2018.1.26(金)
野中広務さんが92歳で亡くなられた。
京都でのイベントで野中さんを一度、間近に見たことがある。 感心しないことも多々あったが、オウム真理教を一網打尽にするための決断・差配は見事だった。
豪腕の反面、戦争体験者の身からハト派の重鎮として、「戦争を知らない子供」のアベシのふるまいに警告を鳴らしていた。
15年前に発した言葉「毒まんじゅう」。今の政界にはこの「毒まんじゅう」を食らった人がどれほどいるだろうか。
もっと長生きして一強政治の堕落に対し睨みをきかせて欲しかった。
ご冥福を祈りたい。
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「加藤の乱」鎮圧、野中広務・元官房長官が死去
2018年01月26日 読売新聞
官房長官や自民党幹事長などを務めた元衆院議員の野中広務(のなか・ひろむ)氏が26日午後、京都市内の病院で死去した。
92歳だった。告別式は未定。
野中氏は旧制京都府立園部中学校を卒業後、園部町議、園部町長、府議、副知事を経て、1983年の衆院補選で旧京都2区から初当選した。2003年10月に政界を引退するまで、連続7回当選した。
1994年6月に村山内閣で自治相・国家公安委員長として初入閣し、95年1月の阪神・淡路大震災、3月の地下鉄サリン事件などの対応に手腕を発揮。98年7月の小渕内閣で官房長官となり、自由・公明との3党連立の立役者となった。2000年4月の森内閣では党幹事長に就任。加藤紘一・元幹事長が内閣不信任案に同調する動きを見せた「加藤の乱」では、鎮圧に回った。