大学なら京都産業大学という具体的な提案者が、従来の獣医師養成にない構想を示すと、これまでの獣医師養成ではない新しい計画を立てると、これがまず第一の条件。
二つ目の条件は、ライフ・サイエンスなどの新しい分野での具体的な人材の需要が明らかになると、こういう分野でこういう新しい人材が必要だということが明らかにならなければいけない。
その部分は、政府の中でも農水省とか厚生労働省とかですね、ライフ・サイエンス部門を担当するところではっきりと将来の人材需要というものを明らかにしなければならないということなんですね。
三番目の条件は、既存の大学・学部では対応が困難であると(いうこと)。
どんな新しい分野の人材養成でも、これまでの大学でできるということであれば、新しい大学は作る必要はないということで、既存の大学・学部では対応が困難であるということが第三の条件だと。
第四の条件は、獣医学部を作る以上は、獣医師がそこから生まれてくるわけなので、獣医師の全体の需要というものを見なければならないということですね。
全体の獣医師の需要というものを見ながら、全国的な見地で検討する。全国的な見地というのは、国全体の獣医師の、獣医学部の入学定員全体の中のバランスの中で考えるということなんですね。
これはなぜかというと、獣医学部というのは、全国で16校しかありませんから、どの学校も、どの大学も入学者は日本全国から入ってくるんです。日本中から入ってきて、卒業した人たちは、また日本中いろんなところに就職していきます。
50年ほど前にできた北里大学の獣医学部は青森県にありますけれども、ここに入学する学生は、日本中から集まってきますし、そこを卒業した人は、また日本中に散らばっていきます。
獣医学部を作るか作らないかということは、青森県がどうかということを考えて作ったわけではないんですね。
日本全体のことを考えて作っているわけで、これは今治に新しい獣医学部を作っても同じ事が起きると思うんです。
今治市の学生だけが来るわけではありません。
卒業者が今治市だけで就職するわけでもありません。
それはもう、日本全国から学生が集まって、卒業したら日本全国に散らばっていくと。
従って、本来的には文部科学省としては、特区でやる問題ではないと、特区というのは、特別区域ということですけども、一つの地域で実験的にやってみて、そこでうまくいったらほかでもやってみましょうと、これが特区の仕組みなんですけども。
これが例えば、幼稚園とか小学校だったらですね、それは今治市でやってみてうまくいくんだったら、他の市でもやりましょうと、福島市でもやりましょうとかですね、これはあるかも知れないんですけども。
小学校や幼稚園であれば、入ってくるのは、市の中の子どもたちだけだと。そこで実験的にやってみてうまくいくんだったら日本全国でやりましょうと、こういう理屈は成り立つんですけれども、大学の学部、中でも獣医学部のような学部は、作ったとたんに全国から学生がやってきますし、卒業すれば全国に散らばっていくということなので、本来的には特区制度にそもそもなじまないというのが、本当は文部科学省の最初の考え方なんですね。
ただ、国家戦略特区というのは、今まで、それまでありました構造改革特区というのとちょっと違ってですね、国家戦略と言ってますから、ここに国家戦略、国の戦略としてすごい、素晴らしいものを作るんだと。
国家戦略特区法という法律がありますけど、そこでなんと言ってるかというと、国際競争力の強化、国際経済拠点の形成と、こういう言い方をしてまして、そういう国家戦略としてすごいものを作る。
そのためには、そこに限って規制緩和をすると、こういう考え方なので、ある地域だけで実験するという考え方よりはですね、国にとってすごく意味のあることを特別な場所でやるんだっていう考え方なんですね。
ですから、百歩譲ってですね、構造改革特区ではできないけれども、国家戦略特区でやったらできるものは確かにあるのかも知れないと思うんですね。
そういう意味で、この「4条件」と言われるものは、今までにない、すごく新しいもの、日本中のどこでもやっていないことをやるような、そういった大学であれば作ってもいいんじゃないかと。
同じ獣医学部でもですね。今まで通りの獣医師養成をするんではなくて、ライフ・サイエンスなどの新しい分野で、従来型の獣医師養成コースと違う構想で、計画でやるんだと。
しかも、16の既存の大学ではできないことをやるんだと、こういうことであれば、認めてもいいんじゃないかというのが、2年前の閣議決定で立てられた4つの条件なんですね。
ただ、この4条件というのは、聞いておわかりのように、非常に厳しい条件で、この4条件を満たすということは、よっぽどの大学でなければできないことであります。
素晴らしい人材、先生方を集めなければできませんし、場合によっては世界中から人材を集めると、世界中の獣医学のトップ・クラスの研究者を集めてくるとかですね、そういうことでもしないとできないような、そのくらいのものなんですね。
そうでなければ、しかし、国家戦略特区という名前にふさわしいものにはならないわけで、先ほど申し上げた国際競争力とかですね、国際経済拠点とかですね、そういったものになるためには、やはりそれだけのものを、それだけの人を集めてやらなければできないはずだと、そういうふうに考えられていたわけであります。
問題は、結果として認められることになった加計学園という学校法人が作る獣医学部がこの4つの条件を満たしているかっていうことなんですけども、この満たしているかどうかということはですね、要は、誰も真面目にきちんと検討してないわけですね。
国家戦略特区で規制緩和するかどうかということについては、国家戦略特区諮問会議という会議体がありまして、そこで決めるんだということになってます。
更に、その下部組織として特区ワーキング・グループというのがありまして、そのワーキング・グループで具体的な検討をしたんだということになってます。
「その検討は、ちゃんと議事要旨も残っていて、オープンな形でやっているし、その検討結果については一点の曇りもない」っていうのが政府側のですね、ご説明なんですけれども、確かに議事要旨というのはオープンになってますから、それを全部読むことはできます。
読んでみると分かるんですけれども、ちゃんと検討してません。
4条件にちゃんと合致しているかどうかというのはですね。
文部科学省も呼ばれていって、いろいろと「文部科学省はどう考えているんだ」っていうのは答えているんです。
私は行ってませんが。私の部下の部下の部下だった課長とか課長補佐がですね、行って何て言ってるかというと、これ議事録に残ってますけれども、「今治市から提案のあった内容は、他の大学で既にやってます」って言ってるんですよ。
だから「4条件を満たしていません」と。
「他の大学で既にやっていることなので、新たな大学として認めるという条件には合致してない」ということは、繰り返し言ってるんですよね。
だけども、それに対して、「いや、そうじゃない。これは新しいものだから認めるべきだ」というようなきちんとした議論はなされていませんし、この諮問会議、あるいはその下のワーキング・グループというところで獣医学のことを少しでも知っている人が議論したかというと議論してないわけです。
今治の提案を説明した今治市分科会というのがありましたけれども、そこで説明したのが加戸(守行)さんという人です。
国会で私の隣に座ってたんです(笑)。
私がですね、1979年に文部省に入省したときの「上司」です。
私は入ったばかりの1年生の職員で、加戸さんはそのとき大臣官房総務課長というんでですね、偉い人だったです。
その後、私結婚式・・・結婚したんですけどね、・・今でもしてますけど(笑)。
1回目の結婚ですよ、今でも(笑)。
その1回目というか、・・1回しかしてないんですけども(笑)、結婚式の披露宴に来賓として来ていただいたのが加戸さんでですね、私の結婚式で歌を2曲歌われたんですよ(笑)。
それだけ私にとっては大事な元上司であり元先輩なんですけども。加戸さんは、愛媛県の知事をやっておられたので、なんとか大学を誘致したいということで頑張っておられたと。
それがなんとか日の目を見たのが、今回の結果なので、加戸さんの努力が報われたということについては、後輩としてはお喜び申し上げたいと思ってるわけですけども(笑)。
しかし、これがちゃんと検討されたのかというとですね、加戸さんが新しい獣医学部の構想を説明したんですよ。
加戸さんは獣医学部について説明できるような人じゃないです(笑)。
立派な方だし愛媛県知事もやってましたし、文部科学省では官房長もやった人なんですけども、獣医学についての知識は私とそう変わらないだろうと思うんです。
要するに何も知らないということです(笑)。
ですから、新しい獣医学部について説明できるような立場の人とは到底思えないんです。
それからワーキング・グループでそれをちゃんと検討しましたって言いますけど、ワーキング・グループにいる人たちってどういう人たちかというと、はっきり言って、なんでもかんでも規制緩和さえすればいいと思ってる人たちばかりです。
少なくとも、そこに獣医学の「じゅ」の字でも知ってる人がいるかというと一人もいないんです。
つまり、この構想が立派な構想である、世界に冠たるものである、あるいは日本中どこの大学でもできないような新しい計画なんだということをちゃんと判断できる人はどこにもいなかった。
判断できるどころか説明できる人もいないし判断する人もいないところで決まってる。
これではちゃんと検討したことにはならないと思います。
少なくとも文部科学省はそこへ出て行ってですね「いまご提案があったことはどこの大学でもやってますから」と、「4条件は満たしていません」とは言ってるんですよ。
こういって経緯で、しかし、文部科学省はきちんと説明しなかったからダメだとかって言われてですね。
「いや、説明したんですけども」っていう感じなんですけども、「あんな説明じゃダメだ」と言われてですね、強引に結論まで持っていかれたと。
つまり、4条件という閣議決定で決めた、・・・閣議決定というのは、法律のように一般国民を縛るものではありませんけれども、閣議決定というのは政府全体を縛るものです。
閣議決定で決まったことは、内閣府も文部科学省も農林水産省も、あるいは内閣官房も官邸も総理大臣も守らなきゃいけないんです。
閣議決定というのはそういうものです。
閣議決定されたものは、すべての大臣、すべての役所が守らなければならないことで、文部科学省は大まじめに、愚直にこの4条件があるんだから守らなければいけないと思っていたんで、「その4条件を満たしていないんじゃないですか」とずうっと言い続けてきた。
一方で、昨年の10月頃になると、新しい獣医学部を作りたいという別の学校法人が現れてきてですね、これはもとから手を挙げていたんです。
「自分たちも考えたい」と言っていた、それは京都の京都産業大学というところですけども、10月になったときにですね、京都産業大学がかなり詳しい計画を作って出してきたんですね。
この京都産業大学の新しい計画については、先ほど申し上げた特区ワーキング・グループというところで話を、ヒアリングをしてます。
事情を聞いています。
そこにはしかし、文部科学省は呼ばれてないんです。
内閣府とワーキング・グループの議員だけで話を聞いていて、文部科学省は相談にあずかってないんですけれども。
あとで京都産業大学が出してきたプランというものを見てみますとですね、ものすごくいいプランなんですよね。
京都産業大学は、京都大学とも連携をすると言ってたんです。
京都大学は、ちなみに獣医学部とか獣医学科は持っておりません。
国立大学はたくさん、獣医学部を持っているところはあります。
東京大学も獣医学科ありますし、北大、北海道大学もありますし、あとは岐阜大学とかですね、山口大学といくつかの国立大学で獣医学部を持っているところはありますけども、京都大学は獣医師養成をしてないんです。
しかし、京都大学は京都大学の強みを持っておりまして、京都大学の何よりの強みはですね、iPS細胞研究所というものがあるということなんですね。
山中伸弥さんというノーベル賞を取った先生がいらっしゃって、iPS細胞というものを使って様々な治療方法が開発されてきています。
これを獣医の世界、獣医学の世界に応用しようということで、iPS細胞研究所と協力しますと言ってたんです。
京都産業大学は。これは強みです。
iPS細胞研究所というのは、これは、京都が世界でトップですからね、世界で一番iPS細胞を研究しているところと連携しながら、獣医学の世界でiPS細胞を応用していこうということですから、これは確かに今までの大学ではやっていない。
日本中どころか世界中でもやっていない、そういった獣医学部になり得る可能性を持ってるなと思わせるものがありましたね。
そこで、ワーキング・グループで説明した人も、ちゃんとした獣医学の先生なんです。獣医学の先生が来て説明してきた。
ただ、聞いてる人は誰も獣医学がわかんないん人ばっかりなんですけれども(笑)。
つまり、加計学園にしてみると、もう強烈に猛烈に強力なライバルが現れちゃったわけですね。
そのなかで、これは文部科学省が預かりしないところでいろいろな細工が行われたと思えるわけですけれども、新たな規制緩和が認められる地域についてですね、あとからいろんな条件が付けられていったわけですね。
まず、どういう条件が付けられたかというと、「広域的に獣医学部存在しない地域に限って認める」。
「広域的に」というのはどういう意味かというと、一都道府県を超える地域だと、そういう意味ですよと。
京都産業大学の場合は、京都府には獣医学部はありませんでしたけれども、隣の大阪府には大阪府立大学というところに獣医学部があるのでですね、「広域的に」といって都道府県を超えて広い地域の中で需要があるかないかで見た場合には、京都の場合は「ある」、ところが今治の場合はですね、愛媛県にはないですし、四国四県どこにもないわけです。
橋を渡った広島県にもありません。
だから、広域的に見た場合には、どこにも獣医学部はないということになるので、この条件を、広域的に獣医学部が存在しない地域に限って認めるという条件を付けるとですね、京都産業大学は圧倒的に不利になるわけです。
「大阪にあるでしょ」と言われてしまうと。
こういう条件がいつの間にか付けられたわけですね。
