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#045 東電第三者検証委員会報告書関係記事・社説 2016.6.18
◉ 記事
〇 朝日新聞 2016.6.17(金)
当時の東電社長、「炉心溶融」使わぬよう指示 第三者委
東京電力福島第一原発事故で、炉心溶融(メルトダウン)の判断基準があったのに公表が遅れた問題で、東電の第三者検証委員会(委員長=田中康久・元仙台高裁長官)は16日、「当時の清水正孝社長が『炉心溶融という言葉を使うな』と社内に指示していた」などとする報告書をまとめた。清水元社長が首相官邸側から、「炉心溶融」を認めるのに慎重になるよう要請を受けたと理解していたと推認されるとしたが、意図的な隠蔽(いんぺい)と評価することは困難とした。報告書は同日、東電に手渡された。
一方、当時、首相だった菅直人・衆院議員は「私自身が東電に『炉心溶融』という表現を使わないように指示したことは一度もない」などと、関与を否定するコメントを出した。
東電は、事故から約5年後の今年2月になって、社内マニュアルの存在を明らかにした。柏崎刈羽原発を抱え、福島第一原発事故の検証を独自に続ける新潟県の技術委員会の求めで行った調査で存在が分かったという。東電は問題の経緯や原因を検証する第三者委を3月に設置。田中委員長や元東京地検特捜部副部長の佐々木善三氏ら3人が、東電の社員ら60人に聞き取り調査した。
報告書は、事故から3日後の2011年3月14日、清水元社長は記者会見していた武藤栄副社長(当時)に対し、広報担当社員を通じて「炉心溶融」などと記載された手書きのメモを渡し、「官邸からの指示により、この言葉は使わないように」などと耳打ちをさせたと指摘。しかし、官邸の誰から、具体的にどのような指示を受けたかは解明できなかった。菅氏ら官邸関係者への聞き取りは行われず、田中委員長は「調査権限が限られており、短期間では難しい」と話した。
東電によると、炉心溶融の判断基準は、10年4月改訂の「原子力災害対策マニュアル」に「炉心損傷の割合が5%を超えていれば炉心溶融と判定する」と明記されていた。しかし、事故から2カ月後の11年5月まで炉心溶融と認めなかった。その理由について東電は「判断する根拠がなかった」と説明してきた。
報告書の提出を受け、新潟県の泉田裕彦知事は「県の技術委員会に虚偽の説明をしていたということで極めて遺憾」との談話を発表した。
〇 読売新聞 2016.6.17(金)
「炉心溶融の言葉は使うな」当時の東電社長指示
2011年3月の東京電力福島第一原子力発電所事故で炉心溶融(メルトダウン)の公表が遅れた問題について、東電が設置した第三者検証委員会(委員長=田中康久弁護士)は16日、当時の清水正孝社長が、炉心溶融という言葉を使わないよう副社長に指示していたとする報告書を公表した。
報告書によると、東電は当時、「状況がよくわからない」として炉心溶融の言葉を避け、「炉心損傷」という説明を繰り返した。1~3号機の炉心溶融を認めたのは11年5月になってからだった。
事故発生から3日後の3月14日夜、清水氏は記者会見中だった武藤栄副社長(当時)に、広報担当社員を通じて、「炉心溶融」などと手書きされたメモを渡し「官邸から(の指示で)、この言葉は使わないように」と耳打ちして伝えた。
〇 毎日新聞 2016.6.17(金)
「炉心溶融、使うな」東電社長が指示 第三者委が報告書
東京電力福島第1原発事故で、核燃料が溶け落ちる「炉心溶融(メルトダウン)」の公表が遅れた問題で、東電の第三者検証委員会(委員長・田中康久弁護士)は16日、清水正孝社長(当時)が「炉心溶融」の言葉を使わないよう指示したとする報告書をまとめ、東電に提出した。指示は電話などで広く社内で共有していたと認定。首相官邸の関与については「炉心溶融に慎重な対応をするように要請を受けたと(清水氏が)理解していたと推定される」と指摘した。
