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  • yanxia2008

【地方公務員公務災害補償基金本部の罪】

2017.7.11(火)

 今日は6年4か月目の月命日。合掌。

 併せて、4年前の今日の投稿を再掲。 

 4年前のあの時、不肖・毒舌亭は、基金本部の役人根性丸出しの判断に大いに怒り狂ったものですが、その後の消息情報がなく、気になっておりました。今日、偶然これを見つけたので記します。

《その後の消息》

 地方公務員公務災害補償基金の請求棄却判定の後、死亡・行方不明となった町職員33人の遺族の審査請求に対して、2014年5月、 弁護士や医師らでつくる第三者審査会が再審査し、震災当時の状況を踏まえ「危険な公務中の災害だった」と不認定の判断を覆し、遺族の請求を認めました。  つまり遠藤さんもこれで救われたものと思われます。

 基金本部は初審で、 

 1 被災公務員は、特殊公務ではなく、善意、善行を行って亡くなったこと。  2 目撃者など厳格な証明が必要であること(これには、そもそも法的根拠がない)  3 死の危険を感じていなかった(その場所が、一般的に、社会通念上安全だと認識されている場所で被災している)こと

などという論理で棄却したようです。

 この「否定論理」の背景には、

1 被災地だけの特別扱いにならないか 2 民間との不平等感(公務員だけこう言う上積み規定があるのは不公平) などが挙げられるようです。

 しかし、第三者委は、遠藤さんらの行為の公務性を認め適正な判断を下しました。

 私は、この顛末に安堵し、第三者委各位及び棄却判断の不当性を鋭く追及する報道を行った河北新報、基金本部に働きかける努力を払った基金宮城県支部長の村井知事らに対し敬意を表しますとともに、改めて遠藤さん始め犠牲になられた方々のご冥福をお祈りします。

 それにしても、基金本部はあの時、誠に罪な判断を下したものと改めて思います。

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岩下 哲雄

2013年7月11日

【地方公務員災害補償基金なんざあ、即刻解散しやがれい!】

 腸(はらわた)が煮えくりかえって仕方がない。  南三陸町役場危機管理課の遠藤未希さんが最後の最後まで命を賭して住民避難の呼びかけを遂行したことが公務以外の何物でもないこと、しかもこれ以上の崇高な公務はないことは明らかではないか。

 「庁舎は災害対策本部が設置された場所であり、直接的な大きな被害が及ばない場所であると認識されるべきもの」だと?  認識したって現実に大きな被害が起きたじゃないか!  安全だと言い続けて現に原発事故が起きたことをなかったことにしたい勢力と同じ発想ではないか。  現実から逃避して妄想の世界に浸り、法令上の字面にこだわって本来救われるべきものを逆に奈落に突き落とすなどあってはならないこと。本末転倒だ。

 地方公務員災害補償法に基づく基金(法人)の役職員は、同法の規定により「みなし公務員」として扱われるが、こいつらは、まさに木っ端役人以下の発想でしかない。  遠藤さんの意思・行動に対し、誠意、敬意をもって礼を尽くすことこそあなた方の使命ではないか。

 法令・制度は人のために使われるべきもの。それ自身のために存在するものではない。  そんなことも理解できず、現場とは隔絶した平河町森タワー8階の安全なビルで条文(言葉)をもてあそび、法の精神を踏みにじるようなこんな基金法人など全く不要。  即刻解散し、判断に関わった役職員は全員追放すべし!

3・11避難呼びかけ津波にのまれた町職員に冷たい決定「公務災害に当たらない」

2013/7/ 9 

「一生懸命、最後の最後まで(住民避難の)放送をしていたから、未希に何かがあってもいいじゃないかと思う。お金じゃないんだけどね」

東日本大震災の3月11日、津波が迫るなかで命をかけて住民避難を呼びかけ亡くなった宮城県南三陸町役場危機管理課の遠藤未希さん(当時24)の遺族が、危険な公務中の災害だったとして申請していた「特殊公務災害」が認められなかったことに、祖母がこう言って悔しがった。

「大津波来ます。高台へ避難してください」放送続けた南三陸町役場・遠藤未希さん

「大津波が予想されますので急いで高台へ避難してください」

未希さんは防災対策庁舎の防災放送で繰り返し住民に呼びかけ、最後は津波にのまれてしまった。庁舎はむき出しの鉄骨のまま残されており、今でも町の人は「天使の声」と称える。祖母は「これがなぜ当てはまらないのか、情けない」という。

大津波に襲われた庁舎では、未希さんを含め33人が公務中に亡くなり、遺族は危険な公務中の災害だとして特殊公務災害を申請した。結論は33人中32人が不認定だった。不認定の理由について、地方公務員災害補償基金の嶋田幸広次長が8日(2013年7月)に会見して、次のように述べた。

「庁舎は災害対策本部が設置された場所であり、直接的な大きな被害が及ばない場所であると認識されるべきものと考えられることから、規定に該当しないものと判断している。 結果として被災されているというのは、気持ちとして分かるが、法律で規定されているので、規定に則って判断するという説明になる」

肝心なときに役に立たない「天下り機関」

予想できないほどの大きな災害ほど該当外では本末転倒としか言いようがない。この基金は1972年の浅間山荘事件で警察官が射殺されたのをきっかけに設けられた。公務災害の場合、認定されれば最大2160万円の一時金のほか、年金などが遺族に支給される。特殊公務災害は一時金、年金とも公務災害の最大1.5倍とされている。

