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#021 政治家の品格・風格と洞察力・胆力

2015.8.14

 今日14日の、美辞麗句がちりばめられた、しかし、事務方の用意した原稿を読み

上げるだけの「戦後70年にあたっての安倍総理大臣談話」を聞いていて、私はふと、

次の故大平正芳元外務大臣の講演を思い出した。
 1972年、田中内閣当時の外務大臣だった人で、その後内閣総理大臣を務め、のち

殉職した人である。
 懸案であった日中国交回復を成し遂げた直後のこの講演録を読んで、私は、当時

の田中総理も含めて、昔の政治家には、歴史に対する知識と洞察力をしっかりと持

ち、国際環境に目配りしながら、我が国の行方についてどう方向付けるかというこ

とを、考えに考え抜き、呻吟し、しかも一旦方向付けを決めた以上は、万難を排し、

断行する、そういう政治家が少なからずいたと思うのである(大平氏及び書かれて

いる内容、政治志向について支持するという意味ではない)。
 いまこの講演録の内容と今日の談話内容とを比較してみたとき、彼我の政治家の品格、風格・洞察力・胆力に雲泥の差を感じるのは、果たして私の勘違いだろうか。


             《日中正常化交渉を終えて》

               (1972.10.6 「内外情勢調査会」講演・於帝国ホテル)

    外務大臣 大平 正芳
      

 戦後の日本とサンフランシスコ体制


 本日はお招きを受けまして、たいへん光栄に存じます。
 今回政府の中国問題の処理に当たりまして、各位をはじめ、国民各層から与えられましたご激励とご支援に対しまして、この機会に厚く御礼申し上げます。
 本日のテーマは「日中正常化交渉を終えて」ということでございますが、この問題をお話するに当たって、日本の戦後がどういう国際的な枠組みの中で運営されてきたかということを、一度振り返っておく必要があろうかと思います。
 昭和26年に締結されましたサンフランシスコ平和条約、その直後結ばれました日米安保条約、申すまでもなくこの二つの条約が日本の戦後経営の軸になってきたことはご承知のとおりであります。
 一方、アメリカとしては、同じ文脈の中で、米華条約と米韓条約を結んで参りました。米韓条約といい、米華条約といい、これらはとりもなおさず、日米安保条約と相互に補完的な関係にある条約であると申せましょう。
 その後しばらくたちまして、日華平和条約ができました。これはサンフランシスコ講和条約において、連合国のなかでこの条約に署名を終えていない国であっても、サンフランシスコ平和条約の第26条により同等の条件で日本と講和を結ぶことができるという規定があり、それにのっとってできた条約であります。
 同様の条約は日本とインド、ビルマ、インドネシア等との間に結ばれたわけでございます。
 日韓条約というのもその後にできたものですけれども、これは本来性質が少し違っております。
 これはサンフランシスコの平和条約において、朝鮮の独立が認められ、その独立国たる韓国と日本が結んだ条約でございます。
 しかし、これも大きく申しまして、サンフランシスコ体制の垣根のなかにある条約であると考えられます。
 朝鮮事変を経験いたしましたアメリカは、たいへん驚きまして、急いでこれに対応した仕組みをとらなければならなかったわけで、いま申しましたような条約機構を、アジアのこの地域につくり上げていったことと考えられます。
 そしてこの枠組みを支えるフィロソフィーは、申すまでもなく、敵と味方をはっきりさせるいわば冷戦の哲学であったと思うのであります。
 当時、日本国内にも全面講和論などもあって、吉田元総理としても、たいへん苦吟されたことと拝察しますが、アメリカと結んで戦後経営を考えざるを得なかった日本は、結局このサンフランシスコ体制のなかに両足を深く入れてしまったわけでございます。
 このサンフランシスコ体制の評価はまちまちでありまして、いまなおこの体制に反対している野党があるわけでございます。
 しかしわれわれ政府与党は、終始この体制を大切に堅持して、今日に至ったわけでございます。
 しかし国際情勢がだんだんと変わって、平和共存時代を迎えることになりました。
 いわば対話のない対決という冷戦時代から、ともかくも対話を持ちつつ共存しようとする状況に移ってまいったのであります。
 こういう国際情勢の変化を踏まえて、サンフランシスコ体制をそのままの姿で維持していく必要がないのではないかという新たな議論が出ているようでございます。
 しかしアメリカは、このような条約機構を今後も手堅く維持していく必要を感じております。
 今年の夏、私は田中総理にお供して、ハワイにまいり、アメリカの首脳と会談をいたしました。
 アメリカの首脳は依然としてこの体制を堅持していくという意思を、きわめて明確にされたのであります。
 アメリカとしては、なるほど世界が緊張緩和の状況にあることはわかるが、力が背後にないと、対話を通じても実りある成果を期待することはむずかしいのではないか。
 アメリカはいままで友好国との間に多くの約束を待っているが、いずれの約束も、これを守らないようなアメリカだったならば、信を世界に失うにちがいない。
 約束を守るためには力が要る。
 そのようにアメリカは考えているようです。
 一方、国内におきましても、こういうすっきりしない不安定な状態であればあるほど、軽々しくこの枠組みを変えるべきでない、というのが大方の識者の判断であろうと思います。
 日本の戦後経営を支えてきたこの基盤から手軽に離れるわけにはまいらないということでしょう。
 とりわけ日本にとって、経済の面ばかりでなく、安全保障の面でも、日米関係がいかに大切であるかということは、大方の国民がよく承知していることでございます。
 そういう日本が今度、中国との間の和解にのり出すわけでございます。言いかえれば、中国との和解という問題は、この体制を犠牲にしてまであがなわなければならないものかどうか、と問われたならば、犠牲にしてもいいのだという方は、そう多くはないと思うのであります。
 でき得るならば、この体制を堅持したままで、日中和解の糸口がつかめないものかどうか、これがわれわれの課題であったわけです。