これを一体誰がどうやって付けたのかと、条件を付けたのかっていうことが記憶にも記録にもないわけですね(笑)。
もう一つ、決定的だったのは、「平成30年度開設するものに限る」と、こういう条件が付けられたわけであります。
平成30年度開設っていうのは、来年の4月ですからね。
これを今年の1月なんかに言われてもですね、間に合うはずがないので、本当はどこもできないはずなんです。
今年の1月に「どこか手を挙げるとこありませんか」と言って手を挙げたところには、「来年の4月にちゃんと大学ができて学生を入れるんですからね」と。
そしたら、手を挙げられるところはなかったと思うんです、本当は。
でも、一つだけ手を挙げたところがあるんです(笑)。
これはやはり、相当のフライイングをしないとですね、できないことだと思うんですよ。
例えば、いま水泳をやってますけども、400メートルを泳ぐのにですね、先に100メートル泳いじゃうと(笑)。
他の人が400メートル泳ぐ間に、300メートルだけ泳げばいいと、そんな話ですよね。
だから、相当早い段階で準備を始めていないとできないことであってですね、それができたところが1カ所だけあるわけです。
それは「やっぱり、おかしいじゃないの」っていう話なんですよね。
こういう条件が、この2つの条件が付けられたことによって、結果的に今治市しか残らなかった。
今治市というのは、イコール加計学園なわけです。
これはですね、確かに制度の上では、特区というのは自治体が手を挙げているわけで、今治市と広島県(ママ→愛媛県)が組になって一つの特区になってます。
この特区が手を挙げて獣医学部を作る規制緩和をしてほしいと言ってる。
だから、相手は確かに今治市、あるいは広島県(ママ→愛媛県)・今治市の特区なんですけれども、今治市で獣医学部を作りたいという計画を作ってきたのは加計学園しかないということは、これは知っている人が、100人いれば100人知っているという話で、・・知らない人は知らないんですけども。
しかし、加計学園以外が考えているなんてことは、誰も知りませんし、そんなことは全く存在しないことでですね、加計学園以外のところで今治市で獣医学部を作りたいという計画を持っているところなんか一つもありませんし、そんな人がいたらちょっとお目にかかりたいぐらいです。
絶対それはあり得ないんです。
今治市といえば加計学園なんです。
これは、構造改革特区としても10年前からですね、提案をしてきているわけで、そのときには今治市と加計学園は常にペアで、セットで手を挙げてきたわけで、今治市で獣医学部といったらこれは加計学園のことであるということは言われなくても誰でも分かっていることだったんですね。
それを「今年の1月20日に初めて知った」という人がいるわけです(笑)。
それが不思議です。
そういうことでですね、要するに、やはりこれは「加計ありき」だったと。
そのことが示されるような文書が文部科学省の中にも「ふんだんに」ございましてですね(笑)、なぜか文部科学省の中からはですね、ポロポロ、ポロポロ出てくるわけです。
例えば昨年の9月の下旬に作られたと思われる文書の中でですね、「平成30年4月開学を大前提にして最短のスケジュールを作ってくれ」というふうに内閣府から文部科学省が言われて、その中で「これは官邸の最高レベルが言ってることだ」と書いてある。
あるいは、これは10月のおそらく下旬頃に、・・半ば頃にですね、おそらく作られたペーパーとしてですね、「大学の開設に時期については変えられない」と、つまり「30年4月」だと書いてあって、そこに官邸、これは総理のご意向だと聞いていると内閣府の藤原さんという審議官が文部科学省の課長に向かって言っていると、そういうことを記録されてペーパーもあるわけですね。
それから、10月21日付という日付入りで「官房副長官のご発言概要」というのがございましてですね、その中には「総理は平成30年4月開学とおしりを切っていた」というふうに書いてあると。
こういう風に、平成30年4月に必ず作るんだと、それは今治で作るんだぞと。
このことは、繰り返し様々な文書の中に出てくるわけでありまして、そこに書いてあることがみんなうそだというのは、到底言えない。
私はすべて誰かが誰かから聞いたことを書き留めたものだというふうに思っておりますし、実際にそれを内閣府から聞いてきた職員から私が直接聞きましたからですね、私にとっては、それは確実に間違いないことであります。
私自身も、和泉さんという方からですね、総理補佐官から9月の初め頃にですね、「国家戦略特区の獣医学部の新設を早く進めてくれ。これは総理は自分の口からは言えないから私が代わって言うんだ」と、本当に本当に言ったんです(笑)。
こういうことを言われて、・・言われたら覚えていますよね。
ものすごく特徴のある表現ですから、一度聞いたら忘れないですよね。
ですから忘れようにも忘れられないですよね、これは(笑)。
そういう言葉です。
ですから、本当にそうおっしゃったんです。
ということは、(総理)ご自身が言えないってことは言えない事情があるんだろうと(笑)、言えない事情というのは、自分の友達に便宜を図ってくれということだから言えないということだろうと、そうとしか思えなかったわけですよね。
というわけで、どうして加計学園が新たな獣医学部を設置できる事業者として認められたのかと、そこに不公平、不透明なものがあると、そこに「お友達優遇」というものがあるんじゃないか、「権力の私物化」というものがあるんじゃないかという問題であるわけでありまして。
ただ、私が見聞きしたこと以上のことは分からないわけです。
今申し上げたことがだいたい私が見聞きしたことほとんどお話ししてるんで、これは何度国会に呼ばれても同じことしか言えません。
もう2回、この件で呼ばれましたけども、あ、その前に天下りで8回呼ばれましたけどもですね(笑)。
僕、役人を辞めてからこんなに国会に引っ張り出されるとは思わなかったです(笑)。
役人を辞めてですね、国会とつきあわなくていいとせいせいしてたんですけども(笑)、それにもかかわらず、引っ張り出されていてですね。
「どうしても、今度は証人喚問だから来てくれ」と言われたら、あと1回ぐらいはつきあってもいいかと思ってるんですけども(笑)、しかし、お話しできることはこれ以上ないんで、同じことを繰り返すしかありません。
それ以上のことは、私が知らないところで起こっていることなので、私が知らないところで起こっていることは、私が知らないことを知っている人から聞いてもらわなきゃいけないんです。
私が知らないことを知っている人は誰かという問題なんですけれども、その人たちはみんな覚えていないというもんですからですね(笑)、そこから話が先に進まないんですね。
ただ、いままでまだ話聞いてないなという人がいるわけで、それはまさに加計さんという人とかでですね、それから、おなじ「か」から始まる人で菅さん。(菅)官房長官と同じ字を書くんですけど、今治市の市長さん。
昔の民主党時代の総理だった菅さんと同じ(字の)菅さんという市長さんがいます。
ひょっとすると二人のKさんを呼んでくるとですね、いままで分からなかったことが分かるかも知れないなと。
惰性ですから、もし私が証人喚問をするのであれば、せめてその2人は証人喚問して欲しいと。
それならば、少し私の知らないことが分かってくるのじゃないかなと思うんですけど。
というわけで、ここまでが加計学園問題であります(笑)。
《夜間中学》
私がなぜ福島にいるかと言いますとですね、そもそものご縁というのは、「福島駅前自主夜間中学」なんですね。
「福島駅前自主夜間中学」というものがございまして、自主的に学びたいっていう方々が集まってきて、それを支援したいっていう人たちもそこに集まって、週に1回、学びの場を設けているわけであります。
これは自主夜間中学という形で学びたい人が学ぶ場を提供すると同時にですね、福島に夜間中学を作る会という運動をしてるわけであります。
夜間中学というものは、これは全国に31校あります。
れっきとした中学校です。
しかし、12歳から15歳までの子どもが通うのではなくて、15歳を過ぎてしまった人、大人の人、それは二十歳かも知れないし50歳の人かも知れないし80歳かも知れない。
いろんな年代の人がいるわけです。
国籍も日本人とは限りません。
実際に夜間中学で学んでいる生徒の7割以上は外国人です。
全国に31校あるとはいえですね、東京や大阪などに集中していまして、東北・北海道には1校もないんです。
これまでは埼玉県にもなくてですね、千葉県にもなくて、千葉や埼玉の人も東京の夜間中学に通うというようなことをしてきているわけです。
ただ、東京の夜間中学といっても、それは足立区立だったり八王子市立だったり、それぞれ市区町村が設置しているんですが、やはり自治体の行政として夜間中学を設置している以上ですね、縁もゆかりもない人が入ってくるのはやっぱりおかしいじゃないかと、これ住民に対して説明できないわけですね。
足立区の足立4中というところに夜間学級、夜間中学がありますけど、そこに縁もゆかりもない埼玉県や千葉県の人が勉強したいからと言って入ってきてもですね、そこの学校の運営は、基本的に足立区の住民の税金でやっているわけですから、そこにある学校によその地域から生徒が来るのは本当はおかしいということになるんですけれども、東京の場合はですね、どこの夜間中学も多の市町村あるいは他の都道府県から入りたいという生徒も受け入れているんです。
ただし、その区の中で仕事をしている人とかというような条件を付けてますね。
まったく縁もゆかりもないって人はお断りしているという実態がありましてですね。
ですから、無理をして足立区でバイト先を見つけてそこでバイトしながら、足立区の夜間中学に通うというような人たちもいる。そういう形でやってきてるわけですね。
特に、そういうふうに東京の夜間中学に通う人がこれまで多かったのが埼玉県で、埼玉県では東京に近いところに川口市という市がありますけれども、川口にこれまで長年夜間中学の設立のための運動をしてきた人たちがいらっしゃいまして、そこで「川口自主夜間中学」というのをやっているんです。
この人たち、この方々の長年の取り組みが実りましてですね、川口市もですね、自ら新に公立夜間中学を作ろうという方向に踏み出しまして、2,3年後にはできると思います。
同じように、新しい夜間中学を作ろうとする自治体が、川口市の他に千葉県の松戸市、北海道札幌市、そういったところが新たに公立夜間中学を作ろうというふうに動き始めております。
夜間中学というのは、義務教育のいわば最後のよりどころと言っていい場所ですね。
日本には、非識字者がほとんどいないというふうに思っておられるかも知れませんが、現実に存在します。
つまり、平仮名、片仮名が書けないという人がこの日本の国の中で実際に暮らしておられます。
国籍が日本で、外国人というわけでなくてもですね。
それから、今増えてきてるのが外国人。
中国人とか韓国人とかフィリピン人とか、様々な国籍の方が日本に入ってきて、日本は移民政策というのを正面から取ってはおりませんけれども、様々な形で正面の門は開けてないけども脇の門とか裏の門が開いてましてですね、そこから、様々な形の外国人が入ってきてるわけです。
入ってきて、いろんな形で定着していく。
結婚もすれば子どもも産む。
そうやって日本に様々な国から日本に来た方が暮らし始めているし、その数はどんどんと増えてます。
そういった人たちの中にも、十分な義務教育を受けないまま日本へ来ている人がいると。そういう人たちのために夜間中学が非常に大きな役割を果たしているんですね。
夜間中学というのは、そもそもどうやって生まれたかというと、これは昭和20年代、新しい中学校制度ができたその同じ年に問題はもうあったわけです。
昭和22年に「教育基本法」というものができまして、同じく「学校教育法」という法律ができまして、「新制中学校」というものが制度化されたわけですね。
それまでは、小学校6年間、その当時は「国民学校」って言ってましたけれども、6年間が義務教育だったのをですね、3年延長して、義務教育を3年延長して、9年間にして、新しい「新制中学校」というものを作って、これを各市町村、どこの市町村も必ず作りなさいと言って、それで「六三制」という新しい学校制度をスタートしたと。
ところが、実際にはですね、12歳から15歳までの本来中学校に通わなければならない年代の子どもたちの中で、学校に行けない子どもたちがたくさんいたんですね。
工場で働いている自分の稼ぎで家族を、生活を支えなければならないというような子どももいましたし、家事労働で親が手放さないという子どももいましたし、そういう学校に来たくても来ることができない子どもたちがものすごくたくさんいたと。
そういう子どもたちのために、現場の先生たちの中からですね、「何とかしてやらなきゃいけない」と、昼間は工場に行ってるから仕方がないけども、工場が終わった後、夕方から一定の時間授業をすれば、その時間だったら来られるんじゃないかということでですね、そういうことで始まったのが夜間中学です。
ですから、最初の夜間中学の生徒というのは、12歳から15歳までの、これは「学齢制度」といいますけれども、つまり、本来、昼間の学校に来るはずの子どもたちで、いろんな事情で来られない子どもたちを受け入れたと、これが最初の夜間中学の在り方だったんですね。
そういう子どもたちは、時が経つにつれてだんだん減っていったわけです。
昭和30年代になれば、高度成長ということになってですね、国民もだんだん豊かになってくるし、経済的な理由で子どもを働かせなければならないとか、学校に通わせることができないという親もだんだん減っていって、文部科学省も、その当時はまだ文部科学省でなく文部省ですけど、文部省は、まあこれは、「夜間中学というのは、もともと変則的なものだ」と、だから、「国民の生活も豊かになって、どこの家庭も昼間の学校に通わせることができるようになるんであれば、夜間中学はもう要らないんじゃないか」ということで、昭和30年代にはですね、文部科学省は「早く潰そう」、「潰そう」としていたんです。
もともとそうなんですね。
文部省は始めから夜間中学は存在しない方が良いという考え方だったんです。
夜間中学みたいなもの、・・「みたいなもの」と言っちゃいけないですけど、夜間中学という存在があるとですね、昼間の中学校に本来行くべき子どもが夜の中学校に行ってしまうと、これはあってはならないことだと。夜間中学を潰せば昼間の学校に行くだろうと。