労災問題に詳しい川人博弁護士は、「納得できない判断だ。こういうときのためのある制度なのに、公務災害の運用については冷たいのが実情」という。

スタジオにスペシャルコメンテーターとして出演した漫画家の江川達也も、「(基金は)天下りの機関じゃないですか。そういう人たちの給料を減らしても、手厚い補償をすべきですよ。一人認めると次々と認めざるをえなくなると警戒したのだと思う」とやりきれないといった表情で語る。

こんなバカな判断しかできない天下り機関はいらないし、災害などそうあるものでもないのだから、現場を知る県とか担当の省が直接判断すればいい。

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◉ 参照記事

 http://ijimemental.web.fc2.com/sinnbunn14.5.30.pdf

特殊公務災害 特殊公務災害31人認定 南三陸町防災庁舎、死亡・不明の町職員

河北新報 2014.5.30  

 町職員33人を含む43人が犠牲になった防災対策庁舎。

 震災後3年2カ月が過ぎた今も、慰霊の花束があふれる東日本大震災の津波で、宮城県南三陸町の防災対策庁舎で死亡・行方不明となった町職員33人の遺族が申請した特殊公務災害が不認定とされたことを不服として、遺族が審査請求したところ、29日までに31人の請求が認められ たことが分かった。

 弁護士や医師らでつくる第三者審査会が再審査し、震災当 時の状況を踏まえ「危険な公務中の災害だった」と不認定の判断を覆した。残る2人の申し立ても審査中となっている。

 遺族33人は2012年にそれぞれ、補償を扱う地方公務員災害補償基金(東京)の宮城県支部に特殊公務災害の認定を申請したが、全員が不認定とされた。

 遺族は昨年、これを不服として審査請求を申し立て、支部の第三者審査会が審査していた。  審査会は、マグニチュード(M)9.0の巨大地震で10メートル以上の大津波警報が発令されていたことから「高度な危険が一般に予想される状況下での職務」と認定。

 「町防災対策庁舎は災害対策本部が置かれており、大きな被害は想定されていなかったはず」とする基金の判断を退けた。

 町防災対策庁舎では震災当時、町職員が情報収集に当たり、防災無線を通じて町民に避難を呼び掛けた。津波が押し寄せたため屋上に避難したが、町職員33人を含む43人が犠牲になった。

 審査請求を支援した東忠宏弁護士(仙台弁護士会)は「津波災害の実情に即した判断で、評価できる。現在審査中の申請も同様の判断が下される可能性が高い」とみる。

 同基金によると、震災で犠牲になり、公務災害が認められた岩手、宮城、福島3県の自治体職員は282人。このうち145人が特殊公務災害を申請し、今回の判断で92人が認定されたことになる。第三者審査会が不認定の判断を見直したケースが8割を占めた。

 特殊公務災害が認められた遺族の一人は「ほっとしたが、家族は帰ってこない。公務員が使命感から命懸けの職務に当たるのではなく、避難を優先できる環境が望ましい」と訴える。  同町の佐藤仁町長は「遺族は苦しい思いでずっと過ごしてきた。認定され、大変うれしい。審査中の人も認定されるよう願っている」と話した。

 同基金は5月から特殊公務災害の認定要件を緩和し、不認定とした申請も再度申請を受け付けている。

[特殊公務災害]

 地方公務員の災害補償法に基づく公的補償の一つ。高度な危険が予測される状況下で、警察官や消防署員らが人命救助などの公務中に死亡したケースが対象となる。認定されれば、遺族の請求により一時金、年金ともに公務災害の補償額の最大1.5倍が支払われる。

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「特殊公務災害の認定から見た、東日本大震災の受け継がれるべき教訓と、直ちに解決するべき課題」

2014.7.1 土井法律事務所(仙台弁護士会)

第1 特殊公務災害の申請が排斥された事実とその手続き、主体

 平成24年9月7日の段階で、公務災害が認定された死亡例は、岩手県124人、宮城県139人、福島県9人の計272人(認定率97%)であった。認定後、宮城の110人を中心に計134人の遺族が特殊公務災害補償を申請したが、該当は16人(11%)にとどまり、残りは非該当が57人、審査中が61人だった。要するに88%が、特殊公務災害と認定されなかった(河北新報平成24年9月7日)。

 審査中の61人のうち、本日まで56人以上が支部審査会や、基金本部で逆転認定を受けていることを確認している。

 このように、後に認定されることになった多くの申請が、なぜ当初、特殊公務災害と認定されなかったのか。これらは、徐々に明らかになってきた。

 特殊公務災害とは、高度に命の危険がある公務に従事して災害にあった場合は、通常の公務災害の給付金に加算して給付が行われるという制度である。浅間山荘事件で、犯人に殺された警察官の死亡が通常の公務災害と同じでは気の毒であるため、命の危険がありながら公務に従事した場合は、相応の補償をするべきだというところから生まれた制度だとされている。このため、特殊公務災害だと認定されるためには、命の危険が高度に存在する公務に従事していなくてはならない。公務に従事中に、たまたま命の危険が生じたとしても、たとえば、自動車を運転する公務の場合で、玉突き事故等により、命の危険が生じていたとしても、それは特殊公務にはならない。特殊公務とされるのは、地方公務員でいえば、警察官や消防官、そして、災害時に避難誘導等の公務に従事する公務員に限定されている(地方公務員災害補償法第46条、地方公務員災害補償法施行令第2条の3第1項及び第2項)。

