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【憲法改正に反対 ー 宮崎駿監督】

July 25, 2013

2013.7.25(木)

 

 若干旧報になりますが、宮崎駿監督のスタジオジブリが毎月刊行している小冊子『熱風』7月号の憲法改正特集がPDFで緊急配信され、反響を呼んでいるので、シェアします。

 次はそのPDFファイル。
 http://www.ghibli.jp/docs/0718kenpo.pdf

 

特集 憲法改正

 

 自民党へ政権が戻って、半年以上が経ちました。 首相就任当初から、いやそれ以前から憲法改正に意欲を燃やしている安倍総理は、 着々とその準備をしています。考えてみれば、自民党自体が、結党以来「憲法改正」 を党の使命として掲げているので、これは自然と言えば自然の流れです。

 しかし、自民党の出している新憲法の草案を、また安倍総理が描いている、憲法 条改正の流れ、そして本丸であろう憲法 条改正を、どれだけの人が正確に理解して いるでしょうか。

 もしかすると最大の問題は国民の無関心かもしれません。これはメ ディアの責任も大きいと思います。今後の日本の方向性を決めることにもなるので、 この問題について主張を明確にしていくのは大切だと思います。

 

『憲法第9条』

 

第二章 戦争の放棄

 

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際 紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを 保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

 

憲法を変えるなどもってのほか

 

もう少し早く生まれていたら 軍国少年になっていた

 

 

 僕は1941年生まれですが、日本国憲法ができた時の記憶はないですね(編集部注:日本国憲法公布は1949年)。それよりも、子どもの頃は「本当に愚かな戦争をした」 という実感がありました。実際、日本軍が中国大陸でひどいことをしたというのを自慢げに話す大人がいて、そういう話を間接的にではあっても何度も聞きました。同時に空襲でどれほどのひどいことになったかというのも聞きました。伝聞も含め、いろんなことを耳にしましたから、馬鹿なことをやった国に生まれてしまったと思って、本当に日本が嫌いになりました。僕が4歳の時に戦争が終わってますから、 6つ歳上の高畑勲監督や、3つ歳上の女房とは、戦後の経験がちょっと違いますね。ただ空襲は覚えていますし、自分の街がもえる のも見ています。負けたという屈辱感だけはありました。 戦後、アメリカ人がいっぱい来て、それを取り囲んでみんなが見物している。でも僕はアメリカ人からチューインガ ムやチョコレートをもらうような恥ずかしいことはできな い、そう思うような子どもでした。 今で言う、戦記物のようなものもずい分読みました。僕 が子どもの頃に出された本には太平洋戦争について「ものすごく反省している」とか「本当はこうだった」みたいな話が多かったです。鉄砲を撃つ仕事だけではなく、たとえばレーダーにしても、どれほどいい加減なレーダーだったかということや、一生懸命努力したのに全部無駄になってしまったというようなことを、いろんな分野の人間たち、 決してヒーローでない人間たちが書いたものが、ずい分出版されたのです。 景気のいい話なんて本当にありませんでした。軍艦が沈められた後に、乗員たちが漂流してどうやって助かったかなんていうような話も含め、子どもながらにも「実際情けない戦争だったんだ」という気分だけはとてもありました。 後にロバート・ウェストールが書いた『〝機関銃要塞〞の少年たち』などを読んだ時に「あ、この人は俺の先輩だ」と思いました。主人公は戦時下の少年で、大人たちが「戦争、戦争」と言いながら、まじめに戦争をやってないことに腹を立てている。それが自分と周りの世界との境目を、見極めるきっかけになっているんです。ウェストールのほうが僕よりも年上かな(編注: 1929年生まれ)。彼は「63歳で死んじゃいましたが。 僕は彼の本を読んで、自分がどういう質を持っているか ということに気づきました。僕は「自分の命よりももっと大事な大義があるんじゃないか」とか、「そのために死ぬ んだ」と思って、そっちの方へ、ガーンと行ってしまうタイプの人間なんです。もうちょっと早く生まれていたら、絶対、熱烈な軍国少年になっていたはずでした。さらにも っと早く生まれていれば、志願して、戦場で慌ててすぐに死んでしまうような人間です。あの当時は、本当の戦争というのは何か、がわかった時には死ぬ時だっていうような時代だったと思います。もしかしたら、幸か不幸か僕は目が悪かったので、特攻には志願できないので、宣伝の絵とかマンガなんかを描かされていたかもしれなかった。

 

父は戦時中飛行機の部品を作っていた

 