これは何て言うか、理屈に合わないんですよ。
もともと昼間に行けないから夜間中学を作ったんですからね。
だけど、当時の文部省の考え方は、本来昼間の学校に行くべきなのだから、夜の学校を作っちゃいけないと、そんなことを言ってたんです。
いよいよ昭和30年代になると、そういう子どもたちが減ってきたということは事実。
しかし、一方で、12歳から15歳までの間に学校に行くことができなかった、中学校に行くことを逸してしまった人が大人になって存在していたわけで、だんだんと夜間中学は、そういう義務教育を修了できなかった大人の人のための学校として役割を果たすようになってきたわけですね。
しかし、だいたい昭和60年台頃はですね、だんだんその数も減ってきてしまってですね、各地で文部科学省の指導の下、夜間中学を潰そうという、そういう動きが出てきたんですね。
一方で、しかし「夜間中学の灯を消すな」という動きも、夜間中学の当事者の人たちから出てきた。
「夜間中学」というドキュメンタリーの映画を作って、その映画を放映しながら、夜間中学の必要性を説いて歩くという人たちの運動があったわけです。
その運動に触発されて、「我々のところにも夜間中学を作ってくれ」という声が出てきてですね、1970年代頃から新しく夜間中学を作るところが出てきた。特に関西です。
大阪で作られ始められてですね、文部省にしてみると、もうこのままフェードアウトというか、そのままなくそうとしていたのに、新しく作るというところが出てきてしまって、困っちゃったわけですね。
文部科学省としては、「想定外」の事態でですね、このまま、ずうーっとそのままなくそうとしていたのに、新しく作るというところが出てきて。
特に、関西の場合ですと、いわゆる被差別部落の出身の方々や在日コリアンの方々の中に十分な義務教育を受けられなかった方々がたくさんいらっしゃってですね、そういった方々、特に女性が多かったですけれども、そういった人たちが夜間中学での学びというものを求めてきたと。
関西中心に1970年頃から新しく夜間中学を作ると動きが出てきて、更にこの夜間中学の必要性に拍車を掛けたと言いますか、必要性が高まったのは、韓国と中国からの引き揚げ者なんですね。
1965年、昭和40年に「日韓基本条約」というものが結ばれまして、それまでは、日本と韓国の間は国交がなかったわけです。
戦後20年間、国と国との間の関係がなかった。
考えられないですよ、今から考えるとね。
それが、20年間なかったものが、1965年、昭和40年に「日韓基本条約」という条約が結ばれて、行き来ができるようになったわけです。
日本と韓国との間の。
そうすると、戦争の後、第二次大戦、太平洋戦争の後、日本に帰ることができなかった、朝鮮半島に残されてしまった日本人の方々が日本に帰れるようになった。引き揚げです。
その韓国からの引き揚げ者というのが多数日本に帰ってくるようになって、その方々の中には十分な教育を受けてないという方がたくさんいらっしゃってですね、その方々のための、まずは日本語を勉強する、それから日本の様々な学校教育を受ける、そういうニーズが高まってきてね。
更にその7年後、1972年、昭和47年には、日中国交正常化があったわけですね。
それまでは、中国政府と言ったら、台湾政府が中国政府だと言っていたので、大きい方の中国ですね、大きい方の中国というのは変な言い方ですけど、中華人民共和国政府との間の国交、国と国の交わりはなかったんですけど、その中華人民共和国政府との間の国交が正常化されて、中国から特に旧満州、東北地方からの引き揚げ者の方々が大量にですね、帰ってくるようになったと。
この韓国、中国からの引き揚げの方々が学び直す場として、夜間中学が非常に存在意義を発揮したわけですね。
そういったことで、新しいニーズというものが生まれて、それに対応するようになった。
さらにはですね、大体昭和50年頃からですね、つまり1975年頃からですか、「登校拒否」ということが社会問題化してきました。
その当時は「登校拒否」と言ってたんです。
今は「不登校」と言います。
「登校拒否」というのは、何か拒否する人が悪い人みたいなイメージの言葉なので、登校拒否という言葉は20年以上前から使っておりません、文部科学省は。「不登校」と言って。
学校になじめない、学校に来ることに非常に苦痛を覚える。
どうしても学校に行きたくない。
学校になかなか通うことが難しい生徒がいっぱい存在しますし、今現在も12万人いるわけです。
その不登校の子どもたちで十分学校に行けなかった子どもが夜間中学で学ぶと、こういうケースが増えてきました。
不登校経験者。
これは、学齢期の子どもいましたし、学齢が終わった大人もいたわけです。
12歳から15歳までの、本来は昼間の中学校に行っているはずの子どもなんだけれども、なじめないので夜間中学に来ていると。
そういう子どももいたし、それから不登校のまま中学校を卒業しちゃったけれども、でも本当は中学校でほとんど何も勉強してないんだという人、これを「形式卒業者」と言いますけれども、こういった形式卒業者の方々の中にも夜間中学で学ぼうという人が増えてきて、80年代頃には、そういった不登校経験者が夜間中学で学んでいたんですね。
ところが、ここでまた、悪者として登場するのが文部省なんでですね、
文部省がどういう指導をしたかというと、不登校でも中学校卒業の年になったら卒業証書を出しなさいと。
そこまでは、まあまあ、分からないではないです。
学校に来ていなかったんだから、卒業証書を出さない、中退だとか退学だとか、あるいは、留年だとかいうとですね、非常に本人も家族も傷ついてしまうということがあってですね。
15歳の3月には、卒業証書は渡すというふうに文部省が現場を指導したんですね。
一方で何を言ったかというと、卒業証書をもらった人は夜間中学に入るなと言ったんです。
中学校は2回入れませんと。中学校を卒業した人がもう1回中学校に入っちゃいけませんと。
だから、昼間の中学校で卒業証書をもらっちゃった人はもう卒業したんだから、3年間いたことになっているんだから、3年間いたことになっている人がもう1回中学校に行っちゃいけません。
夜間であってもということでですね、なまじっか卒業証書をもらっちゃったばかりにですね、夜間中学で学び返すことも許されないという、こういうことになってしまったわけですね。
そういう、これは文部科学省がそういう指導をしたんですよ。
私じゃありませんけれども(笑)。
私の先輩の中にそういう人がいたんだと思います。
杓子定規にそういうことを考えてですね。
その結果ですね、1990年代には、不登校経験者が夜間中学からほとんどいなくなっちゃったんです。
そういう経緯をたどっているんですけども、その間にまた増えてきた生徒がいる。
これは、「新渡日外国人」という新しく日本に渡ってきた外国人。
新渡日、ニュー・カマーの外国人。
中国、韓国、フィリピン、その他東南アジア、あるいはブラジル、ペルー、そういった国々からですね、日本に来る外国人が増えてきて、その中に十分な義務教育を修了していない人たちが入ってくる。
そういう人たちのために、・・の受け皿として夜間中学が非常に効力を発揮する、効果を発揮するということになりました。
「新渡日」というのは、「ニュー・カマー」というのは、同じ日本の中にいる外国人の中でも、もともと日本にいるいわゆる在日の人たちですね、在日のコリアン、在日台湾人という方々と区別する意味で「新渡日外国人」と言っているわけですけども、そういった方々のための学びの場として非常に大事になってきているわけで。
先ほども申し上げたように、今現在の夜間中学の生徒の7割以上は外国人なんですよね。
ただ、一昨年の7月だったと思いますけど、文部科学省がですね、これまでのかたくなな、間違った方針を悔い改めましてですね、中学校の卒業証書を持っている人でも夜間中学に入ってよろしいと言い始めたんですよ。
「何を今さら」という感じなんですけどもですね。
そのとき私はまだ文部科学省にいましたけども。
とにかく今までの方針をちゃんと変更したということは良かったと思います。
現実に今の夜間中学にはですね、中学校を卒業した人、いわゆる形式卒業者と言われる方々が相当数入ってきていると思います。
私、人数は詳しくは承知してはませんけど、おそらくは100人以上いると思います。
2年前ぐらいはゼロだったんですから。
これが増えてきていることは、喜ばしいことだと思っています。
誰もがですね、学ぶ権利は持っているわけです。
義務教育というのは、「子どもが学校へ行く義務」ではないんですよね。
子どもはあくまでも、「学習権」を持っている、権利、「人権」としての学習権を持っている権利の主体です。
その権利を実現させてあげるための義務が周りの大人たちに課されているわけで、保護者が子どもを学校に通わせるという、これを「就学義務」というわけで、「就学義務」というのは「子どもが学校に行く義務」ではありません。
親が子どもを学校に通わせる義務ですね。
「通わせる」というのも、「無理矢理、強制的に通わせる」ということになってしまうと、不登校の問題、処理できない問題になってくるわけです。
「通わせる」という意味は、「通えるようにする」っていう意味ですね。
親が、子どもがちゃんと学校に通えるように手を尽くす、しかしそれでも行けないっていう場合には、これは別の方法を考えなきゃいけないと。
学校外での学習というものを考えなきゃいけないということなんですね。
義務教育というのは、法律上は、親が子どもの6歳から15歳までの間負っている義務なんです。
15歳になるまでは必ず学校に通わせなさいという義務を、法律上の義務を親に課していると。
しかし、学ぶ側の権利としての義務教育というものがあるわけですね。
義務教育を学ぶ権利というものがあるわけですよ。
ちょっと言葉が変ですけどね。
義務教育を学ぶ権利というものがある。
それは、15歳を過ぎたってなくならないんですよ。
だから、人権としての学習権に年齢の制限はないわけです。
法律上の義務は親の義務であり、親が子どもを学校に通わせる義務であり、それは子どもが6歳から15歳までの間課せられている義務なので、子どもが15歳になったところで親の義務そのものはなくなるんです。
だから、15歳から先の教育、学習というのは義務教育とは言わないんです。
ないんです。
言葉の正確な定義からいきますとね。
しかし、小学校、中学校で学ぶことというのは、世の中で生きていく上で必要な共通の中身ですから、これを学ばないまま社会に出るということは、その人にとってものすごく大きなハンディキャップになるわけで、この小学校、中学校で学ぶ内容、これを「普通教育」と言います。あるいは「基礎教育」と言ったりします。
その普通教育あるいは基礎教育と言われるものを学ばないっていうのは、学ぶことができないというのはですね、これはとりもなおさず学習権という人権が実現されていない状態なのでですね、いくつになっても学ぶ権利というのはありますし、その学ぶ権利を実現できる手立てを講じるべきなんですよね。
その意味で、夜間中学というのは、すべての人が持っている最低限の学習権を実現するための非常に貴重な場所になっているということが言えるわけです。
もう一つ、学校の外にも学ぶ場所があっていいじゃないかと。
これは、不登校の子どもたちのためにですね。
無理矢理学校に行かなきゃいけないと考えちゃいけない。
学校に行かないということはね、罪でも何でもないし、後ろめたいことでも何でもないと。
子どもは学校に行く権利は持っていますけど、義務は持っていないんですから。
学校に行けないことを後ろめたく思ったり罪悪感を抱いたりする必要は全くないんですよね。
いじめに遭って辛くてしょうがないという子どもたちは、日本中にたくさんいるんですけれども、だったら学校に行くなと。
私は本当に、死ぬほど辛いんだったら、絶対に学校にいくなと、そんな辛いところに行く必要は全然ないと。
昔からの諺にですね、「親はなくとも子は育つ」というのがありますよね。
親がなくったって子は育つんですから、学校なんか(笑)、いわんや学校をや、学校なんかなくたって子どもは育つんですから、育ちますよ(笑)。
そういう子どもにとっては、本当に学校は行かなくていいと、クソ食らえだと。
やめちまえ、やめた方がずっと良いぞと、口を酸っぱくして言いたいぐらいですね。
とにかく、学校へ行きたくないというのはやめなさいと。
他にいい方法はたくさんあるぞと。
昨年12月にですね、「教育機会確保法」という法律ができました。
これは議員立法、つまり政府提出ではなくて国会議員の皆さんが集まってできた法律です。
超党派です。
いろんな党派の先生が集まって。
その中に、これは二つの側面を持ってるんですが、一つは、不登校の子どものためのフリースクール、学校外での学習というものを正面から認めていこうと、学校を休んでいいんだよと、休んで学校とは別の場所で学ぶってこともいいんだよと。
そういう学校外での学習というものをちゃんと正面から認めていこうと、文部科学省も認めましょうと、教育委員会も認めましょうと、学校の先生も学校が一の学びの場というものの必要性をちゃんと分かってあげてねと、こういう枠組みを法律上作ったわけですね。
もうひとつは、夜間中学についてなんですけど、夜間中学、夜間中学に限らず、夜間小学校があってもいいです。
あるいは、夜間でなくても、昼間の中学校でもいいです。
あるいは、小学校と中学校をくっつけた「義務教育学校」制度というのはもう既にできていますから、9年生の義務教育学校を作ってもいいですけど、いずれにしても、6歳から15歳までの学齢期、学校に普通に行っている時期に、学校に行くことができなかった人、十分な義務教育を受ける機会に恵まれなかった人のために、特別な時間帯に授業をする学校というものを全国で作っていきましょうと。
その代表格が、この夜間中学なんですけども。そういった夜間中学のような義務教育を学び直す場を全国に作っていきましょうと、そういう枠組みができました。
この二つの「フリースクール」と「夜間中学」を併せて「教育機会確保法」という法律ができたんですけども。
この法律は、できたはいいんですけど、実際にそれを動かしていくのは、主に地方公共団体、自治体なんですよね。
ですから、福島県ならば福島県の教育委員会、福島市なら福島市の教育委員会がその気にならないと動いていかないんです。
