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#058 創られた福島県政汚職事件  (2016.11.24)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《以下、これは私的ノートである》

◉ 昭和63年9月19日に誕生した佐藤栄佐久県政であるが、時を経て平成18年9月27日に、佐藤知事は、県発注公共工事を巡る談合事件の責任をとって渡辺敬夫県議会議長に辞表を提出、28日県議会本会議において辞任が正式に承認された。ここに5期18年余、6,583日にわたる佐藤栄佐久県政は急展開のうちにその幕を閉じた。

◉ 懼(おそ)れることなく国に立ち向かうその政治姿勢、原子力政策や環境・景観政策をはじめとする各般の政策に対して県内外から評価が寄せられていた一方で、スキャンダルによる任期半ばでのこの異常事態は、県にとっても県民にとっても極めて不幸なことであり、その与えた影響は、極めて深刻なものになった(ちなみに5回の知事選で佐藤栄佐久氏に投票した有権者数は、延べ実に3,880,266人。昭和55年(落選)・58年(当選)の参院選での投票分700,009人を含めると、4,580,275人が佐藤氏に投票したことになる)。

◉ 翻ってみると、公選知事初代の石原幹市郎氏は任期途中に参院に鞍替え、続く大竹作摩知事は三選確実の情勢の中でこれを断固拒否、3人目佐藤善一郎氏は2期日の任期途中に急逝、4人目木村守江氏は4期目早々に逮捕・辞任、5人目松平勇雄氏は3期を全うするも後任を巡って県政界は大混乱、そして6人目の佐藤栄佐久氏の突然の辞任・逮捕・起訴・有罪確定である。

◉ 大統領型の首長制度の下では、衆議院への小選挙区制導入や地方分権推進法に沿う改革等とも相まって、知事のイスはまさに強大な権力の座となってきている。

 また、そうであればこそ様々な思惑・権謀術数・権力闘争の対象となりうる座でもある。

 それが故に、我々は、この度の事件を通じ、何らかの力が作用することによって、本人や本人を支える人々の意思の善悪・所在の如何にかかわらず、その座が絶対的若しくは不可侵の存在では必ずしもありえないということを、改めて深く思い知らされた。

◉ 30回を超える第一審公判を経て、元知事は東京地裁から執行猶予付きの有罪判決を下された。二審東京高裁では一部量刑を減じられながらも、「収賄額0円でも有罪」という、専門家が疑問を呈するような誠に奇妙な論旨の判決が下された。

 さらに最高裁もこれを支持して有罪が確定した。 しかし、これらの判決は不可解と言わざるを得ない

◉ 一部メディアでは、執行猶予付きだったことを捉え「実質無罪」と評した。

 されど有罪は有罪である。

 その一方で、本事件成立の最大の鍵となったS証人を巡る疑惑は最後まで何ら解消されず、逆に、不起訴としたことで(検察による起訴便宜主義の原則があるとはいえ、司法取引かとも疑われるような検察の措置により)真実を追及することはもはや不可能になったこと、可視化されない特捜の取り調べの是非に対する判断が示されなかったこと、そして、周辺事情には言及するものの、最も肝心な、「具体的に、いつ、どこで、どのように被告人両名が共謀したのか」さえも明らかにされることは、結局、なかった。

◉ 弁護側、検察側双方の言い分を「足して2で割った」ような結果となったこの裁判は、果たして、本当に「刑事裁判」だったのか、それとも政治犯を裁くための「政治裁判」だったのか。

 宗像弁護人がいみじくも「大岡裁き」と指摘したように、何とも消化不良に陥るような、不思議な司法の判断であったというのが偽らざる実感である。

◉ 本事件の実相を自分なりに解釈すると、以下の通りである。もちろん、完全に「私見」であり、「独断」である。

《 私見 》

◉ 本件は特捜検察のでっち上げによる冤罪事件であり、佐藤栄佐久元知事は無罪である。

◉ 法廷を傍聴したが、S証人の証言は、検察から司法取引の餌を与えられ、証人テストを重ねた上で実行されたものであり、多額の「タンス預金」を小口に分けてわざわざ東京の金融機関のATMに行って入金操作をしたことや、「天の声を聞いた」とする一方で、このことを誰にも伝えなかったなどという不可解な証言から見ても、偽証の疑いが濃いものと判断する(しかし特捜検察は不起訴とした)。

◉ 元知事及び実弟は自白したというが、本件刑事訴訟の過程で起こった厚労省文書偽造事件(村木事件)や「枚方事件」などの例に見られるように、2000年頃以降、検察においては、社会的影響が大きい事件を立件することが第一の目的化してきた。

 例えば、自白しないのなら家族を起訴するぞと脅したり、証人に対して、検察に有利な証言をすれば起訴しないなどと、脅迫めいたやり方で尋問したりするなど、心身ともに追い詰めるような乱暴な取調べが散見されるという。

 こうした中で、本件被告側からも特捜の脅迫的取調方法が強く指摘された。

 一説には、本県内から特捜部に召喚された参考人は800人とも1000人とも言われたが、私の知人も強い口調で詰問されたという。

 これらから窺えるように、本件でも強引な取調べがあったのかどうかについて裁判所が真摯な判断を避けたことは遺憾であり、役割放棄と判断する。

◉ 以上のとおり、検察には、逮捕・訴追にひた走り、真実の解明ではなく、訴訟の勝敗へのこだわり、すなわち有罪判決を得ることによる犯人の処罰の実現を重視するあまり、検事調書(供述調書、いわゆる自白調書)へ過度に依存する傾向が強く、手続の適正性の確保への意識や人権保障への配慮が二の次になり、無実の者を処罰することへの恐れを失っていたかに見える。