 そんな子ども時代の戦争の記憶ですが、世の中の様相が、 いわゆる戦時下のような状態になるのは、昭和19年(1944年)以降、国全体がヒステリックになってからです。 ただ、うちの親父は現実主義で、ニヒリストで「天下国家、 俺は知らん」というような人物でしたから、親父の話だけ を聞いてると、また全然違いました。 親父は関東大震災の時に、墨田区にあった陸軍被服廠跡 という、人がいちばん死んだところを逃げ回って生き残った人間なんです。まだ9歳だったのに妹の手を引いて逃げ たというのが自慢でした。戦時中は東京大空襲の翌日に、 親戚の安否を尋ねて東京に入ってるんです。だから、二度の死屍累々を見ています。

 学生時代の思い出を聞くと、小津安二郎の戦前の映画の たち 「青春の夢いまいづこ」にそっくりで、徹底した刹那主義者。

 戦時中は病気の伯父貴に代わって、飛行機の部品を作るような軍需工場の工場長をしていました。知り合いがみんな 「もうこの戦争は負けるんだからやめろ」って言うのに、 昭和 20年( 1945年)になっても銀行からカネ借りて投資したりして。話を聞いていると、親父は世界情勢がどうこうということを認めたくなかったんですね。「戦争は俺がやってることじゃない。商売としては今、客がいて注文があるんだから、それに応えて作れば儲かる」ということでやったんだと。だから全然、後悔もしてないですよ。大局観なし。戦後は当然のごとく、軍需工場なんてやっていられないから、残ったジュラルミンの素材で、すぐポロッと折れるようなスプーンだとかの、いい加減なものを作ってましたが、物資がない時代なので飛ぶように売れてました。それを一気に作って売り切った売り上げを分けて、できたばかりの労働組合を説得して見事に会社を解散したんです。その後は工場だけ残ったから、そこでダンスホールをやったりしていました。最初の年ぐらいは人が来たけれど、宇都宮からも汽車に乗らなきゃ行けない鹿沼というところだったから、しばらくしたら、人も来なくなって潰れました。それで東京へ出てきたんです。ですから、僕はおふくろと親父がブルースを踊ってるのも見ています。僕が高校生になった頃、平然と「おまえ、踊りも踊れないのか?」というような父でした。
戦争前、昭和の10年( 1935年)とか、世界恐慌で不景気だったと言っているけど、実はその時期が映画の全盛期だったりもしたんです。要するに仕事があってお金を持っていれば、デフレだから楽しくやれたんです。「いや、もうあの頃はほんとよかったよ」と親父も言ってました、もちろん東京の一部分のことだったかもしれませんが。そんな親父が戦争について何と言ったと思いますか。「スターリンは日本の人民には罪はないと言った」それでおしまいです。僕は「親父にも戦争責任はあるはずだ」と言って、喧嘩しましたけど、親父はそんなものを背負う気は全然なかったようです。戦後もすぐアメリカ人と友人になって「家に遊びに来い」と言うような人でしたから。「アメ リカのほうがずっといい。ソ連は嫌いだ」って言ってまし た。何でソ連が嫌いなんだと言ったのかは知らないけど、 自由がないのが嫌だったのだと思います。本人は自由にやってましたから(笑)。 

 

僕が日本を見直したのは、 30代になってから 

 

 今、半藤一利さんの『昭和史』を読んでいるんですけど、もう辛くて。読めば読むほど日本はひどいことやってるわけですから。何でよその国に行ってそんな戦争をしたのかと思います。他の道はなかったのか、満州事変を起こさずに済んでいたら、何か変わったんだろうかと思います。日露戦争が終わった時に、日本は遼東半島についても「これはやっぱり中国のものですから返しますよ」と言わなきゃいけなかったんです。そういう発想は日本の中に欠片もな かった。帝国主義の時代ですから世界にもなかったと思い ますが。 

 中国の周りには、ソ連もいたけど、イギリスはいる、ち ょっと離れりゃフランスもオランダもアメリカもいて、世界中が集まっていた。そういう歴史を人間が踏んできた、ということを抜きにして、日本だけが悪人ということではないと思いますけど、そうかといって「最後に入っただけなのに、俺はなぜ捕まるんだ?」と言うのもおかしい。「おまえは強盗だったんだよ」ということですから。満州に行った知人たちが、どういうことをやって、どういう風に威張りくさってたかという話もおふくろから随分聞きました。そういう話を聞く度に、本当に日本人はダメだと思いました。 