報告書によると、清水氏は事故発生から3日後の2011年3月14日午後8時40分ごろ、記者会見していた武藤栄副社長(当時)に対し、社員を経由して「炉心溶融」などと記載された手書きのメモを渡し、「官邸からの指示により、これとこの言葉は使わないように」と耳打ちした。当時、炉心溶融したかが焦点となっており、会見でも繰り返し質問が出ていた。
清水氏らは会見前の13日午後2時ごろ、官邸で菅直人首相、枝野幸男官房長官(ともに当時)らと会談。清水氏がその後、報道発表については事前に官邸の了解を得るように幹部に指示していた経緯があったため、第三者委は官邸の関与を調べた。
しかし、清水氏の記憶はあいまいで、第三者委は当時の官邸にいた政治家には聞き取りを実施しておらず、「官邸の誰から具体的にどんな指示、要請を受けたかを解明するに至らなかった」としている。
東電は事故発生後、「炉心溶融」を判定する基準がないとして、原子炉の状態を「炉心損傷」などと言い換えていた。しかし今年2月、炉心溶融について「損傷割合が5%超」と定義する社内マニュアルがあったと発表。これに従えば事故3日後には炉心溶融と判定ができたが、認めたのは2カ月以上後だった。
マニュアルの存在を5年間、見逃していたことについて、報告書は「秘匿する理由はない」とし、意図的な隠蔽(いんぺい)はないと結論付けた。東電は今年3月に弁護士3人による第三者委を設置し、経緯や原因を調査。事故対応に関わった社員約60人からヒアリングした。
〇 福島民報 2016.6.17(金)
第一原発事故 東電社長「溶融使うな」 第三者委報告
東京電力福島第一原発事故直後、原子炉の核燃料が溶け落ちる「炉心溶融」が起きていたにもかかわらず、東電が「炉心損傷」と説明していた問題で、同社が設置した第三者検証委員会は16日、当時の清水正孝社長が「炉心溶融という言葉を使うな」と指示したとする報告書を東電に提出した。首相官邸から指示があったと推認されるとしている。事故を過小評価する説明に企業トップが関与したことが明らかとなり、危機管理意識の欠如と隠蔽(いんぺい)体質が問われる。
報告書によると、清水氏は事故から3日後の平成23年3月14日夜、記者会見に臨んでいた武藤栄副社長(当時)に広報担当社員を通じ「炉心溶融」などと記した手書きメモを差し入れ、「官邸からの指示により、この言葉は使わないように」などと社員に耳打ちさせた。
第一原発では14日から15日にかけ、1~3号機の炉心損傷割合が当時の社内マニュアルで「炉心溶融」に相当する5%を超えていた。第一原発の緊急時対策班は損傷割合を本店など関係先に通報したが、通報文には炉心溶融に当たると記載しなかった。
この対応について、損傷割合のみの報告では自治体や住民への通報としては不十分で「炉心溶融に当たると報告した方が妥当だった」と結論付けた。
清水氏のメモの差し入れや損傷割合のみの通報の背景には、当時の東電が事故情報の公表を巡り官邸側に了承を求められたり、不快感を示されたりしたことがあったと指摘。「対外的に『炉心溶融』を肯定する発言は差し控えるべきだとの認識が社内で広く共有されていた可能性が濃厚」とした。清水氏は当時の状況について「記憶が薄れている」と説明したという。
東電は事故直後から炉心溶融の可能性を指摘されていたが、1~3号機は燃料溶融の前段階の「炉心損傷」とした。2カ月後の23年5月になり、溶融を公式に認めた。
また、「溶融の判断基準はない」としてきたが、事故対応を検証する新潟県技術委員会の求めを受け、社内調査を実施。今年2月に判断基準を記したマニュアルが見つかったと公表し、謝罪した。
しかし、検証委員会の報告書はこの点について、担当者がマニュアルの存在を知らず意図的な隠蔽ではないと認定した。
