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【震災1000日 風化と記録】(上) 深刻化するボランティア、自治体職員の不足】

December 4, 2013

2013.12.4(水)

 

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【震災1000日 風化と記録】(上) 深刻化するボランティア、自治体職員の不足

2013.12.3 産経新聞

 

 「1人で仮設住宅に住んでいると、孤独を感じることはあるよ」。岩手県大船渡市の仮設住宅に住む村上澄子さん(63)は、津波で夫の正晃さん=当時(63)=を失った。今でも毎朝、部屋の仏壇に手を合わせる。

 「被災地のニュースが減り、寂しい思いもある」と月日の経過が身にしみる。震災後しばらくは毎日のように、ボランティア団体のメンバーが声をかけてくれたが、今では数も少なくなった。「『忘れない』と一言いってもらえるだけで、心は強くなれる」と話す。

 全国社会福祉協議会によると、平成23年5月に延べ18万人を越えた岩手、宮城、福島の被災3県でのボランティア活動者数は今年9月には1万2600人と激減している。担当者は「今も被災者が自立するための支援が必要だ」と説明した。

 「バスを連ねてボランティアが来るようなことはなくなった」。岩手県大槌町の社会福祉協議会のボランティアセンターでリーダーを務める渡辺賢也さん(26)はそう実感する。

 がれき処理や泥かきといった人海戦術を必要とするボラティア活動は減少傾向にある。ただ、小規模の仮設住宅支援や被災者の心のケアといったボランティアの「質」が変わっただけで、ニーズは大きい。

 渡辺さんに元には今でも、「がれき処理のボランティアはありますか」という問い合わせが多く寄せられるという。この善意の言葉は、被災地の現状が全国に伝わりにくくなり、被災地の変化が知られていないことの裏返しともいえる。

 「ただ、みんなにもっと被災地のことを考えてほしい。どうすれば声は伝わるんだろうか」。渡辺さんの奮闘は続く。

 ボランティアも変わりつつある。仮設住宅などで暮らすお年寄りらを支援する宮城県沿岸部のボランティア団体は、震災から2年が過ぎたころから外部のボランティアが減り、「仮設入居者の心の問題を研究したい」とボランティアに来る研究者が目立つという。

 自らも被災地で暮らしてきた代表の女性(54)は「震災当初は『とにかくお役に立ちたい』と駆けつけてくれた方ばかりだったが、今、残っているのは大学から研究費をもらい、飛行機で被災地へ来るような方が目につく」と話す。

 仮設住宅に暮らす子育て世代は、次々と自宅を再建して出ていく。残された人は、お年寄りが中心だ。

 女性は「当初は心に張りがあって元気だった被災者も、長引く仮暮らしで心がつらくなっている。そうした心に寄り添うことがますます求められるのに、研究目的のボランティアが本で読んだ知識で『こう接すればいい』などと助言してくれる」と困惑を口にした。

 「今年の夏ごろから客足が一気に減った。4割も売り上げが減った店もある」

 こう話すのは、岩手県釜石市の復興商店街の「佐野酒店」を営む佐野健司さん(82)。「昨夏は被災地に来る人も多く、商店街も『よし、これからだ』という雰囲気だった。最近はめっきり少なくなり、生活も楽じゃない」という。

 佐野さんは昭和元年に開店した酒屋の2代目。漁業や工業製品の輸出入などの港町として栄えた三陸沿岸で、外国船員相手に生活用品や酒を販売していた。

 震災後は、交流のある外国人らから何通も心配の手紙が届いた。今でも、国際ボランティアや世界各国から来る友人のためにホテルの手配などを世話する。自身で培ってきた歴史が、何とか風化するまちを世界とつなぎ止めている。

 観光庁によると、岩手、宮城、福島3県で主に観光客が利用する宿泊施設の延べ宿泊人数は今年6月時点、昨年6月に比べ17%減。震災の年よりは改善傾向にあるものの、なお全国水準を下回っている。復興のひとつの指標である観光だが、被災地に光をあてるまでには至っていない。

 震災で約600人が犠牲になった宮城県南三陸町。11月中旬の週末、かさ上げ工事で土嚢が積まれた泊港の船着き場で、自営業の嶋津祐司さん(46)は千葉県や東京都から来たほかのボランティア3人とワカメの種付けを始めた。

 一本一本のロープの編み目を手で広げ、種を植え付ける。根気のいる地道な作業に、漁師の男性(62)は「震災でみんな遠くにいっちまった。本当にありがでぇ」と目を細めた。ボランティアの力がなければ、人手のいる作業を1人で進めなければならない。

 仙台市に住む嶋津さんは震災から1カ月たったころにボランティアを始め、今でも週末には漁師の手伝いのほか、町内58カ所の仮設住宅に住む被災者に、日用品を届けている。

 「早く仮設を出で、自分の家に住みでぇ」。一人暮らしの高齢者も多い仮設住宅を一巡するには、1カ月半かかる。嶋津さんは「震災直後のニーズとは違っても、ボランティアを必要とする人はいる。被災地に来てもらうだけでも、活性化につながる」と話した。

 大規模な事業を行うノウハウのない小さな自治体では職員の不足も深刻化している。総務省によると、東日本大震災が起きた7月時点で、被災3県への全国の自治体から派遣された職員数は2422人。昨年1月に派遣期間が短期から中長期に変わったのを機に一旦減ったが、その後、増加傾向で今年5月14日時点で2052人になり、ほぼ2千人台で推移している。

 ただ、がれきが被災地からほぼ撤去され、「復旧」から「復興」の段階にさしかかった現在、派遣職員には高い専門性が求められてきている。現場は、数字には表れない「慢性的な職員不足」を感じている。

「いつまで仮設暮らしさせるんだ。がんばってるのは分かってるけど、ぬるいんじゃないか」。岩手県野田村役場で11月上旬、住民向けの土地区画整理事業の説明会が開かれた。昨年9月に東京都の任期付職員として採用され、野田村に派遣された三ケ森(みかもり)善智主任主査(51)は、住民からそう叱責された。

 「2年9カ月も仮設で暮らせば、早く自分の家に住みたいと思うのは当然」。仮設住宅で暮らしたこともある三ケ森さんに、住民の気持ちはよく分かる。

 もともとは野田村の近くにある岩手県二戸市の職員だった。震災直後に、がれき撤去のボランティアで野田村役場を訪れて衝撃を受けた。疲れ切った表情の職員らが「お盆になっても(応援職員が)来るか分からない」と力なく答えた。

 二戸市に戻っても、その姿が浮かんだ。「応援のない自治体もある。見て見ぬふりはできない」。市長に慰留されながらも退職し、都の採用試験を受けた。今年9月に任期をさらに1年延長した。「数年ではおそらくできない。できる限り長く関わりたい」と打ち明けた。

 仙台市は来年度から他の自治体からの職員派遣を断る方針だが、「そうした自治体は特別」だという。一方、派遣する側の自治体の担当者も「独自の事業もあり、これ以上多くの派遣は難しい」と本音を語った。

 

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