 きわめて狭かった日中和解の道

 ところが、私どもが取り組もうとする相手である中国は、どういう立場にあるかというと、中国はこのサンフランシスコ体制とは全然縁もゆかりもない国でございます。
 たんに縁がないばかりか、この体制は、中国にとって、友好的な体制とはいえないばかりか、むしろ敵対的な体制といっても過言でない。そういう国であります。
 中国が快しとしない体制を背負ったままで、中国との和解を考えるわけでありますから、われわれはこの交渉は容易でない仕事であろうと覚悟をしていたのでございます。
 そこでやり方といたしまして、まずサンフランシスコ体制に全然関係なく、これに全然触れないで日中の正常化をやる道があるかというと、実は鳩山内閣のときにやられました日ソ共同宣言方式というのがそうであったわけです。
 これは全然サンフランシスコ体制に触れないで、日ソの間に国交を開いたわけでございます。
 もし中国に二つの政権がなかったら、鳩山内聞がやられたような方式で、私どもは日中の正常化が比較的早い時期にできていたのではないかと思うのでございます。
 ところが、むずかしいのは、中国にはもう一つの政権が台湾にあるわけでございます。
 しかも、その台湾が中華民国としてわが国と国交を持ち、かつサンフランシスコ体側のなかに一つの位置を占めているわけでございます。
 それだけに、日中の国交正常化の仕事はきわめて容易ならぬ課題であるわけで、一方において大きな決断が要ることであると同時に、他方ではどうしてもこのサンフランシスコ体制に触れないで通るというわけにいかない仕事であるわけでございます。
 日中双方が決断するとともに、サンフランシスコ体制との調和ということを考えるのでなければ、日中和解の道はないわけでございます。残された道はきわめて狭い道であったと思うのであります。
 その狭い道をどのようにしてきりぬけていくかということが、まさに日中正常化の問題であったわけでございます。
 ややそれを具体的にくだいて申しますと、まず第一に、日華平和条約との関連が出てくるわけでございます。
 日華平和条約はサンフランシスコ条約の申し子で、サンフランシスコ条約の第26条にのっとって国民政府との間で締約し、国会の批准を経た条約であります。
 中国は、この条約は初めから不法不当であるという立場をとっておりますことはご承知のとおりですが、これがどういうふうに日中の正常化にからんでくるかと申しますと、次の二点にかかわりをもってまいります。
 すなわち日華平和条約にぱ、日中の間に戦争状態がすでに終結したことがうたわれております。
 また中国は対日賠償を請求しないということも、あの条約のなかで確認されているわけでございます。
 しかも、われわれはこれを、国会の批准を得て公式に受けとめたわけでございます。
 したがって日本にとりましては、法的には戦争状態の終結の問題と、賠償請求の問題は解決済みという立場に立たざるを得ないのでございます。
 しかるに中国にとりましては、これらの問題は正にこれからの交渉で処理すべき課題であったわけでございます。
 これをどのように解決するかということですが、どう考えてみても合法的解決はできないわけです。