検証委は東電の社員やOBら約60人から聞き取りを実施した。官邸側の関係者への調査は「権限がない」として行っていない。
〇 福島民友 2016.6.17(金)
「炉心『溶融』使うな」
福島第1原発事故、清水社長が指示
第三者委は、清水氏の指示の背景には首相官邸からの指示があったと推認されると認定。しかし、清水氏ら関係者に複数回ヒアリングしたが、官邸側の人物や具体的な指示内容など詳細は解明できなかった。官邸側の関係者への調査は「権限がない」との理由で実施していない。
事故当時、原子炉が最も深刻な事態にあるのかは国民が注視していた。事故を過小評価する説明に経営トップが関与していたことは隠蔽(いんぺい)や情報操作ともとられ、東電の姿勢が問われる。
官房長官として事故対応した民進党の枝野幸男幹事長は16日、東電に指示したことはないと明言。「私も、当時の菅直人首相もそんなことを求めていない」と述べた。菅氏の事務所は「報告書の全体を読んでおらず、コメントは差し控えたい」としている。
炉心溶融を巡っては、事故翌日の2011年3月12日、経済産業省原子力安全・保安院(当時)の幹部が、国内で初めて発生しているとの見方を示した。報告書によると、清水氏は2日後の14日夜、記者会見中だった武藤栄副社長(当時)に広報担当者を通じて、官邸からの指示として「この言葉(炉心溶融)は絶対に使うな」と伝えていた。同日早朝には1、3号機で計測機器が一時的に復旧。炉心損傷割合が5%超と確認され、当時の社内マニュアルに従えば、炉心溶融と判断できる状態になっていた。
東京都で16日に開いた会見で、委員長の田中康久弁護士(元仙台高裁長官)は「東電は炉心損傷の割合を示す数値は報告していた。また原子炉内は目視できず、数値だけで炉心溶融と判断できなかったのではないか」とし、社内基準の見過ごしとともに意図的な隠蔽ではないと結論づけた。
◉ 社説・論説
〇 福島民報「論説」 2016.6.18(土)
【「溶融使うな」指示】信頼、再び遠のいた
東京電力が福島第1原発事故当初、原子炉の核燃料が溶ける「炉心溶融」(メルトダウン)が起きていたのに「炉心損傷」と過小評価の説明をしていた問題で、東電が原因調査を依頼していた弁護士でつくる第三者検証委員会は16日、「当時の清水正孝社長が『炉心溶融という言葉を使うな』と幹部に指示していた」との報告書をまとめ、東電に提出した。
東京電力福島第一原発事故が起きた時、当時の清水正孝社長が「炉心溶融」という言葉を使わないよう社内で指示していたことが、同社の第三者検証委員会がまとめた報告書で分かった。生命の危機にさらされていた周辺住民にとって最重要の情報を、当の電力事業者が隠していたのは重大な背信だ。
県は昨日、東電を厳しく批判するとともに、詳細な調査の継続を要求した。同社の隠蔽[いんぺい]体質はこれまでも度重なるトラブル隠しなどで指摘されてきた。現在、進められている廃炉作業でも深刻な事態が起きないとは限らない。住民の安全を第一に、事実に基づく速やかな情報公開を徹底させるためにも、県はさらに当事者意識を持って事実の究明を求めるべきだ。
「あきれて物も言えない」「事故から5年もたっている。とんでもない話」「改めて隠蔽体質が明らかになった」。報告書の内容に避難住民や周辺自治体の首長からは怒りの言葉が相次いだ。当然だ。東電という組織への信頼回復は再び遠のいた。
こんな調査でいいのだろうかとも感じる。報告書は指示について当時の首相官邸から関与があった可能性に言及しながら関係者から聞き取りもしていない。「(検証委に)権限がない」とはどういうことか。検証委には舛添要一東京都知事の政治資金流用問題の調査に携わった「第三者」の弁護士の名前もある。依頼主の言い訳を追認するのが第三者の仕事と世間に示した。