 あまり知られていないことかもしれないが、公務員は、災害のとき、各自治体の作成する地域防災計画等のマニュアルにしたがって、避難誘導の公務に就く。災害の急性期が過ぎれば、避難所などの管理や避難民の世話をする。何らかの事情で、部署を離れていても、震度5強以上の地震があれば、部署に駆けつける規則となっている公務部署も多い。

 実際、東日本大震災の被災地では、これらのマニュアルや内規にのっとって、公務員が地震発生のその時から公務に従事した。南三陸町の防災対策庁舎には、大地震と同時に、町役場から渡り廊下を使って、隣の防災対策庁舎に職員が移動して、避難誘導の情報収集や防災無線での非難の呼びかけをした。公民館では建物の隣の水門を閉めるなどの作業を行った。仙台市若林区役所の町づくり推進課では、4人の職員が海辺の地区の避難広報活動に出発した。

 そればかりではない。内陸の小学校では、保護者が学校に迎えに来るまで、子ども達を励ましながら、教師は学校から帰れなかった。その教師の子どももどこかで被災しているのである。子どもの安否を確認する方法はなかった。地震のあとは、携帯電話もメールも実際には使用できず、電話もなかった。自分の不安を押し隠して他人の子ども達を安心させていた。公共交通手段もなく、立体駐車場も使用不能となっていたことから、最後の父兄が子どもを迎えに来るころには、深夜になったことと思われる。

 翌日は土曜日であった。架設の公衆電話が設置されていた。私は、その公衆電話で、親族の安否を確認しようと、つながりにくい電話を何度も架けているときも、知り合いの市役所の職員は、原動機つき自転車で、私の後ろ側を、市役所に出勤していった。

 東松島市の保健士は、自分の家が流されて正気を失いながら、避難所を回ってメンタルヘルスの公務に従事していた。

 県庁に勤めている近所の方は、何日も県庁に泊り込んでいたが、新聞紙さえ引かず、底冷えする仙台の3月の夜を、背広を着たまま床にごろ寝をしていたとのことであった。

 住民が不安でなすすべなく、買出しに長蛇の列を作ったり、ただ不安を抱えて余震の起きる自宅や避難所で、じっとしていたりしていた。そんな時、住民のために働いていた人たちがいた。住民がその働く一般公務員の姿を目撃していたにもかかわらず、彼ら、彼女らは、たとえば自衛官や、警察官のように、賞賛されるということはなかった。時間外賃金の約束も反故にされた。

 それにしても、公務員が、海辺で避難誘導活動をして、津波に巻き込まれたというのであれば、危険な公務に従事していたことは誰にでもわかるような気がする。それにもかかわらず、なぜ、地方公務員災害補償基金は、特殊公務災害であることを認めなかったのだろうか。

 特殊公務災害も、民間の労災や普通の公務災害と同じように、認定までの道は、3段階に分かれる。第1段階は地方公務員災害補償基金の支部長の名義で判断が行われる。宮城県であれば、地方公務員災害補償基金宮城県支部長村井嘉浩の名前で判断が行われる。ここで認定がなされれば、特殊公務災害として扱われることが確定する。ここで非該当とされて認定がなされなければ、それを不服として、地方公務員災害補償基金宮城県支部審査会に審査請求という形で不服申し立てができる。審査会は、基金支部の職員ではなく、弁護士や医師などの有識者で構成される第三者機関である。ここでは、支部長の非該当判断を取り消すことができる。支部長の非該当が取り消されれば、基金支部長は、改めて認定を行うことになる。そして、支部審査会でも認められなければ、地方公務員災害補償基金審査会に再審査請求を行うこととなる。この本部の審査会が、特殊公務災害に該当すると判断した場合は、地方公務員災害補償基金支部長の非該当処分と支部審査会の棄却の裁決の両方が取り消されて、改めて基金支部長が特殊公務災害の認定を行う。ここでも認定されなければ、裁判所に行政訴訟を提起することとなる。

 ここで、一点注意しなければならないのは、第1段階は各支部の支部長の名義で判断されるが、特殊公務災害補償及び国際緊急援助活動特例災害補償事務取扱要領で、基金支部から基金本部の補償課長に照会をすることになっている。つまり、特殊公務災害の認定は、どこの県の事案でも、実際に判断しているのは、東京の本部ということになる。実際の事件の資料を見ると、補償課長に問い合わせをする祭に、例えば宮城県の支部審査会も、任命した役所も、特殊公務災害と認めてほしいという意見を出して問合せをしていた。ところが、基金本部が非該当として扱うように回答し、そのまま非該当の決定となった。

 したがって、特殊公務災害を認定しなかったのは、村井知事や奥山市長ではなくて、基金本部なのである。この点を踏まえなければ、いくら考えても、特殊公務災害が否定された理由は出てこない。

第2 否定の論理

 東日本大震災の特殊公務災害の申請の88%が、第1段階である支部長名で否定されてきた理由は、支部審査会に提出された、支部長名の「弁明書」に記載されている。具体的事件の弁明書を数十本みた。自分が代理した事件だけでなく、申請者本人や申請者の代理人から相談を受けた事件での弁明書も読ませてもらっていた。すぐに奇妙な共通項に気がついた。その点について、紹介しておきたい。

