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【原子力寄生庁】

February 2, 2013

2013.2.2(土)

 

 昨年も一部で使われた言葉だが、もう一度使いたい。「原子力寄生庁」と。
 この「寄生庁」は審議官を出向元の文部科学省に戻したが、組織の独立性の観点からは、ノーリターン原則に反する。
 格下げして庁内末端事務に従事させるべきだ。

 

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(参考)

 

ノーリターンとノータリーン

June 25, 2012 辺見 洋之


 原子力発電所の安全規制を一元的に担う新組織「原子力規制委員会」の設置法案が20日、参院本会議で民主、自民、公明3党などの賛成多数で可決、成立し、9月までに発足することが正式に決まりました。
 規制委員会は環境省の外局で、政府からの独立性を高めるため、公正取引委員会のような「3条委員会」の形で「原子力規制委員会」を設置。委員は5人。「3条委員会」は、独立してその職権を行うことが保障されるため、原子力規制委員会の委員長や委員は、専門的な知識に基づいた中立公正な立場で規制の業務に当たることができるとしています。
 これにより、原発推進の経済産業省にある原子力安全・保安院が安全規制を担う体制は解消。原子力規制委員会の下に設置され実務を担う事務局の「原子力規制庁」に入る職員は、原則として出身省庁に戻らないとする「ノーリターン・ルール」を全職員に適用し、独立性を高めるとしています。
 職員のノーリターン・ルールというのは、原発を推進の経済産業省のなかに原発を規制する原子力安全・保安院があり、福島原発事故の発生により、その問題点が指摘されたことから、原子力規制庁を設ける場合の最重要課題となっていたものです。
 経済産業省や文部科学省などから職員が集められて、原子力規制庁が設立されることになりますから、原子力規制庁に異動させられた職員が、もとの出身官庁に戻れるとなれば、推進する組織と規制する組織の中身が同じということになってしまい、分離する意味がまったくなくなってしまうからです。
 さらに、いま原子力規制庁に在籍していても、将来、出身官庁に戻れるとなれば、天下りなどの面倒をみてくれる経済産業省や文部科学省などの意向で働くことになりますから、原子力規制庁は、有名無実になってしまいます。
 では、実際の条文は、どのようになったのでしょうか。「原子力規制委員会設置法」附則第6条の2は、つぎのようになっているようです。
 「原子力規制庁の職員については、原子力利用における安全の確保のための規制の独立性を確保する観点から、原子力規制庁の幹部職員のみならずそれ以外の職員についても、原子力利用の推進に係る事務を所掌する行政組織への配置転換を認めないこととする。ただし、この法律の施行後5年を経過するまでの間において、当該職員の意欲、適正等を勘案して特にやむを得ない事由があると認められる場合には、この限りではない。」

 この条文には、2つの問題点があると思います。「ノーリターン・ルール」に、「職員の意欲、適正等を勘案」すれば、出身官庁に戻れるとあることです。「職員の意欲、適正」というのは、目に見えませんから「自由に」戻れるということです。
 これは、「施行後5年を経過するまで」だそうですから、あまり目くじらを立てる必要がないかもしれませんが、これを設けた意図は、この5年のあいだに原子力規制庁を出身官庁の意向に沿ったものに基礎固めをしてしまい、その功労者を5年後までに戻す狙いがあるのではないかと疑われる余地を残したことです。「職員の意欲、適正等を勘案」するのに5年は長すぎるからです。
 そして一番問題なのは、「原子力利用の推進に係る事務を所掌する行政組織への配置転換を認めない」とすることでしょう。
 一見、「原子力利用における安全の確保のための規制の独立を確保する観点から」何の問題もなく、これこそが「ノーリターン・ルール」を明確にしたものと言える、ように見えます。
 しかし、官僚にとって、この条文のみそは、あくまでも「原子力利用の推進に係る事務を所掌する行政組織への配置転換を認めない」とするところにあります。
 つまり、「原子力利用の推進に係る事務を所掌する行政組織」以外の組織ならば配置転換を認める、ということです。経済産業省出身であっても、他の省庁を一旦あいだに挟めば経済産業省に自由に戻れるということです。
 これが幹部職員であれば、ほんの1人や2人であっても、原子力規制庁を出身官庁の意向で好きなように操れるということです。これは、「ノーリターン・ルール」の骨抜きにほかなりません。
 福島で重大な原発事故が起こったのにもかかわらず、いま世界では、フランス、イギリス、ロシア、アメリカ、中国など多くの国で、原子力発電所が稼働しています。あれだけの危険性がありながら、なぜ原発をやめないのか?
 それは、ひょっとして世界の誰もが意識していないのかもしれませんが、その背後には、無意識裡に2つの論理が働いているからです。それは、
 1.原発は、最高の技術レベルで運用されなければならない。
 2.原発は、最高の制度設計のもとで運用されなければならない。
 つまり、福島の事故は、原発が、最高の技術レベルで運用されていたわけでも、最高の制度設計のもとで運用されていたわけでもない、だから、われわれには、まだ十分に安全に運転できる余地がある、という認識なのです。
 それは、そうでしょう。もし、「最高の技術と、最高の制度設計」のもとで運用されて事故が起きたというのなら、人間には原発をコントロールする能力がない、ということになります。
 もし、そうだとしたら、原発の再起動を認める何らの正当性もありません。そうなれば、日本国中に暴動が起きて政府が転覆されてしまうことでしょう。
 いま日本では、脱原発の議論とか、大規模な原発再稼働反対のデモが起きても、政府が転覆されるような事態にはおちいってはいません。それはまだ、人間には、日本人の力には、まだ余力があると多くの人が思っているからこそ、日本でも原発の再起動ができたのです。
 「最高の技術」と「最高の制度設計」という2つの両翼が揃ってこそ、原発を安全に運用することができるのです。
 官僚たちが、いわゆる「霞が関修辞学」を駆使して天下り規制などをかいくぐってきたことはよく知られています。しかし、原子力規制庁に関して「霞が関修辞学」を駆使して、これを骨抜きにすれば、その被害の甚大さからみて、天下り等の問題と同一視して見過ごすことはできないでしょう。
 この法案の危険性を見過ごして成立させてしまった国会議員の人たちを「ノータリーン」と言ってすませばそれまで。しかし、そんな簡単な問題ではないでしょう。原発安全運転の片翼が、削ぎ落とされようとしているのですから。

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