 そんなことで、大人になってからも、日本の歌は唄いたくなかったんです。それで「祖国の灯のために戦わん」とかのロシア民謡を唄いながら「そういう祖国があればいいのにな」と思っていました。じゃあ、ロシアがいいのかといえば、そうも思っていなかったんですが、僕はあまりにも自分の中に何もないので、「自分よりも大切なものが何かあるんじゃないか」と思っていたんです。 僕が日本を見直したのは、30代になって初めてヨーロッパへ行って帰って来た時です。ヨーロッパといっても、ほんの一部、スウェーデンをうろうろしただけですけれど、 帰って来てみると、自分がどれだけこの島の植物や自然が好きかということがよくわかったんです。人がいなければ日本はものすごくきれいな島だと思った。日本の国や日の丸が好きになったのではなく、日本の風土というのは素晴らしいものだという認識を持つようになりました。貧乏であるとか、ゆとりがあるとかというのとは関係なしに、豊かな環境の中にいると思いました。明治神宮にすごい森があって、それが人間の作った森だということなどがわかってきた。そんな土地の力を持っている島にいるんだということが、実に緩やかに少しずつわかってきたんです。これも半藤さんの受け売りですけれど、日本の近代の歴史は40年ごとに区切られる。1865年の開国から40年で 日露戦争に勝った、巨大な借金を残して。その後、 40年かかって軍閥政府が国を亡ぼした。そして、1945年から1985年ぐらいまでの40年間は、経済成長をやってうまくいったように見えた。バブルが弾けた後は、どうしていいかわからないまま没落していく40年になっている。半藤さんの意見が正しければ、 40年間失われるんだから、〝失 われた20年〞どころじゃなくて、あと20年ぐらいは失われる(笑)。 歴史ということで言えば、堀田善衞さんは「歴史は前にある。未来は背中にある」と言っている。だから、僕たちに見えるのは目の前にある昔のことだけです。日本の軍閥の歴史を見たくないのはわかります。だけど、日本という 国で政治家をやるのであれば、そのぐらいのことについては教育を受け、自分で知ろうとしなかったら国際的に通用しないですよ。 

 

これだけ嘘をついてきたんだから、 つき続けたほうがいい 

 

 憲法を変えることについては、反対に決まっています。 選挙をやれば得票率も投票率も低い、そういう政府がどさくさに紛れて、思いつきのような方法で憲法を変えような んて、もってのほかです。本当にそう思います。 法的には96条の条項を変えて、その後にどうこうするというのでも成り立つのかもしれないけれど、それは詐欺です。やってはいけないことです。国の将来を決定していくことですから、できるだけ多数の人間たちの意見を反映したものにしなきゃいけない。多数であれば正しいなんてことは全然思っていないけれど、変えるためにはちゃんとし た論議をしなければいけない。それなのに今は、ちょっと本音を漏らして大騒ぎを起こすと、うやむやに誤魔化して「いや、そういう意味じゃないんだ」みたいなことを言っている。それを見るにつけ、 政府のトップや政党のトップたちの歴史感覚のなさや定見のなさには、呆れるばかりです。考えの足りない人間が憲法なんかいじらないほうがいい。本当に勉強しないで、ちょこちょこっと考えて思いついたことや、耳に心地よいことしか言わない奴の話だけを聞いて方針を決めているんですから。それで国際的な舞台に出してみたら、総スカンを食って慌てて「村山談話を基本的には尊重する」みたいなことを言う、まったく。「基本的に」って何でしょうか。「おまえはそれを全否定してたんじゃないのか?」と思います。きっとアベノミクスも早晩ダメになりますから。 もちろん、憲法9条と照らし合わせると、自衛隊はいかにもおかしい。おかしいけれど、そのほうがいい。国防軍にしないほうがいい。職業軍人なんて役人の大軍で本当に くだらなくなるんだから。今、自衛隊があちこちの災害に出動しているのを見ると、やっぱりこれはいいものだと思います。隊員たちはよくやっていて、礼儀正しい。イラクに行かざるを得なくなっても、一発も撃たず、ひとりも殺しもせず帰って来ました。僕は立派だったと思います。湾岸戦争後にペルシャ湾に掃海艇を出さざるを得なかったけど、機雷のなさそうな海域を黙々と掃海して、小さな船です、大変だったと思いますが、静かに帰って来ました。僕はだまっていましたが、感動していました。もし本当に戦火が起こるようなことがあったら、ちゃんとその時に考えて、憲法条項を変えるか変えないかはわからないけれど、とにかく自衛のために活動しようということにすればいいんです。立ち上がりは絶対遅れるけれど、自分からは手を出さない、過剰に守らない。そうしないと、本当にこの国の人たちは国際政治に慣れてないからすぐ手玉に取られてしまいます。もし戦争になるとしても、そのほうがまだましだと考えます。 かつて、スイスやスウェーデンという中立国に憧れたことは事実でした。平和の国があってハイジが走り回ってるんだっていうイメージしかなかったから。でも、実際は違うわけで、非武装中立ということは現実にはあり得ないです。だからリアリズムで考えても、一定の武装はしなきゃいけない。ただ、それ以上は「ちょっと待て」っていうのがやっぱり正しいと思うんです。だから馬鹿げてるけど、 最新式の戦車ぐらいは多少造っておけばいいんですよ。本 当はガンダムでも造って行進させりゃいいんじゃないかと思っているんだけれど(笑)。「実際の能力は秘密だから白状しない」とか言って、これは冗談です。とにかく、今までこれだけ嘘ついてきたんだから、つき続けたほうがいいと思ってます。整合性を求める人たちはそうすることで「戦前の日本は悪くなかった」と言いたいのかもしれないけれど、悪かったんですよ。それは認めなきゃダメです。慰安婦の問題も、それぞれの民族の誇りの問題だから、きちんと謝罪してちゃんと賠償すべきです。領土問題は、半分に分けるか、あるいは「両方で管理しましょう」 という提案をする。この問題はどんなに揉めても、国際司法裁判所に提訴しても収まるはずがありません。かつて日本が膨張したように、膨張する国もあります。でも、その度に戦争をするわけにはいかない。そんなことよりも、今は、日本の産業構造を変えていこうというまじめな取り組みをすべきだと本当に思いますよ。こんな原発だらけの国で戦争なんかできっこないじゃないですか。中国が膨張しているのは中国の内発的な問題です。そして、中国内の矛盾は今や世界の矛盾ですから、ただ軍備を増強したり、国防軍にすればけりがつくなんていう問題じゃないと僕は思います。 