 しかし世の中にはいい言葉があります。つまり「政治」という言葉がそれで、こうした問題は政治的解決を模索していくより他にやりかたがないわけでございます。
 今度のコミュニケの第1項、第5項、それと合わせて、全文を熟読していただきますと、その辺の苦心が読みとっていただけるかと思うのであります。
 ローマの昔に、ヤーヌスという神様がいたと言い伝えられております。
 ヤーヌスというのは入り口とか門の守護神で、体は一つであるが顔は二つあったそうです。
 この場合もそういうコミュニケをつくる。
 いわばヤーヌス的コミュニケといいますか、体は一つであるが、顔が二つあるコミュニケをつくり上げて、この矛盾を克服することしか、だれが考えても考えられないわけでございます。
 第二は台湾の領土権の問題でございます。
 コミュニケにもありますように、中国側は台湾は中国の領土の不可分の一部であると主張するわけです。
 日本はこれを理解し、尊重するといっているが、それを承認するとは書いていないのでございます。
 なぜならば、台湾、膨湖島は、ご承知のように、サンフランシスコ平和条約で日本が放棄したところでございます。
 したがって連合国が集まりまして、日本が放棄した領土を(この中には台湾ばかりでなく樺太や千島も、合まれておりますが)どこに帰属させるかを決めなければならない性質のものでございます。
 ところが連合国側は、そういう面倒なことを引き受けてやってくれないので、これらの領土は日本が放棄したままになっているわけでございます。
 そういうふうな状態のときに、日本としては自らが捨てたこの領土権は、だれそれのものであるということを決めることができる立場にあるわけではございません。
 いままでこの問題の処理に当たって、中国と国交を結んだ他の国々の前例を調べてみると、フランスと北京が国交を樹立したときには、台湾には全然触れておりません。
 どうして触れなかったかよくわかりませんが、全然触れないで国交が樹立されております。カナダのときには、台湾は中国の不可分の領土の一部であるという主張について、テイク・ノートすると書いてあるわけでございます。
 私は、そのあたりから中国の考え方というものが、やや現実的になってきたのではなかろうか、と思うのであります。
 イギリスの場合は、この問題について中国の主張をアクノレッジするという言葉を使っております。
 一番新しいケースはオランダですが、オランダは中国の立場を理解しかつ尊重する、と書いてあるわけです。
 私どものほうでは、いろいろ考えまして、日本の場合もオランダの前例によろうではないか、そういうことで中国側と折衝し、中国側の理解を得ましたので、そういう表現でやることにしたのでございます。
 なお、このコミュニケには出ておりませんが、中国側との話合いで一番苦心したのは、いうまでもなく、わが国との間に外交関係がなくなった後の台湾とわが国との関係であります。
 私どもは、日台間の事実上の関係は、そのまま維持したいので、中国側に理解を求めたところ、中国側も理解を示されましたので、それが今日のように支障なく維持されることになったことを申し添えておきます。