 その姿は、供述調書至上主義の虜となっているかのようである。供述調書を中心としてきたこれまでの刑事司法制度は問題であり、取調べ及び供述調書に過度に依存した現在の捜査・公判実務を根本から改める必要がある。

◉ 一方、上告審では、判事の一人に、最高検察庁次長検事として本件訴訟に関わった経緯のある横田尤孝氏を充てるなど最高裁判所の態度は公平ではなかった。横田裁判官は判決には関わらなかったというが、最初から忌避するべきであったという点で瑕疵があったと判断する。

◉ 司法の現場では従来、「判検交流」と呼ばれる裁判官と検察官の交流人事が行われてきた。

 しかし、例えば、法務省の訟務検事として国の代理人を務めた裁判官出身者が裁判所に戻って、国を相手取った賠償請求訴訟を担当したりすることは、裁判の公正を損なうおそれがあると日本弁護士会から強く指摘されてきた現実がある(これらの指摘を受け、「検察の在り方検討会議」座長を務めた千葉景子氏が法務大臣の時に、刑事裁判の部門においては2012年度から判検交流が廃止された)。

◉ また、判検交流により裁判官と検察官が密接になり互いに身内意識ができる、換言すれば、裁判所と検察庁の癒着、もたれ合いが生じるとも指摘されている。

 加えて、一部では、公判の立ち会い検事が裁判官の部屋に来てこっそり話をする「法廷外弁論」(裁判の独立を脅かす行為)も常態化しているとの指摘もある。

 これらによって捜査情報が漏洩しやすくなったり、刑事裁判の原則である「無罪推定」に逆行して「有罪推定」を招きかねない状況を作りかねず、実際にも、検察調書などを鵜呑みにし、検察に有利な判決が引き出されされる傾向が強いとの指摘も根強い。  

 「99.98%」という諸外国にほとんど例を見ない高い有罪率の背景に、裁判所と検察のこうしたもたれあいがあるといわれる所以であり、裁判所は被告に有罪の烙印を押すベルトコンベア装置に成り下がっているのではないかとの指摘もあながち過激な意見ではない。

◉ さらに、外国から次のような指摘もなされている。

 Conviction rates in Japan exceed 99 percent -- why?

 On the one hand, because Japanese prosecutors are badly understaffed they may prosecute only their strongest cases and present judges only with the most obviously guilty defendants. On the other, because Japanese judges can be reassigned by the administrative office of the courts if they rule in ways the office does not like, judges may face biased career incentives to convict. Rather, they are the judges who acquitted for reasons of statutory or constitutional interpretation, often in politically charged cases.  

(仮訳)

 なぜ日本では、99パーセントを超える高い有罪率なのか?

 それは、検察官が過度に人手不足であるので最も有罪になる可能性が高い事件のみを起訴し、裁判官は明白に有罪になる被告人のみを裁判しているからであり、他方、裁判官は行政府により再任されるので無罪判決を出した裁判官はその後の出世において不利に扱われ、裁判官は事件を有罪にするように偏重した動機付けを与えられている(特に国策起訴においてはこのことが顕著である)からだ。

(Harvard Law School の John Mark Ramseyer 教授と Indiana University の Eric B Rasmusen 教授の共同論文「Why Is the Japanese Conviction Rate So High?」より)

◉ メディアの問題もある。

 日本には記者クラブという独特のクラブ制があり、特に本件のように、検察取材を担当する司法記者クラブの場合、この問題はさらに深刻である。

 日本の新聞が最も恐れるのは、「得落ち」といって、他社が報道する特ダネを自社が逃す事であると言われるが、これは記者や編集部にとっては死活問題であることから、「出禁」(出入り禁止)を避けるためにも、検察に迎合する記事を書く傾向が強い。

 また、検察は否定するが、いわゆる「検察リーク」がなかったかどうか、検証の必要がある。

 現に本件においても、明らかにリークと思しき情報(醜悪ネタを含む)も、当時、相当多く見られている。

◉ また、メディアは、一行政作用である検察や特捜に対して「司法」であるかのようなイメージを作り上げ、本来、国会やメディアがチェックをすべき、行政としての検察や特捜をチェックの対象外として世論操作することに荷担している可能性がある。

 検察も行政作用である以上、政治的であることを排除できないのは自明であるにもかかわらず、このような当然のことが日本では通らず、検察や特捜を「正義の執行者」として祭り上げているのではないか。

◉ 元知事に係る刑事・民事双方の訴訟は決着し、一応確定した。

 元知事が汚名をそそぐために残されている方法は、再審のみになる。

 ただ、再審はハードルが相当高く、よほどの新しい証拠(例えば、S証人の証言撤回、贈賄側の水谷元会長の贈賄意図がなかった旨の新しい証言など)がなければ、再審開始は相当困難と思われる。

◉ しかし、元知事は「無罪」であり、「冤罪」である。

 元知事はそのようなことをする方ではない。

 これは、長年、側で見てきた者の実感であり、確信である。

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