 1 善意、善行

 否定の理由で、あらゆる事件に出てきたのは、被災公務員は、特殊工務ではなく、善行を行って亡くなったというものである。善行とは、例えば川に溺れた子どもを助ける時に亡くなったとしても、救助する公務についているわけでなければ、命の危険のある行為を敢行しても、それは善行に過ぎず、特殊公務災害ではない。こういう国会答弁が、どの弁明書にも必ず引用されていた。宮城県支部長の弁明だけでなく、仙台市支部長の弁明書にも、他県の弁明書にも出てきた。しかも、その挿入が、明らかにコピーアンドペーストで行われていると感じられた。挿入が、不自然な文脈で現れ、また、結論との結びつきも理解しがたい形だったからだ。

 特殊公務災害を否定しているのは、宮城県や仙台市の支部長ではなく、どこか別の同一人物であるということは、これを読めばすぐに理解できる。必要な論理なら、要旨が重なることは確かにありうることだ。しかし、文書の中で、全く関連性のない場面で出てきていた。特殊公務を否定するための論理であるにもかかわらず、どうしてこの事件で、この答弁の引用が必要なのか、場面になじむのかよくわからない弁明書がほとんどだった。

 この善行呼ばわりは、遺族である申請人の気持ちをひどく傷つけた。一人でも多くの住民を助けようと命をかけて公務を全うした公務員の遺族は、まさにそのことを認めてもらいたいのである。公務だから命をかけたのだと。それが、善行だというのであれば、そのような危険な公務は命じられていない、勝手に命をかけたのだということになってしまう。

 この善行呼ばわりを否定したいということが、遺族をして、特殊公務災害の認定に奮い立たせた大きな理由だったように思う。

 宮城県支部審査会と基金審査会での逆転認定の裁決書においては、善意、善行の言葉は出てこない。問題の所在にもなっていない。善意善行は、全く不要の論理、不要のタームであった。

 また、そもそも、善行だというのであれば、公務災害も認定できないはずである。公務災害を認定していながら、特殊公務災害は善行だとして否定すること自体、論理性がない。

2 目撃者がいない、「厳格な証明」

 不認定の理由の多くに、公務員の死亡時、公務に従事していたとすることについては厳格な証明が必要であるとし、目撃者などの直接証拠がないから特殊公務災害が認定できないというものがあった。

 特殊公務災害は、一般の公務災害に比べて手厚い補償を行うということを理由に、「厳格な証明」を要求した。

 しかし、「厳格な証明」が必要な法的根拠はない。「厳格な証明」は、刑事手続において要求されるもので、冤罪を作らないために、被告人の人権を侵害しないための法技術である。私人間の損害賠償を決める民事裁判においても、「厳格な証明」を要求していない。私人間の損害賠償以上に、基金の財産を保護する理由は何もない。

 しかも、「厳格な証明」の意味も誤用していた。「厳格な証明」とは、「通常人が合理的疑いを挟まない程度に真実性が証明される」という心証の程度問題である。直接証拠に限定するというような証拠類型を定めたものではない。

 「厳格な証明」を求めたこと自体が根拠がないのだが、このことに加えて、厳格な証明の意味も誤っていたという、極めてずさんな論理であった。

 付言すると、直接証拠とは、その公務員が津波に飲み込まれるところを目撃した者の供述を要件とすることである。その場を目撃した者の大半は津波に巻き込まれている。助かったとしても、その時誰がどうしていたかなどということに注意を払ったり、記憶をしたりする余裕があるはずがない。津波に対する理解も決定的に不足していた。

3 死の危険を感じていなかった

 結構多くの事案で、弁明書に記載されている。しかし、何が言いたいのかわからないものがある。その場所が、一般的に、社会通念上安全だと認識されている場所で被災していると、特殊公務災害ではないという部分だ。

 例えば、防災対策庁舎という名称の建物は、強度の安全性を備えていると通常想定しているとか、病院は避難所にも指定されていることから、命記の危険を感じていないとか、そのような類である。それが、どう否定につながるのかについては、何度読んでもわからない。

 どうやら、公務員は、危険な場所にいるとは感じていない、あえて危険を冒して公務に従事したと言えないと認定したいようなのである。狙撃犯に向かっていって、銃で撃たれる場合とは違うと言いたいのだろう。しかし、銃で撃たれても死なないかもしれないが、津波に巻き込まれたらほぼ確実に死ぬ。この辺が全くわかっていなかったようだ。

 これを端的に主張したのは、仙台市支部審査会である。被災公務員である大友さんも、支部審査会の委員も、地元の住民であり、津波の驚異を知っているはずである。それなのに、「命の危険を冒してまで避難広報活動をするように命じていない」ということを特殊公務災害ではないというのである。さすがに、基金本部もそこまでは言えなかった。大友さんは、地震後30分を経過して、既に津波高10メートルを超えるという予想が発表される中、海沿いの集落に向かわられた。それにもかかわらず、このように述べているのである。呆れるばかりの、論理とも言えない言いがかりであるが、それを読んだ日の夜は、悔しさのあまり眠れなかった。津波は海面全体が盛り上がるため、なかなか陸地から到来したことがわからない。陸地に押し寄せてきた時に津波が来たことを認識するが、その時は、既に逃げることができない(「津波災害」河田惠昭 岩波新書)。命の危険を冒してまでの命令でないならば、そもそも命令してはならないのである。