法律はできたんだけれども自治体が動かないと絵に描いた餅になってしまうんですね。
でも、先ほど申し上げたように、夜間中学に関して言えば、川口市、松戸市、札幌市といったところがですね、本格的に動き始めています。
ですから、福島市もぜひ早く動いて欲しいなと思っているんですけど。
県の教育委員会の人と会うと「前向きに検討したい」と言ってるんですけど(笑)、ただ、県は自分で作る気はないですからね、自分で作るつもりがないと結構気楽に言うわけですよね(笑)。
国も同じ立場なんですよね。
国立夜間中学作る気持ちはないですから。作ってくくださいって言うだけなんで、けっこう「やりましょう」「やりましょう」って言うんですけど、「じゃ、あんた作れよ」と言われると、「国はですね」なんて言ってですね(笑)、「国はそういう立場ではございません」なんて言うんですよ。
国だって作れるんですよ。
作ると思えば。国立夜間中学を作れと言えば作ることはできるんですよ。
文部科学大臣が本気になって、財務大臣がそのためにお金を付けてくれればですね。できます。
でもやっぱり、基本的には市町村が作るのが筋だと思うんで、そうするとやっぱり福島市教育委員会がそういう気になって欲しいなと(思います)。
ただ、福島市が作った場合にも、近隣の市町村の人たちもそこに通ってくるようになると思うので、その場合の近隣の市町村同士の間でも、何らかの協定を結ぶってことが必要になってくると思うんです。
こういった方法で、市町村、ある市町村が作るけれども、周りの市町村からも生徒が来て、それぞれの市町村が応分の負担をすると、こういう仕組みが奈良県では作ってます。
奈良県は、奈良県の人口は福島県よりも小さいですけれども、奈良県には夜間中学が3校もあってですね、それぞれ近隣の市町村をカバーしてるわけです。
だから奈良県というのは、夜間中学に関する限りはかなり進んでます。
そういったことで、夜間中学についてはですね、法律ができたので、法律の中身をどう作っていくか、それは、結局は各自治体のこれからの動きにかかっていると。
私としては、それをなんとか応援していきたいなと思っている次第でございまして、早く加計学園問題からは解放されてですね(笑)、教育の世界で、本来のフィールドでですね、学びたい人を応援していけるような、そういった仕事を私のできる範囲でやっていきたいなと。
前文部科学事務次官という肩書きがどこまで通用するか分かりませんけれども、来年あたり文部科学事務次官の交代が起こればですね、「前文部科学事務次官」とは言えないんで、「元文部科学事務次官」になるんですけども、「元文部科学事務次官」になるとちょっと効力もかなり減ると思うんでですね(笑)、それまでになんらかの、・・・。
今のところ、肩書きがなくて名刺も持たずに生活してるんですけども、あえて名刺を作るとすれば、「福島駅前自主夜間中学 前川喜平」となるわけです(笑)。
・・このくらいで「大いに語った」ことになりますかね(笑、拍手)。
よろしければ、そろそろ時間になっておりますので、私の「独演」のほうはこれで終わらせていただきたいと思います。
どうもご静聴ありがとうございました(拍手)。
(司会)
前川さん、本当にありがとうございました。
本当に、ストンと落ちた人もいるし、モヤモヤが消えた人がいるんではないかと思います。
この後、10分間、休憩を取らせていただきます。
その間にですね、皆さんには、この後「質疑応答」ということで、いろいろと考えていただければと思います。
それでは、10分間、休憩させていただきます。
(前川氏)
私はどこへ?
(司会)
前川さん。1時間、本当は1時間(の予定)だったんですね。
「おおいに語る」ということで、15分多めに語っていただきましたので、前川さん、少しお休みいただきまして、皆様、10分間休憩ということで、皆様拍手をもってお送りいただければと思います。
どうぞよろしくお願いいたします(拍手)。
(前川氏退壇)
(司会)
通常ですと、このまま質疑応答というところに入っていきたいところなんですが、主催者側からの要望でですね、10分間の休憩をとるようにと、様々な理由があるということでね、若い方もご年配の方もいらっしゃいますので、ぜひ10分間の間に休憩を取られまして、おトイレはですね、こちらの方を出られたところと、後ろにトイレがございますので、休憩をとってください。
この間、ちょっとご案内をさせていただきます。
受付のところにですね、カンパ箱が用意されております。
私ども、皆さん、ボランティアで今回の講演会を企画させております。
皆さんの温かいご支援などがご寄付されたら良いなということで、カンパ箱ご準備しておりますので、皆様、協力よろしくお願いいたします。
前川さんのお話の中でも出てきたかと思いますが、福島駅前自主夜間中学の関係者がですね、卒業された方が発行した本が今月、小説となって販売されます。
「青い瞳のエイデン」という小説になります。
皆様のお手元にあるチラシにもご案内が出てるかと思いますので、ご興味のある方、ぜひお求めいただければと思います。
よろしくお願いいたします。
2冊目はですね、「福島に夜間中学をつくる会」会員が編集した福島市内の戦争体験者の本「我が青春に悔いあり」。
戦時中に描いたスケッチ・文章のユニークな体験記録です。受付で取り扱っておりますので、ぜひ興味のある方はご購入いただければと思います。
それから、最後にですね、アンケート用紙も皆さんのお手元に入っているかと思います。
終わり次第、終了後で結構ですので、アンケートの方にもご記入いただいて、お帰りの際、受付にお渡しいただければと思います。
質疑応答の時間は7時25分からとさせていただきます。
皆様、7時25分までにはお席の方にお戻りいただければと思います。
ご協力、よろしくお願いいたします。
ーー休憩ーー
《質疑応答》
ーー再開ーー
(司会)
はい。それでは、前川さんが来てないと質問にはなりませんね。
すっかり忘れておりました。
質問だけ受けて、ご本人がいないということでは。
それでは、前川さん、お呼びしたいと思います。
よろしくお願いいたします。
(前川氏再登壇)
(司会)
はい、それでは皆様、ご質問のある方、お手を挙げていただきまして、質問さして。。
はい、もう一番最初に手を挙げた方がいらっしゃいますので、まずそちらの方にマイクを回したいと思います。
すみません。
お手はね、マイクが届くまで挙げておいていただけますか。
はい、届きました。
(質問者①・男性)
質問します。
前川さん。
背広姿ではない前川さんはいいですね(笑)。
前川さんが(国会で)お座りになっているときね、あそこの和泉さん(総理補佐官)とか、そういう人たちがみんな「知りません」とか「存じませぬ」とか言ってましたよね。
あのとき、前川さんが心の中で考えていたことを、ここでバラしてください(笑)。
それが第一点。
それから、福島には、会津の教えで「卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ」「うそをついてはなりませぬ」「ならぬことはなりませぬ」という教えがありますよね。
で、この国の将来、子どもを考えたら、とてもじゃないけど、ぶっこわれっちまうと私は思うんだけど、前川さん、どのようにお考えですか?
それから、もう一つ・・
(司会)
すみません。
皆様、他の方もいらっしゃいますので。。
(質問者①・男性)
はい、分かりました。じゃ、結構です。
(司会)
お一人一つの質問ということで。
いま私が2つあったような気がしたんですけども、前川さん、すみませんが、よろしくお願いいたします。
(前川氏)
はい。
「国会の委員会で、座っているときに他の人の答弁を聞いて何を考えていたか」と(いうことですね)。
正直申し上げてですね、同情してました。
「気の毒だな」と。
「私も現役だったら、ああいうことになっていたかなあ」ということでですね、特に文部科学省の私の後輩が答弁するときには、本当に胸が痛いなあと思いましたんですよね。
あるいは、松野文部科学大臣のご答弁もですね、・・私もあの大臣にお仕えした次官だったわけですから、非常に苦しい思いの中でああいう答弁をしておられるということでですね。
他のところでもちょっと申し上げましたけども、官邸と文部科学省の関係というのは「蛇と蛙」みたいなもんですから(笑)、蛇に睨まれた蛙みたいなところでですね、なかなか蛙はですね、蛇に歯向かうことはできないんですよ。
私だって辞めたからね、ナンボでも好きなことを言っているわけでですね、「現役の間にちゃんと言えば良かったじゃないか」と言われれば「そのとおりです」と。
「でも、できなかったんです」ということなんですよね。
だから本当に、私が思っていたのは、同情の気持ち、「かわいそうだなあ」という気持ちですかね。
でも、本当のところは、「もうちょっと言ってくれたらいいのになあ」と思いますけどね。
でもまあ、仕方がないのかなあという感じはするんですけど。
まあ、ちょっとね、「記憶にございません」とか「覚えていません」とか「記録が残っていません」とか。
これ、子どもたちの間で流行ったら困りますよね(笑)。
「ならぬものはならぬ」という会津の「什の掟」ですか、これは大事だと思います(笑)。
やはりね、道徳というのは、最初のうちは、子どもが小さいときには、やっぱり、上から教え込むという部分は必要なんですよね。
だけど、だんだん長ずるに従って、批判的に物を考えるようになってですね、「『ならぬものはならぬ』と教えられたけれども、本当にならぬのかな」とかですね、「『うそをついてはいかん』と言われたけれども、この場合はしょうがないかな」とかですね(笑)。
道徳教育に文部科学省も力を入れるとかいって、特別の教科なんて言ってですね、検定教科書まで作っちゃったわけですけども。
狙いとするところは、「自分自身の正義というものは、自分で見つける」ということだということなので、自分で考えて「これは正しい」と思えるものを見いだすことができる人間になってもらうと。
誰かから教えられて正しいと言われたことを鵜呑みにして、それを無批判に受け入れるということではないんだということだと思ってますのでですね。
まあ『ならぬものはならぬ』ということも大事なんですけども、だんだんに『ならぬもの』が本当にならぬものかっていうことが、自分自身で考えられるような、そいういう道徳が必要なんだろうなと思っているんですけれどもね。
ちなみに、私もですね、「面従腹背」ということを言ってですね、けっこう誤解されておりますけども(笑)。
「面従腹背」というのは腹の中で思っていることをおくびにも出さずにですね、表面上従っているという状態で、私、38年間公務員をやってましたけど、ほとんど面従腹背してましたね(笑)。
ただ、そこで言いたいのは、うそついてうまく、何というか、世を渡っていけという話ではなくてですね、組織の中で仕事をする以上、これはまあ、多かれ少なかれ、組織の中での与えられた仕事というのに自分が本当に望んでいることとが食い違うということはあるわけです。
私の場合、相当それが甚だしかったんですけれどもね。
しかし、公務員として、国家公務員として仕事をしていても「一個人」であるということを忘れないようにしないといけないと思っていますし、「一国民」であるということを忘れないようにしないといけないと思っていますし、一個人として自らの思想、自らの良心、自らの信条といったものを失っちゃいけないと思っておりまして、私は、後輩たちにも「個人としての心を失うな」と、「一時的に貸すのは良いけど、売っちゃいかん」と(笑)。
私は、貸しては取り返し、貸しては取り返し、という感じなんですけれども。
それから、「国民である」、「一国民である」ということも忘れないようにしなくちゃいけないと。
一国民として考えた場合には、「この情報は出さなきゃいけない」というのはあるわけですよね。
「国民としてこれは知るべきだ」と、こういうふうにおかしなことが起こっているんであれば、・・その政府の中でおかしな事が起こっているということを隠したままではですね、国民はそれを是正できないと。
だから、やはり一国民として考えた場合には、役所の中にあるこの文書は表に出した方が良いと。
そういうふうに判断する場合があって良いんだと思うんですよね。
これが公務員としてあるいは役人として正しいことか否かというのは、結構いま、霞が関の中でも若手が悩んでいると思うんです。
「鉄壁の財務省」は一つも出さなかったんです。
文部科学省は、後から後からポロポロ、ポロポロ出てくるわけですね(笑)。
どっちが「良い役所」かっていうことなんですよね。
どっちが「良い役人」かっていうことでですね、これは、自分自身が個人であり、国民であるっていう自覚を失わない人間が結構たくさんいるのが文部科学省でですね、はっきりいってしまうと、魂を組織に売り渡してしまったような役人がたくさんいるのが財務省(笑。拍手)。
..財務省にも心ある人はいると思いますし、読売新聞にもいると思うんですよ(笑。拍手)。
しかしまあ、どうしてもね、組織の中ではどうしようもないってことはありますから、それはやはり同情を禁じ得ないというところはあります。
すみません、答えが長くなって(笑)。
(司会)
次の方、いらっしゃいましたら。
はい、前の方。
前から3列目の方で。
マイクの。
はい、今手を挙げております(方)。
(質問者②・男性)
前川さんは、文部科学事務次官という公務員の出世の最高峰のところから職を追われてしまった訳なんですが、そのニュースが出たとき、私は「これは裏があるな」と思った訳ですが、今ではもうほぼ確信しています。
ということで、追われたのは、権力者のいうことを聞かない、そして忖度しなかったからじゃないのかなと、そういう疑いがあります。
ということで、今日のタイトルの3つ書いてある中で、一つだけ言わなかった「憲法」という話、あまりふれられなかったものですから、その憲法を何かしようと思って忖度しなかったのかなあというふうにも思うんです。
ということで、実際今日は、前川さんの口から、いったい前川さんはどんな違法行為をなさって(笑)、それはいったいどれくらい悪いことだったのか、というところを、ちょっと言いにくいところもあるかと思いますが、生の声を聞かせていただきたいなと思います。
(司会)
はい、よろしくお願いします。
(前川氏)