原発事故の前も後も、東電の判断基準の第一が住民の安全ではないことは、数々の事実が示している。事故前、津波に対する原発の脆弱[ぜいじゃく]性を認識しながら、経済性を優先して手を付けなかったという指摘がある。炉心溶融の判断も、国との関係や組織防衛を優先し、事態を過小評価して社会に伝えていた。社内の専門家はデータを見れば明白なのに口には出さなかった。
そもそも新潟県の技術委員会の指摘がなければ、炉心溶融の判断基準に関する検証に東電は動かなかった。
今回の報告書では東電の社内事故調が社長の指示を知りながら報告書に入れなかったことも判明した。お手盛りにお手盛りを重ねていた。
東電は今月中に具体的な対応策をまとめるとしている。県は対応を精査し、厳しく注文を付けなければならない。
原発事故は最悪の事態もあり得た。炉心溶融を東電が最初から認めていたら避難規模が拡大し、関連死も増えたとする見方は「後付け」にすぎない。
〇 福島民友「社説」 2016.6.17(金)
東電社長「溶融使うな」/「隠蔽」の指示ではないのか
「炉心溶融という言葉を使うな」
この発言に原発事故の深刻な事態を隠そうという意図があった、とみられるのも当然だろう。それを隠蔽(いんぺい)というのではないのか。
東京電力が福島第1原発事故当初、原子炉の核燃料が溶ける「炉心溶融」が起きていたのに、そこまで至っていない「炉心損傷」と説明していた問題のことだ。
東電の第三者検証委員会がきのうまとめた報告書によると、事故があった2011年3月以降、当時の清水正孝社長が「炉心溶融」を使わないよう幹部に指示していたことが明らかになった。
危機的な事態が進むさなか、事故当事者の東電の経営トップが、事故を過小に見せようと映る指示を出した理由は何だったのか。
報告書では当時、清水社長は首相官邸からの指示として、記者会見中の副社長に「この言葉(炉心溶融)は絶対に使うな」とまで伝えていたことも判明した。
報告書は官邸のだれが、どのような内容で指示したのかは確認できなかったとするが、官邸の対応が東電トップの判断に結び付いていたとも疑われる内容だ。
重大な情報が伝えられず、県民が、県や市町村が、どれほど翻弄(ほんろう)されたかを思い出せば、報告にある東電や政府の情報公開の姿勢は到底納得できるものではない。
この問題は今年2月になって判明した。新潟県が求めた調査で、東電が炉心溶融を判定する基準を記した社内マニュアルを発見したと発表したことからだ。
東電は事故当初、基準に従えば炉心溶融と判断できるデータを確認していたものの「基準は存在しない」として、「炉心損傷」と説明していた。
東電が事故後約5年にわたり、マニュアルがあったことを見過ごしていたことについては、「意図的な隠蔽ではない」というのが第三者委の見解だ。
「秘匿しなければならない理由はない」というのがその理由だが、事故対応時の経営トップの発言自体が隠蔽の指示ではなかったのかは、はっきりされていない。
報告書を、過小評価問題の検証にとどまらせてはならない。東電と当時の政府関係者は、事故から5年を過ぎてなおさら深まる疑問に、説明を果たす責任がある。
事故当初の政府、東電の対応を巡り、事故から5年を過ぎてもうやむやになっている点があることは明らかだ。
政府自身が真相解明への強い決意を持ち、今後の原子力防災に福島第1原発事故の教訓を生かさなければならない。
〇 朝日新聞「社説」 2016.6.18(土)
炉心溶融隠し 検証はなお道半ばだ
許しがたい背信行為が明らかになった。しかし、検証作業はなお道半ばである。
東京電力福島第一原発の事故発生直後、当時の清水正孝東電社長が「炉心溶融(メルトダウン)」という言葉を使わないよう社内に指示していたことがわかった。東電の設けた第三者検証委員会が報告した。
原子炉の核燃料が溶け落ちる炉心溶融は、深刻な原発事故を象徴する言葉だ。未曽有の原発災害のさなか、トップ自らが周辺住民を含む国民に事故の重大さを隠そうとしていた。