 そもそも、死の危険を感じていなかっただろうということは、特殊公務災害を否定する論理とはなりえない。また、いろいろな資料が、亡くなった公務員の方々が、死の恐怖と向き合っていることを示している。それにもかかわらず、このような表現をなされると、遺族としては、死の危険を感じていたのなら、およそ逃げるだろう。逃げなかったのは、死の危険を感じなかったのだろうと言われているように感じる。遺族が認めてもらいたいことは、死の危険を感じながらも、住民のために公務をまっとうしたというそのことであるので、この感情を逆なでするような認定技法だった。

4 論理の不明確さ

 特殊公務災害を否定した、基金本部の支部長名の論理、仙台支部審査会の論理の特徴は、その論理が不明確であるということである。読んでいても、何が否定につながるのか、よくわからない。弁明書のあとに反論書を書くわけだが、論理が不明確であるため、同反論すればいいか考えることが一番苦労したことであった。

5 特殊公務災害を否定した人物像

 おそらく下書きをした人物は同一人物であろうと思われる。大量の処理をしなければならなかったことから、とにかく、否定する理由をいくつかピックアップして、資料上でそれに引っかかりそうなものがあれば、強引にその理由を当てはめていったように感じられる。

 被災地の人間ではなく、津波や地震の実態、公務員の実態を知らない人ということになる。仮にそれが弁護士などの法曹資格のある人間だとしても、刑事事件には関与したことがなく、民事の法廷に立ったり、証人尋問をしたりしたことはないだろう。依頼者から生の訴えを聞いたことはなく、せいぜい契約書の作成等のデスクワークを専門にやっていた人ということがイメージできる。

 確実に言えることは、一般公務員に対しては、特殊公務災害を認めないという結論だけが先に決まっていて、結論に合わせるために、無理な論理をつなげてしまったということが否定の作業だったのだ。

第3 否定の背景1(基金が特殊公務災害を否定したかった理由)

1 被災地だけの特別扱いにならないか

 実質的に基金本部が起案した弁明書の中の否定の理由では、地方公務員災害補償基金の財源は、全国の自治体の負担金によってまかなわれることを重視していた。一年度の給付が、被災3県に集中することは好ましくないという意識が感じられた。

 これは、後述する高橋記者の取材とも一致している。実際に、特殊公務災害が起きるような大震災であったにもかかわらず、平時と同様のバランス感覚が働いたのではないかという感想を抱いた。これでは、被災地に対して、大震災、津波被害はなかったものとして扱うと言われたような印象を持った。しかし、現実に津波はあった。その中で、住民の命を助けようと命の危険を顧みずに、公務をまっとうした公務員の方々が、確かに存在していたのである。本来特殊公務災害の認定を受けるべき人たちが、なんとなくお金がかかりすぎるということで、認定を受けられないということは、あまりにも恣意的な運用であり、不合理にすぎる。

2 民間との不平等感

 基金本部でも、口頭意見申述があり、若林区役所事件の大友さんのご両親と3人でプレゼンをしてきた。概ね、暖かい扱いを受けたが、最後に、気になる質問があった。

 民間の労災では、特殊公務災害のような上積みはないが、公務員だけこう言う上積み規定があるのは不公平という意見があるがどう思うかという趣旨であった。

 これには、3人が即座に反応し、公務員が、命を投げ打って公務に従事する場面があるのだから、それは不公平ではない等の反論を行った。

 ただ、その質問に、本部の問題意識が垣間見えた。これが、質問者の発問の態度が敵対的であったなら、こちらとしてはなりふり構わずに給付をしないぞという姿勢だと受け止めるだけだったろう。ところが、遠慮がちの質問だったので、なぜそういう質問をしたのかの考える契機になった。

 基金は、特殊公務災害という制度に自信を持っておらず後ずさりしながら運用をしていたようなそんな印象だった。

3 批判されるかもしれないという疑心暗鬼による自制

 その東京での口頭意見申述をしているその日に、国会で行われた高橋千鶴子議員の質問に対する総務大臣の答弁があり、後に議事録で読んだのだが、先に述べたおっかなびっくりの運用という印象は正しかったのだと思った。

 高橋千鶴子議員は共産党の議員であるが、この委員会の質問と答弁は、とても有効的に進んだ。

 新藤義孝総務大臣が、よくぞ質問してくれたという態度で答弁をしている。

 議員と行政が、問題点について認識を深め、あるべき方向を議論するという建設的な進め方は、国会の議論としてあるべき姿が示されていたと思う。

要するに、共産党というもっとも内閣や行政に批判的な政党が、きちんと予算を執行するべきではないかという質問をしたわけである。

 行政側が、執行をすることに躊躇していただけのことなので、野党の側から躊躇するなという発言があったことが、後押しになったということではないかと感じた。

 かなり意味のある国会論議だったと思われる。

第4 否定の背景2(基金が特殊公務災害を否定できた理由)

1 津波に対する無理解

 先ず、津波に対する無理解がある。

実際に津波を体験しなくても、津波の映像を見れば、逃げ場のない津波の破壊力は、容易に想像がつくはずのことである。しかし、結局はこの点が理解されていなかった。地元仙台の支部審査会でさえも、地震発生後30分を経過して、10メートルを超える津波高が発表されてから、海辺の集落に行くという無謀な公務命令であったにもかかわらず、命の危険を冒してまで避難広報をしろとは言っていないと評価しているのである。東京のオフィスでの判断の場合は、なお更津波の恐怖ということを実感できないのだろう。平気で、道路の東側は危険予想区域で、道路は危険予想区域ではないから危険の程度が異なるかのような判断がなされたのであろう。