 

大事なのは、産業構造をどうするかということ 

 

 法治国家として人間の権利を守るというのは、とても大事な日本国憲法の柱ですが、歴史学者の堀米庸三さんなど は、日本にはもともと基本的人権の根拠になる思想がないと書いています。世界的にそう言われているから「基本的人権」と言うけれど、その発想は自分たちの中にはないと。では、どうするかと考え、堀米さんは死ぬ前に「仏教の一切衆生悉有仏性という考え方で説明できる」と言っていま す。万物仏性ですね。それに対して司馬遼太郎さんは「鎌倉武士の『名を惜しむ』という考え方で説明できる」と言っているのだけれど、これはちょっと無理があるなと思います。堀田善衞さんはまた、全然違う考え方です。ただ、 日本の伝統の中に根拠となる思想がなくても、やっぱり基本的人権よりいい考え方はないんだと思います。東のはずれにある国として、そういうものなしにやってこられたけ れど、世界化、国際化する時には、共通の言葉を持たなきゃいけない。人権という考え方を輸入せざるを得ないんですよ。それを自分たちの文化的な伝統や色々なものの中に  なんとか見つけなきゃいけないんです。 前にも言いましたが、今、はっきりしなきゃいけないのは、産業構造をどうするかという問題です。「自分たちの食うものや着るもの、住むものは自分たちで作ろう」という思想を持たずに、ただ消費して、あとは全員がサービス業みたいな、そんな国にしたってしょうがないし、うまくいくわけがないに決まってます。働いて数字だけもらってきて、それでいろいろ買ったり使ったりしてると、いろんな実感がどんどん遠のく。実感を手に入れようと少しずつ努力する人たちもいますけれども、そういう人たちは一定量しか出てこないから、実際には仕事に追いまくられてく たくたになって帰って、見ているのはテレビやメールだけと、わけのわからないことになってしまってます。 要するに今の世界中を覆ってる、このマーケット中心のやり方というのはダメなんです。何で僕らが3本100円 のバナナを食えるのか。自国では誰も作っていないような服を平気で着て、捨てて、それがおかしいんですよ。そんなことしていたらろくな目に遭うはずがない。日本はある時期までは、娘や息子たちのために母親が着るものを縫っていたけれど、今は針と糸も知らないお母さんたちがいっぱいいる。火も知らないでしょう。亭主がタバコを吸わなかったらライターもないしマッチもない。そういう人間が 無事にこの世界で生きていけると思いますか。無理ですよ。 縄で縛ることもできない。でも、そうなってくると、「徴兵制をやればいいんだ」というようなことを言う馬鹿が出てくるんです。その人たちは僕より下のはずだから自分が徴兵されてひどい目に遭ったことのないはずの人たちです。そういう人たちには、 歳でも 歳でも「自分がまず行け」と言いたいです。行きたくないなら、自分の息子を、息子がいなかったら孫を送れ。そうすれば、徴兵制というものが何だかわかるから。 