私が文部科学省事務次官を退任したいきさつというのはですね、これはご承知の人が多いと思いますけれども、「再就職規制違反事件」というものの責任を取ったわけですね。再就職規制違反、つまり天下り規制違反なんですけども、天下りを斡旋しちゃいかんと、文部科学省の職員、現役の職員が、文部科学省のOBがどっか他の民間の法人や企業に再就職するというのを斡旋してはいけないと。この「斡旋してはいけない」という規制に違反しちゃったんですね。
これがですね、夥しい数の違反が出てきたんです。調べてみたら、次から次と。。私の知らないものを含めて次々と、・・ほとんど知らないものだったんですけど、たくさん出てきちゃって、私自身が、「このくらい(は)大丈夫だろう」と思っていたものが「ダメだ」と言われてですね。
どういうケースかというと、既に退職したOBがいらっしゃいまして、一時期私と国会に呼ばれてましたが、島貫(和男)さんという人ですけどね。このOBの人がいて、このOBの人に再就職の斡旋をしてもらってたと、現職の人間は自らはせずに。
但し、文部科学省の中にはですね、文部科学省のいろんな人のところに、学校法人○○学園がですね、「理事が欲しい」と、「理事にふさわしい人いませんか」とか、「事務局長にふさわしい人いませんか」とか、「こういう分野の教育行政の教授をやってくれる人いませんか」とか、そんな「求人情報」が来るんですよね。
一方で、文部科学省を退職した人、あるいはこれからまもなく退職するという人で「退職後の仕事ありませんか」と、「こんな分野だったらできるんですけど」とみたいな、そういう退職者の「求職情報」も来るわけ。
「求人情報」と「求職情報」が来るんですけど、これを直接マッチさせてしまうと「これは違法だ」と言われるんで、「求人情報」をこの人に渡してですね、「求職情報」をこの人に渡して、これ、同じ人なんですけども(笑)、それで同じ人に「こういうところから、こんな人材を求めている」というのと、「こういう人たちが次の職を求めている」という、この情報を渡して、そこでマッチングしてもらっていたと。
この人が島貫さんという人なんです。
私自身も、「求職情報」とか「求人情報」とかをですね、島貫さんという人に渡して「よろしく」とか言っていた訳です。
ところが、その島貫さんという人はどうしてたかというと、自分がもらった情報を人事課に渡してたんです(笑)。
文部科学省の人事課に。島貫さんという人は人事課のOBなんですよ。
もらった求職情報、求人情報を渡しちゃって、そこで自分のために書類を整理させたりですね、まるで自分の部下みたいに使ってたんですね。
そうすると、島貫さんが本来持っているはずの情報がですね、人事課の職員のパソコンの中に入ってるわけですね。
これが見つかっちゃったんです。
私もこんなものがあると知らなかったんですけれども、それを見つけたのは再就職監視委員会という凄い委員会でありましてですね、これは独立性も強いし、「パソコンの中の書類を全部見せろ」と言われてですね、「はい」と言って渡して見せたら、「島貫さんという人は人事課と一心同体ではないか」と。
つまり、「島貫さんという人がやっている斡旋行為は人事課がやっているのと同じだ」と言われてしまいまして。
そうすると、もう、「島貫さんがやってるから大丈夫だ」と思っていたものが何十件、何百件もあるんですけれども、それが「全部、人事課と一体となってるから違法だ」と言われてですね、「言われちゃったらしょうがない」と。
そうやって違法だと言われたものは、違法性を判断する権威ある機関がそう言ってるんですから、「分かりました」と。「悪うございました」ということで認めたわけですよね。
確かに、直接、これはもう違反行為だと分かっていてやったケースもあったんです。
人事課がやったケースがありました。
2年前に辞めた局長、・・辞める予定の局長を早稲田大学に斡旋したというのがありましてですね、これは明らかに人事課の職員がやっていて、人事課の職員もこれは違法だということを自覚してやっていたと。
これはもう、言い逃れは絶対できないし、・・島貫さんがやっていたことも言い逃れはしないんですけれど、もう明らかに本人自身も違法だと思ってやっていたことがあって、しかも、違法だということを自覚していたが故に、それを隠蔽しようとしたんですよね。
だから、明らかな違法な斡旋をし、更にその違法行為を隠蔽する工作をして。
何もやってない人を連れてきてですね、「あなたが斡旋したことにしてくれ」と言ったんですよ。
で、この人も人が良くてですね「私がやりました」って言ってたんです(笑)。
だけど、バレちゃったんです。
だから、間違えをするのはいいけど、間違えを隠そうとするのはもっといけないということで糾弾されてしまったわけで、このことは言い逃れできない。
文部科学省として、組織として、やはり法律で禁じられている違法な行為をしたということなんですけども。
でも、ただ、天下りで何が問題かというと、役所の権限を笠に着て、「欲しい」とも言っていない人を押しつける。「文部科学省でこの人要らないから、ちょっとあんたのところで引き取ってくれ」と、「その代わり、そこの何々学部、・・・獣医学部とは言いませんけど、も認めてやろう、とかですね、そういう権限を笠に着て、あるいは、補助金を盾にとって「補助金を出してやるから、この人を引き取れ」とかね。
こうやって、権限とか予算、補助金というものをテコにして人を押しつけるようなこと、これが一つ問題なんですよね。
もう一つ問題なのは、文部科学省を辞めて行った先で、行った先の会社なり学校なりのために文部科学省にいろいろと圧力を掛けてくると。
獣医学部とは言いませんけれども、「この学部を作ってくれ」と言いに来るとかですね。
加計学園では木曽さんという先輩が行ってるんですけれども、そういう話なんですよ。
自分の古巣に対して再就職先のために便宜を図ると。
こういうことによって、公正であるべき行政が歪んでいくもとになるので、やはりこの天下りの弊害というものはあると思うんです。
ただ、国立大学の運営に長く携わっていた経験のある人が私立大学へ行って、その経験を生かして更に仕事をするというようなことは、これはあってもおかしくはないと思いますし、例えば、これも「天下りだ」といって糾弾されて結局辞めたのが私の同期で吉田さんという人がいるんですけど、この人は、さっき言った高等教育局長で早稲田大学に再就職した人です。
この人は著作権を教えていたんです。
吉田さんという人は、長い間著作権行政をやっていた人で、日本の著作権法の権威と言っていいぐらい著作権法に通じている人で、別に早稲田大学でなくてもいろんな大学で著作権を教える仕事は獲得できたと思うんですけれども、たまたま早稲田大学に人事課が繋いでしまったんですよね。
だから、文部科学省で仕事をする中で培った知識や経験というものを生かして別のところで仕事をすると。
その際に、なにかこう、無理矢理押しつけるということがあったり、あるいは行った先に役所に圧力を掛けるというようなことはあったり、そういうことがなければですね、貴重な人材の専門性とか知識・経験を生かすという意味で再就職というのは責められるべきものではないんだろうと思ってるんですけれども。
とにかく、手続き的に文部科学省の職員が直接携わってしまったという、禁じられていることをしちゃったということは事実なんですよね。
ただ、私が官邸に歯向かったから辞めさせられたとは、私は思ってません。
文部科学省は、再就職規制違反はですね、ひとえに文部科学省のオウンゴール、自滅(笑)。
「身から出たさび」って言いますかね、自分で自業自得って言うか、自分でやって法律違反だったということで責められたわけで、これはもう仕方がないと思ってます。
だから、私はもう、これは責任取って辞めるしかないと思っておりましたし、何か理不尽に官邸から首を切られたとは思ってないんですよね。
だから、怨みも抱いてません、この件に関しては。
・・この件に関してはですね(笑)。
読売新聞は別ですけれどね(笑)。
ただですね、おそらく役所の人事権をいま官邸が握ってるわけですけど、官邸からしてみるとですね、「なんであんなやつを事務次官にしちゃったのか」っていうのは、「しまった」というのは思っておられると思いますね(笑)。
「あんなやつだとは思わなかった」と。
そこは私が「面従腹背」と言ったとこなんですけども(笑)。
ここだけ、内緒の話ですけど(笑)、2年前の9月18日、国会正門前に私、いたんです(おーと驚きの声)。
SEALDsの連中がね、ラップのリズムで「集・団・的・自衛権は・要らない」と言っているわけです。
「集団的自衛権は要らない」って、非常に散文的な言葉ですけど、これをあのリズムに乗るってのがすごいんですよね。
「集団的自衛権は要らない」、「集団的自衛権は要らない」って、こういうリズムでこういくわけですよね。
「お、すごいな」と思って、こういう、・・これも「シュプレヒコール」って言うのかなあと思ってですね、つまんないこと考えながらですね(笑)。
私は、「戦争法」と言われたり「安保法制」と言われたりしますけど、あの安保法制は解釈改憲によるものですけれども、集団的自衛権を認めるという解釈は成り立たないと(思います)。
ですから、こういうことは立憲主義に反すると。
つまり、立憲主義というのは、・・・やっと憲法の話になってますけどね(笑)、・・・「立憲主義」というのは国民が国を縛るものですから。国が国民の自由や権利や基本的人権や平和やといったものを冒さないように国を縛っているわけで。
個人の尊厳を最大限に踏みにじるのは戦争ですから、戦争はもう絶対しないと、これはもう9条で宣言してるわけですからね。そのために9条というものを大事にしてきたと。
自衛隊は確かに存在するし、一定の役割を果たしているし、国民の多くが自衛隊の存在を認めているという事実はあると思うんです。
それは、長年の憲法の解釈の中で、ここまでは認められるというギリギリの線を国も政府、国民も、100%ではないけれども、なんとかコンセンサスに近いものを作りながらですね、個別的自衛権で専守防衛ならば、まあ実力組織として認めてもいいんじゃないかというところで踏みとどまっていたのが自衛隊だと思うんです。憲法9条の解釈もそこまでだったらというのがですね、あったと思うんですよね。
しかし、それをあっさりと踏み越えてしまってですね、しかも法制局の見解だ、閣議決定だという、政府の中の考え方として集団的自衛権は憲法上認められているというようなありもしないことをですね宣言して、そのありもしない、あってはならない憲法解釈に基づいて法律を作っちゃったわけですから。
私は個人として考えるに、明らかにあれは、安保法制は、集団的自衛権に基づく条文はすべて憲法違反だと思います(拍手)。
だから、いや、(拍手を制して)安保法制賛成の人もいますから。。これは私の意見です。
ですから、あの法律は作るべき法律ではなかったと思ってますのでですね、そのためには、やはり自分の、一個人として、一国民として声を出す場がなければいけないと思ってですね、・・声を出すといっても、みんなに交じって行っただけですけどね(笑)。
みんなに交じって行ってただけで、しかも、行ったのは9月18日の夜1回きりですから。
あの日は「今日行かなきゃもうない」と思ったんですよね。
その日は安保法制が参議院で成立した日ですから。
何も好き好んで満州事変の日にやらなくてもいいと思ったんですけども。
9月18日ですから。
まさに日本が中国侵略、本格的な中国侵略を始めた日ですよね。
1931年の9月18日。
だから、日本が誤った戦争をしたという痛切な反省の上にできている憲法、だからこそ「平和憲法」というわけですから。
その平和憲法を本当に土足で踏みにじるような行為、これはやっぱり問題だと思ってました。
ただそれはですね、「バレ」てませんでしたから(笑)。
これ、バレてたら、事務次官になってなかったんです、おそらく(笑)。
まさかね、これから事務次官になるっている人間がですよ、安保法制反対のデモの中にいるって思わないですよね(笑)。だから、これ本当にナイショの話ですから(笑)。
だから私は、事務次官を退任する経緯というのは、本当に文部科学省のオウンゴールによるもので、自業自得だと思ってますんで、納得しているんです。
これは、官邸から何かこう「けしからん奴だ」と、「官邸のいうことを聞かない奴だ」と、「加計学園の獣医学部に反対しているからだ」ということで首を切られたというふうには思っていませんですし、事務次官でいる間は、加計学園のことについてもですね、「しょうがない。これはもう政治案件だから」と、もう仲間とほとんどあきらめていたわけです。
しかしやっぱり、辞めてから考えてみると、「やっぱりこれはおかしい」と。
「これは、こういう間違った、歪んだ行政を行われているっていうことは国民が知らなければいけない」と。
「国民主権という憲法の原理に反するんじゃないか」と。
間違ったことが行われていても、それが国民に知らされていなければ、国民が民主主義のプロセスを通じて是正するということができないわけですね。
歪んだものを正そうとしても、どこで何が言われているか分からなければ正しようがないですから。
そういう意味もあって、これはやはり、国民に知らせるべきことだろうと。
私だけではなくて、現役の人たちの中にもいろいろとそういう人がいてですね、それがためにいろんな文書があっちからもこっちからも出てきたわけです(笑)。
私はただそれを、これを「あったものはあった」と言っただけであってですね、それ以上のことを言ったつもりはなかったんですけど、だんだん巻き込まれてしまいまして、国会の参考人に呼ばれることになってしまったということでございますけれども。
以上は、ナイショの話でございます(笑、拍手)。
(司会)
はい、ありがとうございます。
ナイショの話でございますので、皆様、よろしくお願いいたします。
それでは、はい、お次の方。
先ほどから(手を)挙げていただいている一番前の女性の方、よろしくお願いします。
(質問者③・女性)
ありがとうございます。
今日は私、四国から参りました(拍手)。
もう、あの国会で前川さんの答弁をお聞きしたときに、私本当にこの数年来ぐっすり眠れまして(笑)、「あ、まともな人がいてくれたんだ」と思って。
本当にありがとうございます(拍手)。
それでですね、私はとにかく感動して、それで「ああ、良かった。信じられる人がいたんだ」と思って。
きっといると思って信じて私もいろいろやってきたんですけど、今日、ここ福島に来させていただくときに、佐川(宣寿)さんとすれ違ったんです。
(前川氏)
え?