東電は4年以上もの間、炉心溶融の通報遅れを追及する新潟県に対して「炉心溶融の定義がなかった」「炉心溶融の言葉を使わないよう社内に指示したことはない」などと虚偽の説明を繰り返していた。
今年2月になって定義があったことを認め、その間の経緯を明らかにしようと設けたのが第三者委である。
第三者委は、その役割を果たしたか。東電社長の指示を指摘したのは一歩前進だが、「ノー」と言わざるをえない。
納得できないのは、田中康久委員長(元仙台高裁長官)が記者会見で「意図的な隠蔽(いんぺい)とまでは言えない」と述べたことだ。
事故当時、炉心溶融は原子力災害対策特別措置法で通報すべき緊急事態に明記され、「炉心損傷5%超」という東電の判定基準にも達していた。当初はそれを認めず、社長の指示もあった。隠蔽でなくて何なのか。
東電以外の関係者からの聞き取りを尽くさないまま、社長の指示は首相官邸側からの要請に基づいたものと推認されると結論づけたことも疑問だ。田中委員長は「調査権限が限られ、短期間では難しい」と釈明したが、そもそも聞き取りを申し込んでもいない。当時首相だった菅直人氏や官房長官だった枝野幸男氏は否定している。
東電は新潟県からの要請事項に関して県と合同で検証を続けるという。さらに幅広く事故を振り返り、結果を公表することは東電の務めだが、国会が果たすべき役割もあるはずだ。
炉心溶融に関する官邸からの要請の有無に限らず、事故後の官邸や各省庁と東電とのやりとりも断片的にしか分かっていない。国会は事故調査委員会による報告書をまとめているが、国政調査権を使って明らかにすべき点はなお多い。
福島第一原発事故から教訓をくみ取り、同じ失敗を繰り返さない。そのために、まずは事実を徹底的に解明する、それが後の世代への務めでもある。
〇 読売新聞「社説」 論評記事なし
〇 毎日新聞「社説」 論評記事なし
〇 日本経済新聞「社説」 2016.6.17(金)
なお謎が残る「炉心溶融」
2011年3月の福島第1原子力発電所事故のとき、東京電力は社長の指示で、「炉心溶融」という言葉を使うのを意図的に避けていたことがわかった。
炉心溶融の公表が遅れた背景を調べていた東電の第三者検証委員会が、当時の清水正孝社長が「首相官邸からの指示」として広報担当者に伝えていたと結論づけた。
避難する地元住民や救援に向かった自衛隊などはもとより、国民全体に対し、東電は正確な情報をできるだけ早く伝える責任があった。炉心溶融への言及を避けたのは極めて不誠実な判断だった。
今なお国民の間に根強く原子力への不信感が残るのは、こうした東電の姿勢にある。当時の経営幹部の責任は重い。
検証委は清水社長が官邸の誰からどんな指示を受けたのかを明らかにしていない。清水社長は「記憶がはっきりしない」と供述したという。検証委は当時官邸にいた政治家や官僚への聞き取りはしておらず、裏付けをとっていない。謎は残ったままだ。
東電が「炉心溶融」を公式に公表したのは2カ月後の5月になってからだ。溶融を判断する明確な基準がなかったため遅れたと、東電は説明した。ところが今年2月になって炉心溶融の判断基準を記した社内マニュアルの存在を明らかにし、マニュアルを見過ごしていたと説明を改めた。
では、なぜ5年もの間、マニュアルの存在を公表できなかったのか。その理由も未解明だ。この点でも検証委の調査は甘いといわざるを得ない。さらなる調査が必要ではないか。
一連の経緯から垣間見えるのは、多数の原発を動かす東電の幹部が炉心溶融に至るような重大事故への心構えを欠き、周辺住民の安全を最優先で考えることもしなかったという事実だ。
危機において事態を正確に掌握できず、情報を社会に伝える判断もできなかった。電力会社は東電の混乱を他山の石として平時から備えをすべきだ。
〇 新潟日報「社説」 2016.6.18(土)
「炉心溶融使うな」 隠蔽でなければ何なのか
東京電力福島第1原発事故で、原子炉の核燃料が溶け出していながら、当時の清水正孝社長が「炉心溶融(メルトダウン)という言葉を使うな」と社内に指示していたことが明らかになった。