 「自分はちゃんとしているけれど、他の人はちゃんとしていない」という発想は捨てろと。自分がちゃんとしているなら、そのくらいはみんなちゃんとしてるんだと思ったほうがいい。徴兵制度というのは最低ですよ。韓国でも、徴兵制度がどれほど若者を荒ませてるかということです。鉄砲の数だけ並べて行進していきゃいいってもんじゃないんだから。戦争のこと考えても、こんなに立て込んだところで戦争やったらどうするんですか。戦争できる国じゃない です、日本は。 

 

今流行っていることはやるな 

 

 憲法は目標であって、条文をよくしたら貧乏人がいなくなるとか、そんなことあり得ない。でも、戦後の日本は、その憲法に守られながら行ってきた経済建設のお陰で、他 の国々の人々から収奪したお陰もあるかもしれないけども、飢え死にしている人を見かけることなどはほとんどない国になれました。もし、健康保険制度がなかったら、医者にかかれない人がものすごくいっぱい出てくると思うんです。アニメーションの関係者はほとんど歯医者さんにかかれないでしょう(笑)。本当にある時期までは、戦後立てた目標を実現しようと、公平な社会をつくろうと、右翼の政治家たちも随分やってきたと思いますよ。 それが、経済的にもうこれ以上は無理となると、「この制度はいけないんじゃないか」とか、「生活保護制度がいけないんじゃないか」とかいろいろ言う。どんな制度でも悪用する人間は必ず現れますから、それを例にして潰すの は間違いです。ただ、どこの地方自治体も財政は硬直化してます。福祉関係だけでにっちもさっちもいかなくなっている。それは感じます。僕が住んでいる所沢の財政支出を見ていても、これはすごそうだなと思います。だから、どっかでずるずるずるっと貧乏になっていかざるを得ないんだと思います。それはもう、そういうことだからしょうがないですよ。 なので、将来の希望とかではなく、今やってる仕事がおもしろいとか、友人とホッとするいい時間を持つだとか、 好きな亭主の顔見たらうれしいとか、これから、人はそう いうことで生きていかないといけない。将来の保証なんかない。こんなこと言っても何の励ましにもならないけれど (笑)。でも、本来人間はそうして生きて来たんです。 

 僕は仕事場の隣に保育園を作ったんですが、これは本当によかった。いちばんよかったのは僕にとってなんです。チビたちがぞろぞろ歩いてるのを見ると、正気に戻らざるを得ないんです。この子たちがどうやって生きていくのか、と考えたら、それは暗澹たるものだと思うけれど、じゃあ、 生まれてこなければよかったのかって、そんなことは言えない。やっぱり祝福しなきゃいけないし、実際、祝福できる。だから「なんとかなるよ」と言うしかないんですよ。人口自体は減ってもいいんです。日本の適正人口は 3500万人ぐらいだと思います。農業技術の進歩も含めると、もう少し養えると思うんですけど、 5000万人は 無理だと思います。それなのに今は1億人以上いるから、 アニメーションなんかが成り立ったんです。マーケットが小さいと成り立たないですから。人口が減っていくから、 今後はアニメーションも成り立たなくなりますよ(笑)。 でも無理ならやらなくていいんです、僕はそう思ってます。 いつまでも「巨人軍よ永遠なれ」とか、ちゃんちゃらおかしい。「ジブリよ永遠なれ」もありゃしないです。鈴木さんがこけたら全部死にますよ。鈴木敏夫さんの腰がこけたら全部おわりです(笑)。 最後に一言だけ言うとすれば、「流行っていることはやるな」ということ。アニメーションもそうだけれど、流行ってるものを追いかけたら、もう間に合わない。今、みん な口を開けば「不安だ」って言うけれど、「じゃあ、前は不安じゃなかったの?」と聞きたくなるぐらい、実は状況はそれほど変わっていないと思います。健康で働ければいい。働く場所がなければ、自分で作りゃいい。不安が流行ってるから不安になる。だから、流行ってることはやらないほうがいいです。(談) 

 

 (映画監督 みやざき・はやお) 

 

 

 

 

 

 

 

 

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