(質問者③・女性)
佐川さん。
(前川氏)
どこで?
(質問者③・女性)
東京駅で。
(前川氏)
あら。
(質問者③・女性)
でね、私あのときに「(国税庁長官就任の)所信表明してください」って言えば良かったなと思って。
でも、「なんか本当にこの人、眉毛が下がっているんだなあ」と思うのしか見てなくて。
でも、本当にジーっと見ちゃったんですけど、「残念だな」と思ったんですけど。
でも本当に、今日は前川さんのお話をお聞きして、本当に私は赤ベコでしかなかったんですけど。
これ、福島だからじゃないんですよね(笑)。
本当にありがとうございました。
で、質問、ごめんなさい。
前川さんのような方は、多分、後にも先にもいらっしゃらるんだと、私は信じているんですけども、多分、前にいらっしゃった方も、後もそうなんですけど、勇気を持って、国民を信じていただくには、どういうアピールをすればいいでしょうか。
私は信じているんですけど、官僚のみなさんを。
きっといろんな知識を蓄えて、そこまで出かけていって、公僕としてね、働いてくださっている皆さんを励ますには、どのような、・・私「イジメ」もそうなんですけど、イジメをする人を止めさせるという直接的な動きも必要なんですけど、そうさせない社会を作る、そうさせない動きをすることも大事だと思っているんです。
それで、立ち回って、直接的に立ち回ってくださるその方々にどういうふうにすればいいか、それは夜間中学のような取り組みをされる方もそうだと思うんですが、こういうときにですね、佐川さんを例えば所信表明させるときに当たっての周りの官僚の皆さんを励ますにはどのようなことをすればいいか(笑)。
すみません。
よろしくお願いします。
(前川氏)
そうですね。「本当のことを言う人は支えますよ」というメッセージをね、あらゆる機会にあらゆる人から発してもらって。。
国家公務員を目指す人たちは、多かれ少なかれ、やはり「世のため人のため国民のために仕事がしたい」って思って国家公務員になるわけで、公僕として、全体の奉仕者として人々のためになるような仕事がしたいと、少なくても最初に役所に入るときにはそういう風に思ってる人が多いと思うんですよ。
そうじゃない人もたまにはいるかも知れませんけど(笑)。
ただね、それは、公務員として仕事をする上では、上司がいるわけですからね。
「上司の命に従い」ってのは必ずあるわけですよね。
公務員になるときに「宣誓文」というのを読まされますけど、そのときに「憲法に従い、法令を遵守し、上司の命に従い」というのが、こういう言葉を言わされますけど、でも、上司って言うのは、そのまた上司がいて、そのまた上司がいて、最後に行き着くのは国民ですから。
国民こそがご主人様であって、「公僕」ってのは、「国民の下僕」であると、国民のために仕事をする人間ていう意味ですからね、だから、国民と公務員との間に政治家がいるんですけどね(笑)。
それがね、いつもいい人とは限らないんですよね、これが(笑)。
だから私は、後輩たちには「自分のできる範囲の中で頑張んなさい」と。
「無理をして自分の意見を通そうとすると潰される危険があるかな」と。
左遷されたりね、辞めさせられたり。
だから私は、お薦めの方法はやっぱり「面従腹背」なんですけど(笑)。
ただ、面従腹背というのはけっこうしんどいもんですよ。
面従腹背している間は、私が本当に何を考えているのかは知らないんですから、みんなは。
「本当は国民のために思っているんですよね」とかって言ってもね、「思ってません」みたいな顔をして仕事をしているわけです。
そもそもご質問がよく分からなかったんで、お答えになっていないんですけど、佐川さんになんて言ったら良いかという話ではないんですよね(笑)。
(質問者③・女性)
そういうことじゃなくて、やっぱり選挙・・。
(前川氏)
選挙。
だから、一人ひとりの自覚っていうのは、非常に大事だと思います。
18歳投票権ということが法制化されてから、にわかに主権者教育っていうのが大事だという風に言われてきているんですけども、文部科学省も。
でも、主権者教育っていうのは、別に18歳投票権があろうとなかろうとね、非常に大事だと思うんですよ。
憲法教育という意味もあるし、政治教育といういう意味もありますし。
本当に今何が問題なのかっていうことをちゃんと論理的に、科学的に考えるっていう力が大事だし、本当のことを考えて本当の解決策を実現してくれる、そういう政治家をどうやって選んだら良いかということですよね。
それはなかなか難しいことだと思うんですけど、とにかく自分の頭で考える。自分の頭で考えて、この人に政治を託してもいいんじゃないかって思う人に託すっていう、それに尽きるだろうなと思うんですけど。
やっぱりそれは、一人ひとりの、学校の先生と生徒の関係とかね。先生自身も批判的精神を持った先生でいてほしいですよね。
付和雷同するんではなくて、「なんか偉い人が言ってるから右へ倣え」っていうんじゃなくて、「文部省のいうことなんか聞くな」という人の方が良いと思う(笑)。本当に。
「文部科学省が言ってますから」っていうんで、そのまま鵜呑みにするような先生はね、辞めた方が良い(笑、拍手)。
そういう批判的な精神ですね、やっぱりね。
(質問者③・女性)
ありがとうございました。
(司会)
はい。
それでは、次の方、いらっしゃいますでしょうか。
はい、じゃあ、真ん中の方に。
その次にお呼びいたしますので。
(質問者④・女性)
前川さん、今日は本当に大変貴重な話をありがとうございました。
加計学園問題は、もちろん私も興味があるんですけれども、前川さん個人に非常に興味があります(笑)。
夜間中学のことに関してお伺いをさせていただきます。
前川さんがおっしゃっていたのは、「そんなにイジメが酷いのであれば、学校に行かなくて良い」というようなことをおっしゃっていたんですけれども、前川さんご自身は東大卒ということで、学歴のトップを極められているんですが、そういうふうに「学校に行かなくて良い」というふうに思ったきっかけというのを、ちょっとお伺いしたいなというふうに思います。
よろしくお願いします。
(司会)
はい。
(前川氏)
私自身は、実はね、小学校3年生のときですけども、不登校になったことがあります。
私は、生まれは奈良県なんです。奈良県と言っても、田舎の方ででしてね、本当に田舎の方の小学校に、小学校3年生の1学期までいたんですけど、親の仕事の都合で東京に引っ越すことになりましてですね、小学校の1学期の終わり頃までに、小学校3年生の1学期の終わり頃に、東京に引っ越して東京の学校に転入したんですよね。
その学校がなじめなくてですね、使ってる言葉も違うし。
僕は自分の親のことをお父ちゃん、お母ちゃんと言ってたんですけど、東京に来てみると、みんな「パパ」「ママ」と言ってて(笑)。
お母ちゃんと言ったら笑われたりしてね。
なんでいけないんだと思ったりしたんだけども、そんなところからなじめない感じがあって。
そのときの担任の先生もねえ、誤解かも知れないけど意地悪だったなあ(笑)。
優しくなかったです。
女の先生だったですけど。
それから、恐怖だったのは、プールの授業というのがあってですね。
奈良県というのは海なし県ですけど、まだ昭和30年代ですからね、私が小学校のころプールがなかったです。
だから水泳の授業はなかったです。
小学校3年生の1学期まで。
ところが、東京の学校はどこもプール完備で、夏休みにはプールの授業、水泳の授業があってですね。
私はそれまで、まず泳いだってことがいっぺんもないわけなんです。
水に浸かるとかお湯に浸かるというのは風呂だけだと思ってました(笑)。
それでとにかく、プールの授業にいきなり、それこそ突っ込まれてですね、これが本当に死ぬほどの思いをしましたね。
溺れて死ぬかと思いましたよ。
まあ何とか顔を突き上げたり浮き上がったりすることができたんですけど。
そういうこともあってですね、小学校3年生の2学期頃からだんだん学校に行かなくなったんですよね。
学校に行く時刻になると、8時頃になってくると、吐き気がしたり、頭が痛くなったりするんですね。
これななぜか私も分かりませんけども、学校に行きたくないという気持ちが身体症状として現れてくる。
「しんどいから生きたくない」と言うと、お母ちゃんがですね、「じゃ、寝てなさい」と言うと。
そうすると、寝てるとですね、一時間もすると吐き気も頭痛もなくなってケロッとしてですね、遊び回ってると。
そんな感じ、そんなことを繰り返してました。
小学校3年生のときには、そういう…学校に全く行かなかったわけではもちろんなくて、行ったり遊んだりしてたんですけど、東京でもう一回引っ越したんですよね。
小学校3年生から4年生になる春休みの頃に、もう一度親が引っ越しをして別の小学校に転校したんですよ。
4年生から。
4年生から転校したときに、子供心に「今度はうまくやろう」と思ってですね、友達とも仲良くしようとして、「おかあちゃん」などと言わずにですね。
・・「ママ」とは言わなかったですけどね、4年生で転校した学校とはうまく溶け込めましたね。先生も違ったなあ。3年生のときの先生は本当に意地悪だったと思ったんだけれど、4年生のときの先生は優しい先生だったですよね。
両方の先生、同じ女の先生だったですけど。
そういう自分自身が学校で厭な思いをしたという記憶はありますね。
それから、私自身が文部科学省に入るまで、あまり学校教育に関わる生活をしていなかったということがあると思うんですよ。
こういう傾向があるんです。
外務省は外交官の子どもが多いと。
自治省、今の総務省は地方公務員の子どもが多いと。
文部科学省、特に文部省ですね、旧文部省は実は教員の子どもが多いんですよ。
文部、、結構多いです。
やっぱりあれなんでしょうね。
お父さん、お母さんがなんか文部科学省にいじめられているのを見て育ったりして(笑)。
育った子どもは、いずれ文部省に入って見返してやると思うのかも知れないですよ(笑)。
それは極論でございますが、元々教員一家なんだという、そこの息子、娘が文部科学省に入ってくるというケースが結構あるんですよね。
そういう意味で言うと、私は、周りにそういう学校教育関係者が一人もいなくてですね、学校というものを相対的、客観的に見るって言う視点を始めから持ってたということも言えるかも知れませんね。
それから、やっぱり、学校というところの、なんかこう「規則正しさ」みたいなものが、どうしても好きじゃなくて(笑)。
こんな人が事務次官やってて良かったのかという気はしますけど、文部科学省、文部省に入った早い頃から、イリイチ(注:Ivan Illich / イヴァン・イリイチ、オーストリアの哲学者)だとかフレーレ(注:Nicolas Fréret / ニコラス・フレーレ、フランスの言語学者,歴史学者)だとかですね、学校制度に批判するような人の本を読んでましたね。
イヴァン・イリイチ「脱学校」のような本をね。
人間を型にはめようとする近代社会というものに対する批判というような感じ。
そういった考え方は、今でも持ってますし。
実は私は、心の中では、「無政府主義者」なんですよ(笑)。
心の中ではですよ。
ちゃんと世の中で生きてる間は、ちゃんと従ってますけど、まあこれも一種の面従腹背ですけどね(笑)。
心の中では、国といったような権威というものを完全に否定すると。
国家公務員でありながらね、そういうところがありましてですね、そういう人間を規格にはめていくということに対する抵抗というようなものがずいぶんあったんですよね。
それは息苦しくなって死にたくなるって人が、子どもが出てきてもおかしくないと思うんですよね。
大阪市立大空小学校という小学校があって、そこの校長先生を長いことやっていた木村泰子さんという人がいて、この前、一緒にある会合でお話ししたんですけど、主催者が酷くてですね、木村と私二人、ボーンとステージに上がらせて「はい、漫才してください」と言っておいて(笑)。
それはないだろうと思ったんだけれど、木村さんが言ってるのは、大空小学校というのは「問題を抱えた子どもはみんな受け入れる」というすごい学校。ある意味でインクルーシブ教育の極致みたいな、いろんな障害がある子どももそのまま受け入れるし、いじめられていた子どももいじめてた子どもも不登校の子どもも、みんな入りたいという人はみんな受け入れるという、来るものは拒まず全部入れちゃうという。