東電の依頼を受けた第三者委員会が報告書を取りまとめた。
原子炉がどれだけ深刻な状況にあるのかは、事故発生当初から国民が注視していた問題だ。
事故を過小評価するような説明に経営トップが関与した事実は、極めて重い。
炉心溶融と的確に表現していれば、住民の避難なども変わった可能性がある。隠蔽(いんぺい)と取られても仕方ないだろう。
報告書では、清水氏の指示の背景には、当時の首相官邸からの指示があったことが推認されると認定している。
しかし、官邸側関係者への調査は「権限がない」との理由で実施していない。清水氏からも「具体的な記憶が薄れている」と十分な聴取ができていない。
清水氏に指示した人物や具体的な中身といった重要な疑問は積み残されたままだ。踏み込み不足と言わざるを得ない。
調査は、東電が炉心溶融の判断基準を記した社内マニュアルを、今年2月まで約5年間見過ごしていたのを受けて行われた。福島事故の検証を進める新潟県技術委員会の過程で発覚した。
マニュアルでは、炉心損傷割合が5%を超えれば炉心溶融と判定するとしていた。
これを当てはめれば、事故4日目の2011年3月14日には炉心溶融が起きていたことになる。
ところが、東電は「炉心損傷」と説明、溶融と認めたのは2カ月後の11年5月だった。
2カ月かかった経緯について東電は、マニュアルの存在が発覚するまで、炉心溶融を判断する根拠がなかったとの説明を県技術委で繰り返していた。
この点について第三者委は、意図的な隠蔽はなかったと結論付けた。「マニュアルを秘匿しなければならない理由はない」というのが理由である。
それなら、一部社員は認識していたにもかかわらず、なぜ5年間もマニュアルの存在を明らかにしなかったのか。
第三者委は、県技術委に説明した社員は基準を知らず、社内の情報共有も不十分だったとしている。ただ、肝心の公表しなかった理由は分からないままだ。
むしろ、調査は東電の弁護に終始した感が拭えない。加害企業自身が依頼した「第三者」の限界を露呈したといえる。このままでは不信感が増すだけだろう。
強力な権限を持つ事故調査組織をあらためて設置し、真相を解明していくことが不可欠だ。
東電は柏崎刈羽原発の再稼働を目指している。だが、福島事故は収束の見通しが全く立っていない。いまだに多くの人が避難生活を強いられている。
問われているのは、東電の体質そのものだ。それは原発を再び運転する資格があるのか、という問題にも深く関わってこよう。
〇 東京新聞「社説」 2016.6.18(土)
炉心溶融隠し 安全文化はどこにある
深刻な事態の公表が遅れても、対応マニュアルの存在に気づかなくても、不当ではなく、社内の空気のなせるわざ-。第三者検証委員会の報告はそう読める。東京電力に安全文化は根付かないのか。
大事なことは、ほとんど何も分からなかったということか。
東京電力の「原子力災害対策マニュアル」では、核燃料損傷の割合が5%を超えれば、炉心溶融(メルトダウン)と判定することになっていた。核燃料が溶け落ちて、原子炉の底にたまってしまう、つまり重大な事態である。
マニュアルに従えば事故発生から三日後に、福島第一原発は、メルトダウンしたと判定され、公表されるべき状況だった。
ところが東電は五月まで、「炉心損傷」と過小評価し続けた。マニュアルがあること自体、五年もの間、気づかれていなかった。
正確で速やかな情報の伝達、公開は避難の在り方を左右する。住民の命に関わる問題だ。安全軽視にもほどがある。
なぜ、このようなことが起きたのか。当然浮かぶ疑問の声に、真摯(しんし)かつ、つまびらかにこたえる責任が、東電にはあるはずだ。
ところが報告書には、首をかしげたくなるような記述が並ぶ。
「炉心溶融という用語の使用を控えるべきだとの認識が社内である程度共有されていた結果」