津波は、結局は、高台に逃げるしか、命が助かる方法はない。このことが理解されていなければ、その後の判断も実態を反映しないものとなるだろう。

基金本部の判断は、津波の実態を知りえないからこそくだされた判断だったのではないかと思われる。

2 災害時の公務員の姿勢に対する無理解

 家族や友人に公務員がいれば、震災のような大規模なものに限らず、なにかあれば、自分の生活や家族を投げ打って、公務を遂行する姿を見ているだろう。もしかすると、公務員がそのようにイレギュラーな仕事をしていることを、実際に聞いたことがなければ、理解できないかもしれない。

 被災地でも、震災後、自分の生活や家族を投げ打って公務を遂行している公務員を住民は目にしているはずなのであるが、なかなかその意味を理解している人は少ないかもしれない。子どもや妻や両親や兄弟が、今どういう状態なのかわからず、食料もライフラインも立たれている我が家を空けて、県庁等の役所に泊まり込んでいたことの精神的負担を思い描くことができる人たちはどれほどいるだろうか。

 平時であっても、特に海辺や農村の地域では、家事や交通事故があった場合は、それが深夜や早朝であっても、担当の公務員が役所などに駆けつけている。小さな地震でも、夜中に水門を閉めに行く人がいる。ダムの管理者は、台風が来ると管理のために家に帰れない。公務があれば、24時間365日対応するのが公務員なのである。

 なるほど、被災地から離れたところ、都会の中にいれば、なおさら、公務員が特殊な任務を課されていたり、それに対応する心構えを持つ人たちだということは理解できないかもしれない。

 普通の勤め人と同じだという感覚であれば、警察官や消防官ならばともかく、役所や学校等の公務員が命をかけて住民の避難を誘導したということはなかなか理解されないものかもしれない。仙台市の支部審査会はともかく、基金本部が公務員のこのような性質を前提としないで判断してしまったという背景があったのではないだろうか。基金本部の姿勢として、たまたま被災した人を、特殊公務災害から排斥しようというものが感じられた理由はそこにあったと思う。少なくとも今回の被災地の公務員は、たまたま被災したわけではなく、命の危険を顧みないで公務に当たったことは間違いのないところである

第5 流れを変えた人々

1 高橋鉄男記者(河北新報)

 東日本大震災の公務災害に対する私の取り組みは、河北の高橋鉄男記者から持ち込まれた。震災から1年半がたとうとしていたころ、電話がかかってきて、特殊公務災害の記事を書くので、取材をするということだった。私は、震災直後から、私ができることということを探し、そのひとつが、震災関連の労災について、出来る限り情報提供をしていたことがある。このことから、取材の申し込みがあったようだ。実際は、その時まで、特殊公務災害については、実務的にはほとんど何もわからなかった。しかし、震災後のほとんどすべてが、わからないということだらけだ。自分で調べて、対応を発信していかなければ、何もできないと感じていた。このため、あまりわからないけど一緒に勉強させて欲しいということを率直に告げて、取材を受けることとした。この時の二人の勉強の成果が記事になっているのだが、現在は、新聞社のホームページには記事は掲載されていないようだ。検索して見つけた記事がこちらである。

 その時、彼は、特殊公務災害と、もう一つ、特殊公務災害ではないが、震災時の公務災害の事件を追っていた。南三陸町に住む、小学校の先生である村田敏先生が、学校事故で傷害を負い、病院で手当をするため、3月11日は年休をとっていた。病院の処置が終わり、午後には、南三陸町の自宅に戻っていた。そして地震が発生した。一定の震度を超えた地震が発生した場合、教師は、休みの日でも学校に行かなければならないという学校の内規があった。内規に従ったのならば、村田先生も勤務している学校に向かったことになる。しかし、地震時に、自宅にいた事は確認されているが、本当に学校に向かったというところを見た人はいなかった。ただ、地震発生後に、避難を呼びかけていた消防団員の方が、いつも玄関先に置いていたバイクがなくなっていることをはっきり覚えていた。

 遺族は、村田先生が、内規に従って小学校に向かって被災した、通勤時に津波に巻き込まれたのであるから、通勤災害であると、公務災害を申請した。

 東日本大震災の公務災害申請は、他の事件では、通常は1ヶ月余りで認定されていた。ところが、村田先生の申請は、1年以上を経過しても結論が出ていなかった。地元の教育委員会も、認定されないのではないかと、仮設住宅に住む先生の父親を訪問したとのことであった。

 この件に対して、高橋記者は、丹念な取材をもとに、事実に徹した記事を書いている。記事は、これが公務災害であると認められないということは、村田先生が職場に向かったということを否定されることになるということを意味する、「申請1年、報われぬ誇り」という大きな見出しを掲げていた。これが、東日本大震災の公務災害、特殊公務災害の認定活動の原点であり、本質である。

 高橋記者は、丹念な取材だけでなく、村田先生のお墓参りに行ったり、仮説生活を余儀なくされている先生の父親の手伝いをしたりと、人間関係をきちんと形成し、心の交流をはかり、その中でテーマを醸成していった。素晴らしい取材だった。