それでも公立小学校なんですけどね。
名前が大空小学校っていうんだけれども。
その木村さんが言ってたのは、スーツケースのような学校ではなくて、風呂敷のような学校だって言うんです。
スーツケースというのは、スーツケースという型があって、型の中に中身をはめていかなければならない。
子どもたちもその型にはまるように入れてかなきゃいけないと。
それがスーツケースのような学校で、大空小学校はそんな学校ではなくて、どんな形の子どもでもみんな柔らかく包み込んでしまう。
大きい風呂敷、大風呂敷って言ってましたけど、大風呂敷のような、どんな形のものでも包み込む柔らかい。
それぞれの個性がある、それぞれの個性を生かしながら、しかし一つに包む。
共同体になっていく。そういう学校づくりを目指したんだと、こう言ってましたね。
そういう学校だったら、イジメも不登校も起こりにくいだろうなと。
それでも、起こるときは起こると思うんですよ。
「みんなの学校」という映画がありますけど、大空小学校を描いた映画があるんです。
機会があったらぜひ見ていただきたいと思うんですけど、もちろんケンカもあるんですよ。
イジメもあるんですよ。
だけど、それを一つ一つ解決していく。
子どもたちに求めているルールは一つだけ。
「たった一つの約束」と言って、「自分がされて厭なことは人にはしない」と、「言わない」と、「これだけ」という。「それだけを守りなさい」って。「それ以外は自由ですよ」っていう。
もちろん、時間割はあってちゃんと授業はしてるんですけど、しかし、様々な障害のある子どももいるから、授業中に立ち上がる子どももいるわけですよね。
授業中に声を出す子もいるし、それを周りの子どもたちも受け入れてる。そういう学校ね。
文部科学省的に言いますと、そんな完全インクルーシブ教育は難しいですよということになるんですけど、それを実践している学校があるんだというのはすごいなと思いますよね。
すべての学校がそんなふうになるのは難しいと思うんです。
だから、規格化された学校にはまらない子どもっていうのはいて当然だから、その子どもたちのために別の学習の場っていうものを考えてあげなきゃいけないだろうと思ってますし、そのための枠組みとして「教育機会確保法」という法律ができましたから、これからは教育委員会とフリースクールとも連携し合っていかなきゃいけないと思っているんですけど、どうしても文部科学省としても教育委員会としても、あるいは学校そのものも、学校という仕組みの中から、なかなかマインドが離れられないということがあって、学校以外には義務教育はないと思い込んでるところがありますからね。
でも、さっき言ったように、「親は泣くとも子は育つ」なんですから、「学校泣くとも子は育つ」んで、学校以外の場所で学ぶということはいくらでも可能だと思います。
そういう柔らかい気持ちというものをどれだけ持てるかということだと思うんですけども。
自分のことを分析すると、そんなことかなあって思うんですけど。
そんなとこですかね。
なんとなく、そういう「世俗の権力」とか「権威」というものをあんまり重要視しないというところがあってですね、そういう人が国家公務員をやってたのがおかしいんですけどね、でも今やっとそういう国家公務員制度というくびきから離れてですね、一自由人になったんで、めちゃめちゃ自由な気分なんですよね(笑)。
「学校に行かなくて良いよ」と言われた不登校の子どもみたいな(笑)。
そんな気分。
すみません。以上でございます(拍手)。
(司会)
はい、ありがとうございます。
次のご質問の方。先ほどお手を挙げていた方、大丈夫ですか?
あ、こちら。
いま、時間の方がですね、お二方でということで、こちらの方ともうお一方で終わりにさせていただきたいと思いますので、皆さん、申し訳ありませんがご了承くださいませ。
(質問者④・女性)
今日は、今夜だけの深く胸のすくお話をたくさんお聞きして、ありがとうございます。
宮城県から来ました。さっき高知からという方がいらしたので「負けた」と思いましたけれども(笑)。
(前川氏は)宮城に縁があったんですね。
宮城県の教育委員会の行政のところにいらしたということを今日知りました。
実は、この間仙台市長選で市民の共闘が本当に思いがけないくらいのたくさんの支持を得て勝ちました。
「前川の乱」があったからではないかと思うほど、浮動票が大きな役割を果たしました。
私、宮城からなんで飛んできたかというとですね、前川さんがこういうふうに加計問題で発言をされるのと並行してというか、直前ぐらいに実は宮城のいじめ自殺問題で文科省の副大臣の義家さんがいらして仙台市長と教育長に「隠蔽ではないか」という言葉を吐かれたんです。
私は、いまそういう現場の小学生とか孫の時代になってて、ただ、娘や息子が教員をしておりまして、文科省が圧力を掛けて明らかにせよということで解決するほどの問題で、そんな単純な問題ではないというふうに考えていました。
いじめ問題では、この福島の避難された方があちこちでいじめにあったということも、すごく心を痛めてまして、これは国
の責任できちっと解決の道筋をつけて欲しいと思っていましたが、あのときにいっぱい隠蔽してたんじゃないかと、とても苦々しい思いをしたので、前川さんがもし義家副大臣のような立場だったら、仙台市、宮城県にどのような指導をされたかなということをお聞きしたかったのです(笑)。
(前川氏)
いじめに起因する自死、自殺というのは、本当に痛ましい話でですね、なんとかそういった痛ましい事件をゼロにしたいと思ってましたけれども、どうしてもそういった事件が毎年起こるんですよね。
起きたことについて、やはりどうしてそんなことが起きたのかと検証することは非常に大事なことでですね。
そのためには、遺族である親御さんからの十分な話を聞かなければいけないでしょうし、同級生あるいは同じ学校の生徒たちからもですね、匿名のアンケート調査などをしてですね、十分な情報を集めるということが大事ですし、そのためには、第三者性のある客観的な調査ができる中立的な組織を作るということが大事だと思うので、そのことについては「いじめ防止対策推進法」という法律ができていてですね、ここに一通りの処方箋が書いてあるんですよ。
これも議員立法でできた法律ですけども。
問題は、そういった事件が起きたときに、担任が抱え込まない、担任だけではなくて学校の中だけでも抱え込まない、それから、教育委員会だけでも抱え込まない。
逆に言うとですね、往々にして起こるのは、担任が自分でそれをなかったことにしてしまう、あるいは学校が学校ぐるみでなかったことにしてしまう、あるいは教育委員会が教育委員会ぐるみで「これは事件ではない」「いじめとの関係はない」というふうに処理してしまうという、「あったことをなかったことにする」。
こういう体質があるんですよね、学校に。
これはどんな組織にもあると思うんです。
企業でもあると思うんです。
「粉飾決算はなかったことにしよう」とかですね。
いじめ防止対策推進法は、「情報を共有しましょう」ということで、とにかく極力情報を集めて、それを関係者の間で共有すると。
但し、その共有する情報の中には、様々な個人情報がありますから、その扱いは非常に慎重にしなければいけないし、常に、特に自死事件の場合であれば、遺族の方々との連絡を極力秘密にするということは大事だと思うんですよね。
だから、私がアドバイスするとすれば、よく遺族の方と話をして調査の方法を考えてくださいというふうに言うのかなと思うんですけど。
なぜ、何のために調査をするのかと言えば、責任追及というよりは再発防止なんですよね。
どうしても学校の関係者や教育委員会の関係者は、責任追及という方が先に頭に来てしまって、真実を明らかにすることで責任が問われるっていうところに頭が行ってしまうと。
そこは、責任が問われることは承知の上でやるしかないんですけれども、問題は、二度と起こらないようにするにはどうしたらいいかということだと思うんですよね。
だから、再発防止のための調査を十分遺族あるいは学校の子どもたちから聞き取りをして真実を明らかにして、二度と起こらないようにするにはどうしたらいいかという再発防止策を考えると。
これに尽きるんだろうなと思いますけどね。
やはり日頃から一人ひとりを大切にするという学校づくりをするということが何より大事だと思うんです。
一人ひとりの違いがあって良いんだと、さっき言ったような大空小学校のような「自分がされて厭なことは人にしない」という、これはもうほぼ唯一のルール。
「自分の身体的な特徴をからかわれたら厭だ」と、これは誰でも思っていることですよね。
「それをあなたがされたら厭でしょ。だから人にしちゃいけない」と。
あるいは、一人だけ仲間はずれにするという、「仲間はずれにされたら厭でしょ。それは誰に対してもしちゃいけない」と。
これは人権教育ということでもあると思うんです。一人ひとりの個人の尊厳というものを尊重し合うんだという。
そういう世の中づくりが大事だなということでですね。
私は木村さんという校長がやった大空小学校という学校の学校づくりというのは、そういう生徒同士も一人ひとりを大事にするという、そういうマインドをちゃんと持てるようにしていく、そういう学校づくりをしてたと思うんですよね。
こういった学校づくりができるかどうかだと思うんです。一人ひとりを大事にする子どもになっていくかどうか。
そこが、日本の学校というのは、どこか戦前からそうですけども、集団で行動するんだっていう集団主義が非常に強いですから。
もともと日本の学校は軍隊のやつでできてますから。
学級編成というのは部隊編成と同じようにできてますからね。
ランドセルというのは、あれは歩兵が担ぐ背嚢ですからね。
運動会というのは野戦演習です(笑)。
遠足は行軍ですからね(笑)。本当に。
中学校の男子の詰め襟の男子の制服っていうのは、これは陸軍の軍服です。
セーラー服というのは、言わずと知れた水兵さんきてるんですよ、日本の学校は。
その良さっていうのはあったと思いますけれども、やっぱりこういう仕組みっていうのは、一人ひとりの個性を殺してしまうという側面があってですね、みんなが一緒じゃなきゃいけないという同調圧力を生んでしまうという、そういう側面が非常に強いと思うんですよ。
それから私は、これは絶対是正しなきゃいけないと思っているのは、日本の部活動の暴力体質。
部活動というよりもスポーツ界と言った方がいいかもしれませんけど、まるで旧軍隊みたいなところがありますからね。
この部活動というものに名を借りた非人間的な権力構造というようなものがあってですね、これは非常に問題だと思ってます。
もっともっと一人ひとりを自由にさせた上でスキルを磨き、全体のチーム力を挙げるということはできると思うんだけども、軍隊式に体罰を平気でやってるっていう、そういう教師が今でもたくさんいますからね。
この学校の体質は、やっぱり私はいまでも問題だと思ってるし、日本の学校の中でまだまだ反省が必要な部分じゃないかなと思ってるんですよね。
そうやっていじめの起きない学校づくりをしてもらうっていうのが、一番大きな問題、課題だというふうに思いますけどね。
(司会)
はい、ありがとうございます。それでは最後の質問をさせていただきます。はい。
すみません。本当にお時間がなくなってまいりましたので、最後の質問ということでよろしくお願いいたします。
(質問者⑤・男性)
一つ質問させていただきます。
3年前に内閣人事局ができて、もともとは官僚の皆さんが国益を考えてもらう、省益じゃなくて国益を考えて・・、そんな目的だったと思うんですが、今回の加計問題なんかで見てると、皆さんその陰で官僚の皆さんが、記録がなくなっちゃったり、記憶がなくなっちゃったり。
そういうことの要因になってるのかなというマスコミの一部で言われてますけども、前川さんはその件についてどうお考えか。
それと、これは制度というか組織の問題ではなくて、そういうことなのか、組織の問題、制度の問題なのか、あるいは、それを運用する人間の資質の問題なのか、ということについて、前川さん、どんなふうにお考えか、お聞きしたかったということです。
(前川氏)
そうですね。