「炉心の状態が直接確認できないため、測定結果が出そろうのに時間が必要だった」
「事故後、マニュアルが改定され、溶融の判定基準は一部の社員の過去の記憶になっていた」
「当時の規制官庁は損傷割合の通報を受けており、溶融が起きていると判断できた」
従って、メルトダウンの判定が遅くなっても不当とは言えず、意図的な隠蔽(いんぺい)も認められない。住民の対応にはほとんど影響していない-などと結論づけている。
首相官邸や政府の関与についても触れてはいるが、曖昧さは否めない。納得できるものではない。
そもそも“第三者”に検証を委ねてしまうこと自体、東電の自らを省みる力、企業倫理の欠如の表れではないのだろうか。
報告書から明らかに読み取れるのは、あれだけの事故を起こしてなお、東電という企業風土の中に「安全文化」が育っていないということだ。
立地する新潟県ならずとも、柏崎刈羽原発の再稼働など、認められるものではない。
〇 河北新報「社説」 2016.6.8(水)(注:報告前のもの)
「炉心溶融」隠し/曖昧な結論は許されない
福島第1原発事故から5年がすぎた今頃になって、「炉心溶融」と「炉心損傷」が問題になっている。
事故を引き起こした東京電力はずっと「損傷」と説明していた。発生から2カ月もすぎた2011年5月になって「溶融」と認めたが、実は当初から知りながら隠蔽(いんぺい)していたのではないかという批判を受けている。
もし意図的に隠していたのなら、福島県の住民らを欺く極めて悪質な行為だ。東電は第三者検証委員会で調査中だが、どんな経緯で損傷にしたのか、誰かの指示がなかったのかどうか、明確にしなければならない。うやむやにすることがあってはならない。
さらに国との話し合いがなかったのかどうかも、明らかにすべきだ。事故翌日の3月12日、「炉心溶融」と言及した当時の原子力安全・保安院の審議官が記者会見担当を更迭されており、国の対応も不可解だった。
隠蔽疑惑のきっかけになったのは東電の柏崎刈羽原発を抱える新潟県の「原発の安全管理に関する技術委員会」。福島第1原発事故の検証を進める中で、東電のマニュアルに従って判断すれば、事故の数日後には「溶融」と判断できたことが分かった。
それだけならずさんな見落としかもしれないが、東電の原子力・立地本部長が先月末「溶融に決まっているのに、溶融という言葉を使わなかったのは隠蔽」と発言した。
事故直後の測定データを見れば「常識的な技術者は、そう(炉心溶融)です、と答える。マニュアルがなくても分かる」ことだったという。
炉心溶融は一般的に、メルトダウンと同じ意味。炉心とは原子炉(圧力容器)の中心のことだが、普通はそこに置かれている核燃料(二酸化ウラン)を指す。
炉心溶融はつまり核燃料が高温になって溶け、原子炉の底に落下すること。水がなくなって冷やせなくなると、大して時間がかからずに溶融の危機に見舞われる。
東電の本部長が話したように原子力の技術者であれば分かりきったことであり、ほぼ間違いなく現実に起きていることも認識していたはず。
それを損傷と表現するのは全くおかしい。例えば核燃料に亀裂が入っても損傷だろうが、そんなレベルではない危険な事態に見舞われていた。
不正確では済まされず、事故の矮小(わいしょう)化を図った隠蔽と批判されても仕方ない。何より東電が正確な情報を発信しなくなっては、何が真実か誰も確証を得られなくなる。
本当のことを公にすれば混乱を招きかねないと考えて損傷と言い続けたのかもしれないが、言い訳にはならない。かえって疑心暗鬼になり、混乱を増幅させることにもなりかねない。
東電の検証結果は近くまとまる見通しだが、内容によっては国に対する調査も必要になるのではないか。
この問題に最も関心を持たなければならないのは、被災地の福島県だろう。本来なら新潟でなく、福島が追及すべき事柄。検証の結果が出たなら、東電に対して厳しく問いただしていくべきだ。