 高橋記者から、村田先生の労災を教職員の労働組合が取り組んでいると言われ、顔つなぎをしていただき、支援を始めたのが、私の東日本大震災の公務災害事件との最初の関わりであった。

 この新聞記事に私のコメントを載せていただいたことから、弁護士を頼まないで申請をしている遺族や、他の弁護士からも、問い合わせが来るようになった。こちらの勉強の成果と情報は、躊躇なく提供した。また、相手の持っている情報も、貪欲に収集した。その結果、基金本部の姿勢がはっきりと把握でき、具体的な認定のための武器が増えていった。東日本大震災の、特殊公務災害の案件は、ケースごとの個別問題ではなく、基金の姿勢だということをはっきりすることができた。

 東日本大震災の案件は、人と人とのつながりの中で解決していったということが特徴だと思う。このつながりの中に、参加することができたことは、私の財産であるが、これは、まさしく高橋記者から始まった。

 彼は、基金本部にも果敢に取材を敢行し、貴重な情報を提供してくれた。若林区役所の事件の認定に向けた活動に大いに役立つこととなる。

 高橋記者に限らず、この問題では、いろいろなマスコミの皆さんが、熱心に取材をし、記事にしていただいている。若林区のケースは、認定されたという記事がロイターの日本語サイトにまで掲載された。

2 村井嘉浩地方公務員災害補償基金宮城県支部長

 勝手に、名前を出させてもらうが、公人ということで、ご了承頂きたい。

ところで、上の南三陸町の村田敏先生の公務災害は、震災後1年半を過ぎた平成24年10月3日に認定された。この認定は、その時点までの基金本部の認定手法とは、全く違ったものになっている。後の特殊公務災害逆転認定の認定手法への転換点だった。

なぜ、ここで、認定手法が転換したのだろうか。

 一つは、今述べたマスコミの力がある。高橋記者だけでなく、村田先生の事例は、河北新報をはじめとしてメディアで取り上げられた。弁護士と労働組合が、棄却後に向けて準備を開始している、それに対して、同僚やPTAが、陳述書作りを始めているということを報じた新聞社もあった。

 一つは、住民の声が結集されたということがある。通常、過労死の事件であっても、陳述書を作ってもいいという人は、数名集まれば多い方だ。会社や上司から睨まれることをおそれるからだ。ところが、村田先生の案件は、こちらが呼びかけもしないのに、自発的に、私も陳述書を書きたい、書いてきたということで、わずかの期間で、26名の陳述書が作成された。しかも、内容も的を射て、効果のある陳述書であった。とても素晴らしい陳述書ばかりなので、きちんと記録を残してもらおうと提案したところ、綺麗な冊子に仕上げていただいた。住民の結集の象徴ではあるが、その大事な役割を果たしていたのが、宮教組であることも、よく表しているエピソードだと思う。

 ただ、これらの動きは、どこにむかったのか。誰が、住民やマスコミの想いを受け止めたのか。私は、これが村井支部長だと確信している。

 申請してから1年以上も結論が出なかったのだが、この期間、おそらく、村井支部長と基金本部とのあいだで、壮絶なやりとりが続いたのではないだろうか。基金本部は、職場にいたわけでもない、目撃者もいないのだから原則として棄却するべきだと主張しただろう。しかし、合理的に考えて、公務員が職場に駆けつけたことは間違いないから、県民を代表して、毅然と公務員の姿勢を主張し、非該当の決定書の裁決に抵抗した支部長のご努力があったのではないだろうか。

 私がこう考えることは理由がある。大きな労災、国家公務員の災害裁判で、2件とも、村井さんには恩義を感じることがあった。ひとつは県議としての村井さんに、もう一つは大きな裁判で公務員の遺族側が勝訴した裁判で、村井さんは控訴しなかったということ。また、今回も、南三陸町の事件で、遺族に対して、棄却の際に、手紙を書いている。特殊公務災害を自分の名前で棄却することは本意ではないと明確に伝わる内容だった。心のこもった手紙であった。だから、上のように考えることは、私としては自然なことだった。東日本大震災で亡くなった公務員の遺族や支援者の方々に対して、「特殊公務災害を非該当にして一番怒っているのは村井さんだ。私は村井知事の意志を体現している、私たちの背後には村井知事がいると考えてやっている。」とはっきり述べ続けていた。違っていたら、勝手に名前を出してごめんなさい。

 村田先生の事件は、大震災の特殊公務災害の認定を根底から覆した。この当時、既に、申請されたほとんどの事例で、特殊公務災害の非該当の処分が実質的に決められていた。津波という多くの人を一瞬で飲み込む自然現象の中、目撃者がいないという理由で棄却された人も大勢いた。見ていないのだから、公務員が何をしていたかわからないではないかというのである。しかし、公務員はいざとなったら、我が身を投げ打って住民のために公務に従事する。このことが、否定され続けていた。村田先生の認定は、そのさなかの、公務災害認定だった。誰も見ていなくても、およそ公務員は、公務を全うするものだとことが認められた。全ては村田先生の認定から始まったのである。