今の日本の政府において、権力が集中しすぎてるってことは言えると思うんですね。
その一つの現れが、上級国家公務員の人事権を官邸が握っているということ、それが一つ大きな要素があると思います。
やはり、審議官とか局長とかっていうポストに就くようになると、「官邸から睨まれないようにしなきゃ」という「忖度」ですわね、これが働きますわね。
しかも、「あの人は官邸から睨まれたから外された」みたいな実例がですね、あるんでですね、それは、声を出してみんな言わなくても、ヒソヒソとした噂話で伝わっていくわけです。
そういった人事の話っていうのは、普通は情報は伏せられているわけですけども、どこからか漏れてくわけですよね。
文部科学省でも、局長になるべき人間が、実は官邸の某有力者の不興を買ったためにですね、省の外に転任させられたという「噂」がありました。実際、その人間は文部科学省の中から外に行ったんですけれども、それは本来、本当は役所の中で局長になるはずだったと。
だけど、その局長になれずに外のポストに出されたんだと。
という噂、これは私自身がその人事に関わってはいないので、真相は知らないんです。
だけど、その噂があるということは事実なんです。
そういった噂が各省ごとにいろいろあるわけですね。
「あの人は、逆らったからああなった」とかですね、総務省で言えば、これも噂ですよ。
「事務次官になるべき人が『ふるさと納税』に反対したから、ある人に・・」ですね、「ある人」って、総務大臣やってから官房長官になった人ですけども(笑)、「・・睨まれて事務次官になれなかった」とかね、私も真偽のほどは知らないけれども、そういう噂がたくさん飛び交っていて、そうすると、やはり官邸の、特に某有力者に睨まれたら出世はないぞ」と、そんなふうにみんな思っちゃうわけですね。
それはこれまでのところ、絶大な効果があったんだろうと思うんですよね。
私なんか、そこをすり抜けて事務次官になっちゃったというところで(笑)。
そういう官邸の力が強くなったということと、人事権だけではなくて、様々な、・・「国家戦略特区」なんて仕組みもそうなんですけども、官邸及び官邸の下請け機関と言える内閣府という役所があってですね、官邸及び内閣府が中心になって様々な政策立案がされていってですね。
今は内閣府という組織がものすごく大きくなっちゃっている。
「内閣府に○○本部を作る」とか「○○部局を作る」とか「○○チームを作る」とか、しょっ中、・・そういう組織が・・内閣府の組織が大きくなってきて、そこに「各省から人を出せ」と言われてるわけです。
文部科学省は、もともと2000人ぐらいしかいない小さい役所なんですけれども、そこから「今度は10人出せ」「20人出せ」と、内閣府に人を出させられていると。
国家戦略特区で藤原審議官の下で働いているのは、実は文部科学省ですからね、かわいそうなんですよ、本当に(笑)。
「内閣府は何だ」なんて怒られているけど、実は文科省なんですよ、あれはね。
そういう感じで、内閣府という役所は肥大化しているという問題があります。
そこで、官邸直轄のところでいろいろな政策が行われていくと。
そうすると、文部科学省としては「こうした方が良いと思うんだけどな」というような政策であっても、官邸や内閣府から「そうじゃない。こうなんだ」っていう、「中央の方から指令が来る」って言いますかね、政策、・・各省各省が下から政策を積み上げていくんではなくて、なにかこう、トップダウンで総理官邸や内閣府から「これはこうしろ、ああしろ」っていう話が下りてくるのが多くなったような気がしますね。
それは一つには、やっぱり政治の世界でも「一強体制」が作られたということがあるんで、これはひょっとすると「小選挙区制」というものに起因するのかも知れないと思います。
与党の中でも派閥同士、・・派閥を解消するというのが良いと言われてましたけども、派閥というもののある意味存在意義もあったんだろうと思うんでですね。
派閥同士が切磋琢磨するとか。派閥の中にも、やっぱり「あの派閥はタカ派」だけれども、この派閥は「ハト派」ってありましたよね。
それがなんとなく、みんな「安部派」になっちゃってるということがあってですね(笑)。
岸田さんは、なんで安倍さんにあそこまで忠義を尽くすのかなあって、私は分かんないですけども(笑)。
かなり政治路線は違うんだろうと思うんですけど、しかし、それでも強いリーダーシップの下に一枚岩になってしまって、一枚岩にならざるを得ないようなところがあってですね。
ですから、官邸と党、与党との関係からいっても、官邸が強くなってるし、官邸と各省との関係からいっても、官邸の方が強くなってるという、政治の世界、行政の世界全体をひっくるめて、官邸の力が非常に強くなっていると。
更に言えば、官邸はメディアも支配していると(笑)。
支配されてないのもいっぱいありますよ、「週刊金曜日」みたいな(笑)。
だけど、私のインタビューを最初に撮った某放送局があるわけですよ。
番組(表)の一番左に書いてある。
そこは、今に至るまでニュースで流してませんからね、私のインタビューを。
もう流しても遅いとおもいますけども(笑)。
だから、あのインタビューはなぜ流さなかったのかとか、私が非常に不愉快に思っているような記事が某新聞、日本で一番売れてる新聞ですね(笑)、・・に載ったとかですね。
そういうことを考えてみると、「マスコミは第四の権力」なんて言われますけど、その第四の権力までが「一強に支配されている」ということがもしあるとすれば、非常にこれは危ないなと。
メディアというのは、「媒体」という意味ですね。
媒体というのは、何かと何かを繋ぐわけですね。
それは、一つには「政府と国民を繋ぐ」。
政府がこんなことをやっているということを国民に知らせて、政府がちょっとおかしくなってるなということになったら、国民がそれを是正することができるように。
そのためにはメディアが繋がなきゃいけない。
情報をこっち(国民)に渡さなきゃいけない。
メディアがその情報を渡さなかったらですね、「政府はみんな立派なことをしてます」と、「 国民のためになることだけしかやってません」と、「間違ったことは絶対していないんです」というようなメディアばっかりだったらですね、これは民主主義は機能しなくなっちゃう、働かなくなっちゃいますね。
「この政府は、すべて国民のためにみんな良いことばっかりやっているんだから、お任せしておけば良いんだ」ということになってしまって、知らされない限りはそう思わざるを得なくなっちゃうと。
これは非常に危険だと思うんでですね。
政治の権力がメディアまで支配するというのは、これはちょっとねえ、本当に危険だと思う。
だからといって、「メディア中立性確保法」なんて法律を作っっちゃいけないと思うんですよ(笑)。
これはやっぱり、政治権力で是正するんじゃなくて、メディアはメディアの中で自浄作用によって立ち直らなければいけないと思うんですよ。
私は、読売新聞にも立派な人はたくさんいるって思ってるんです(笑)。
NHKの中にも立派な人はたくさんいるって思ってるんです(笑)。
その上層部がどうかは知りませんけどもですね。
文部科学省の中にもやっぱり「ならぬことはならぬ」と思っている人がいるわけで、やっぱり、「おかしいものはちゃんと国民に知らせなきゃいけない」と思ってる現役が結構たくさんいてですね、私の知らない間にいろんなものが出てきたんですね。「あ、また出たのか」と(笑)。
「こんなものまであったのか」と、「俺、聞いてないよ、これは」というようなものもあってですね、これは何というか「情けない」というのか、「頼もしい」というのか非常に難しいところなんですけど(笑)。
でもやっぱり、文部科学省と財務省の違いというのはあるなあ、という気がしますね。
そこはね、文部科学省はやっぱり、政府の中でも真ん中から結構遠いところにいるわけです(笑)。
だから、官邸の目が届きにくいんですよ。
だから、間違って私みたいのが事務次官になっちゃったと(笑)。
財務省っていうのは、もっと官邸に近いところにいるんですよ。
権力に、中枢に近いんですよね。
そうすると、官邸の支配力も強くなっているという。
官邸からの距離っていうのがあると思うんですよね。
すみません。
だから、内閣人事局ができたってことは、やっぱり一極体制を作る上でかなり効果があったんではないかと私は思います。
(司会)
はい、ありがとうございます(拍手)。
本当に、一つ一つ丁寧にお答えいただきまして、時間が過ぎるのがあっという間です。
この後ですね、「前川さんの話を聞く会実行委員会」から、最後にご挨拶をさせていただきたいと思います。
前川さん、こちらの方においでいただきまして。
実行委員会の皆様、どうぞおいでください。
本当は時間がね、もっともっと早い時間に進んでいたんですけれども、前川さんが本当に一つ一つ丁寧にお答えいただいていたものですから、皆さんもしっかり前川さんの話、人あたりをしっかり知ることができたんではないかと思います。
それでは、実行委員会の皆様、よろしくお願いいたします。
(つくる会代表・菅野氏)
お晩です。「福島に公立夜間中学をつくる会」の菅野といいます。6年前、この会を立ち上げた大谷さんから、最初お話をもらいます。
(つくる会代表代行・大谷氏)
「福島に公立夜間中学をつくる会」代表代行の大谷です。
私たちの会については、皆さんにお配りした資料の中にチラシがありますので、それを見ていただきたいと思いますけれども、私たちは、前川さんも来ていただいている「福島駅前自主夜間中学」という、ボランティア講師がマンツーマンで教える義務教育の範囲を誰にでも教えている勉強会を開催しております。
皆さん、スタッフになりたいという方、また、生徒になりたいという方、またそういう方を知っているという方がいらっしゃったら、ぜひ連絡をいただいたり、直に来ていただきたいと思います。
また、公立夜間中学校を福島につくるためには、具体的に「私は公立夜間中学に行きたいんだ」という人の声を集めるのが大切です。
そういう方がいらっしゃったり、またお心当たりがある方は、連絡をいただけたらと思います。
それから、遠方からいらっしゃってる方にお願いなんですけれども、夜間中学をつくる会や自主夜間中学がないところにお住まいの方は、ぜひ自分の地元でもにもできたらおおなと思っていただいて、連絡をいただけたらご協力しますので、どうぞご検討ください。
日本全国に夜間中学を広げることが私の夢です。
どうもありがとうございました(拍手)。
(司会)
はい、ありがとうございました。
(つくる会代表・菅野氏)
前川さんには、2月から毎週、新幹線を使って夜間中学に来て講師をしていただきました。
ただ、休んだ期間がちょっとありまして(笑)。
ちょうどその休まれた期間に、前川さんは誰かが言った「ドリルで穴を空ける」という話をした人がいたんですが、前川さんはまさに、真理と正義の言葉のドリルで日本の政治に穴を空けてくれた(拍手)。
だから、我々は政治がとても見えるようになった。
まるで、文科省を辞めてから、今でも教員の代表みたいな形で我々を教えてくれたという感じを持っています。
今日はまた、特に楽しい、しかも心に沁みるお話をいただきました。ありがとうございました(拍手)。
今日は、私はまだふれてないんですが、パソコンなどの影響もあって、文明機器のお陰で、遠くは四国の徳島から、あるいは長野県から、東京から、他県からも(来ていただいて)、今日は全国的な内容の集会になっていました。
これからも、私たちも、前川さんと同じように、正義と真理の力で、弱い立場の人と一緒に、弱い立場の人を支え合うようなという世の中を作っていきたいと思います。どうも今日は本当にご苦労様でした(拍手)。
(司会)
はい、ありがとうございました。
本当にお忙しい中、前川さん、おいでいただきまして、ありがとうございます。
花束を準備させていただきました。
本日、花束を贈呈するに当たって、一番遠くから来ていただいた徳島の方にお願いしたいと思います。
よろしくお願いします(拍手)。
ー花束贈呈ーー
(司会)
これにて、「前川さんおおいに語る ー加計・憲法・夜間中学などなど」と題した講演会をこれにて終わりとさせていただきます。
皆様、本当にありがとうございました(大きな拍手)。
−了ー