 現実的、弾力的になった中国の外交政策

 日本と中国それぞれの立場が、本来水と油みたいな関係でありながら、日中の国交正常化につき曲がりなりにも合意にこぎつけることができたのであります。
 それでは何故そういう政治的解決が可能であったか、ということをふり返って考えてみますと、私はいくつかの要因が考えられるのではなかろうかと思うのであります。
 第一は、日本の国内の状況が、中国との和解について、もうそろそろけりをつけなければならないというような熟した状況になっていたと思うのであります。
 従来は、与党や野党の一部、さらには財界の一部の方々と中国との間で非公式な接触があったにすぎなかったが、ここ一、二年の間に、目本の世論が急速に熟してまいりまして、日中和解の方向に、だんだんとかたまってきたと思うのであります。
 われわれ政治をやる立場から申しますと、そういう状況を見すごすことなく、大方の国民の願望というものは、いかにかしてこれを実現することが厳粛な政治の責任であろうと思うに至ったのであります。
 もしそれをやらなかったら、欲求不満が目本の国内に弥漫する状況になるにちがいない。
 そういう状態は日本にとって決して健康な状態ではないと思ったのであります。
 それは一つの政治的便秘状態でございますから、そういう状態を長く続けることはできないと思うのでございます。
 こういう問題は、できたらなるべく早くかたづけたほうがいいし、またかたづけなければならないのではないか。
 そういうように、われわれが考えてまいりましたのが、去年から今年にかけてのことでございます。
 第二に、これを成功に導いた大きい要因は、中国側にあったと思うのであります。中国側は先ほど申しましたように、カナダと国交を結びました頃から、私どもの予想以上にみずからの捧持する原則の具体的な適用に弾力性を持ち始めたように思うのであります。
 カナダが国交を樹立いたしましてから、二十数カ国が北京と国交を結んだわけでございます。
 一方、中国は国連の中国代表権の問題でも、とうとうみずからの主張を貫き、みずからの外交政策に、どうも自信を持ってきたのではなかろうかと思われます。
 中国の国内事情、あるいは中国の周辺の状況というものが、どのようにこれに影響しているのかは私にはよくわかりません。
 しかし中国の外交政策自体が非常に実際的になり、現実的になり、あるいは弾力的になっていったということだけは、われわれが確実に読みとれる兆候でございました。
 すなわち、日本の場合も、中国の場合も、和解をしよう、正常化しようではないかということを本気で、現実の問題として考えるようになってきていたと思うのであります。
 事を成す場合にたくさん問題はあるけれども、まず事を成さなければならない、という気持ちが双方に熟していることが必要です。
 それがこの場合にもあったことが、今度の合意をもたらした背景ではないか、そういう感じがしてならないのでございます。
 第三に、ここで見逃してならないことは、われわれがサンフランシスコ体制を踏まえてやったからできたのではないかということでございます。
 もし日中の正常化の仕事をやるためには、この体側を犠牲にせざるを得ないということになると、われわれも二の足を踏んだに違いない。
 もしサンフランシスコ体制を中国向けに再編して、中国がのみやすい姿にしなければならないということになれば、その準備作業自体にわれわれはエネルギーの大半を吸いつくされてしまって、本題の日中正常化にとりかかるまでに疲れきってしまうのではないか。

 サンフランシスコ体側はこのまま堅持する、そのことに何ら懸念を持たず、後顧の憂いを抱かないで、われわれは日中の和解に専心できたわけです。
 そのことがやっぱり、今度の合意をもたらした非常に大きな要因であったと思います。
 特にこの問題に対して中国が注文をつけなかったばかりでなく、理解を示したこと、そのことがやっぱり大きい力であったと思うのであります。
 いずれにいたしましても、そういう過程を経まして、この長い懸案が一応の解決になったわけであります。
 しかし、これはたんに日中両国の間に外交関係がもたれるようになったというにすぎない。
 いままでなかった道が、細々ながらついたというにすぎないわけでございます。
 まさにこれはスタートであって、問題は全くこれからのことだと思うのでございます。
 この狭い道をどのように踏みしめて、日中関係を形成していくか、そしてそれがアジアならびにこの周辺の地域に対して、どういう貢献をするか、それはやっぱりこれから日中両国の政府と国民の厳粛な責任ではないかと思うのであります。
 ようやく長い懸案に一応の終止符をうつことができたのでありますが、暗い過去を清算し、これから両国の間で何をやるべきか、何をやってはいけないか、そういうことについて真剣に話し合ってやっていくということが、これからの課題であろうと思うのであります。
 しかしより根本的には、何と申しましても、両国間に信頼がなければならないわけでございます。
 言えば必ずこれを信じ、行なえば必ず結果ありという姿に、私どもはやってまいらなければならない、またそうやってまいりますと、日中の関係に未来が開けてくるのではないか、私はそう信ずるのでございます。
 全く問題はこれからでございます。
 私どもも誠心誠意がんばってまいるつもりでございますが、各位におかれましても、何かにつけて、私どもにご指導とご鞭撻を賜りますようにお願いを申し上げます。
 きわめて簡単でございますが、日中正常化の交渉から帰りましたのを機会に感想の一端を述べ、ご報告にかえる次第でございます。
 ご清聴誠にありがとうございました。            

  出典:大平正芳『風塵雑俎』鹿島出版 1972