2019.4.23(火)
我が家向かいの敷地で、地下に埋設してあった放射性物質を含む汚染土が掘り起こされ撤去、新しい山砂が盛り土された。 我が家も先日、汚染土入りフレコンパックの撤去作業を終えた。
原発事故から8年1カ月、庭土除染作業からほぼ6年も経ってようやく、目の前からストレスの原因物が消えた。 とはいうものの、当地区に限っても該当箇所はまだ数千カ所あり、搬出作業終了まであと1年かかるという。
汚染土は近くの新幹線高架下へ集められ、その後別のA地区(飯坂地区)へ、更にB地区(蓬莱地区)に移される流れになるとのことで、更にその後のスケジュールは未定だ。 大熊町・双葉町の中間貯蔵施設に運ばれるのがいつになるかさえ不明だ(それだって、両町の方々を思えば心が痛む)。
やはり、ブツの本来の所有者である東京内幸町の東京電力本社、原因者である永田町、霞が関(国会、各省庁、それに「全電源喪失はあり得ない」と宣(のたも)うた方の本拠地であり私も一度入ったことがある首相官邸及び公邸には、結構広大なスペースがあるじゃあないですか)にお返しするのがスジではなかろうか。
そう思いつつ、今日の川柳を一句。
◉ 汚染土は 流れ流れて 東京へ
川柳に合わせ、懐メロ番組でも今はほとんど採り上げられることのない昭和の歌・通算48曲目は、この歌を。