もし私の想像通り、村井支部長のご努力があったならば、基金本部を変えたのは、村井支部長である。最大の功労者と言えるだろう。

ただ、県民やマスコミが、何も声を上げず、何も行動をしなかったら、いかに村井支部長とはいえ、孤立していただろう。高橋記者をはじめとするマスコミや労働組合、PTAや地域の支援者が活動して、一人ひとりが自発的に行動して、声を上げていったことが、支部長の努力を支えていたと思う。どうして、我々は、活動し、声を上げたのか。端的に言えば、亡くなられた村田敏先生のお人柄だと思う。「あの真面目な先生が、子ども思いの先生が、学校に駆けつけようとしないわけがない。これが否定されるのは、間違っている。」と、そういう気持ちだった。村田敏先生のご功績だということも強調したい。

3 宮城県支部審査会

 宮城県支部審査会は、支部長名の非該当認定をことごとく取り消した。前代未聞の事態である。審査会の認定同様、論理性があり、実に明快で、かつ、実態に即した判断をしている。

 東日本大震災の事例以外の運用と、一部の支部審査会を見ていると、第三者機関とはいえ、本部の判断を鵜呑みにせず、きちんと自分たちの頭で考えるという当たり前のことが、なかなかできない状態にあるようだ。その中で、基本を貫くことは、おそらく難しいのだろう。当たり前のことをやることに、勇気が必要な世の中なのかもしれない。宮城県支部審査会があって本当に良かった。すべてが、本部を経て裁判になるのでは、遺族の負担も弁護士の負担も計り知れなかったことだろう。

 後に基金本部の補償課長名で、東日本大震災に限って、一度棄却された事例でも、再申請をすることを認めるという通達が出たが、宮城県支部審査会の取り消し事例が、影響を与えていることが、その理由に挙げられている。もし、宮城県支部審査会の委員が、別のメンバーであったら、このような逆転認定は起こらなかったかもしれない。

4 高橋千鶴子衆議院議員

 若林区の大友純平さんは、地震発生時、かなり内陸にある若林区役所で勤務をしていた。間違っても津波が到達する場所ではない。ところが、地震発生から30分を経過し、海辺の集落である荒浜地区に、広報車で避難広報に行くことを命じられた。

 その時は、10メートルを超える津波がくるということを気象庁は発表ていた。津波は、いつ来るかわからない、来る津波であれば30分を経過している当時、いつ来てもおかしくない状態だった。なぜこのような無謀な指示がなされたか。区役所のマニュアルは、津波高は最大でも110センチメートルだった。ところが、この想定を覚えている人はいなかったようだ。いつもの訓練通り、110センチメートルの津波を想定し、道路から避難広報を呼びかければ、安全だと判断したフシはある。荒浜地区は、深刻な津波被害を経験している人は少ない。常日頃、津波の危険があるという警告も、多くの人たちが無視していた。この時も、かなり多くの人が、地区内にとどまっていた。実際は、大友さんともうお一人の方は、地区内に降り立って、避難をアナウンスしていたが、絶叫している状態だったようだ。このアナウンスを聞いて、その深刻な様子から逃げなければいけないという気持ちになり、逃げて助かった人が証言している。

 しかしながら、仙台支部長名での判断は、特殊公務災害非該当というものだった。申請人であるご両親は、仙台支部審査会に審査請求をして判断の取り消しを求めた。その後、私に代理人を依頼した。当時の記録等については、純平さんのお兄さんが、かなりの資料を収集していた。その点ずいぶん楽をさせていただいた。さらにあらゆる資料が、特殊公務災害であった事情を示しており、認められないことがおかしいということで、これは認められるだろうと確信していた。おそらく、本部は、一般的には否定しながら、具体的な判断は支部審査会に委ねたのだろうと思っていた。村田先生の認定がでたあとだったので、こちらには、村田先生の実績があるという後押しもあった。論理的にも負ける要素はなかった。支部審査会の口頭意見申述のご両親が述べられた口頭の意見は見事なもので、立ち会った職員も涙を堪えられなかった。

 ところが、蓋を開けてみれば、仙台支部審査会の判断は、審査請求棄却だった。その理由に愕然とした。こちらの意見書や反論書の論理にはなんら答えず、それまで論点とならなかった、「命の危険を冒してまで避難広報をしろとは命じていない」という理由で、命に高度の危険がある公務とは言えないとしているのである。地震から30分を経過して海に向かわされたのである。津波が迫っていてもおかしくない。それにもかかわらず危険な公務ではないとすることは、さすがの基金本部も言っておらず、仙台支部審査会独自の理由であった。これを読んだ日、私は一睡もできなかった。あまりにもむちゃくちゃだ。それを被災地の委員で構成される仙台市支部審査会で述べられたことに、無力感と喪失感を抱いた。ご両親もこれを読んで、当初絶望されていた。しかし、勝ち目がなくてもやらなければならないときはある。それまで、逆転認定をしたということを聞いたことがない基金審査会へ再審査請求をすることとした。私は、行政訴訟を覚悟した。

 東京での意見申述の日程が決まったあたり、一本の電話が事務所につながった。国会議員の秘書を名乗る男性からの電話だった。この問題を国会で取り上げるかもしれないので、話を聞きたいとのことだった。

 これには先行する話が有った。ご両親が、知り合いを通じてある市議会議員に話を聞いてもらい、その際にご両親が議員に資料一式を提出したが、なぜか、その議員は、一部だけを誰かに見せて、「あなたの意見は不完全だ。」と、わざわざ、私の事務所に電話をかけてきた。また、支部長名義が奥山市長の名義なので、奥山市長に謝らせるとか、わけのわからないことをしたようだ。誰も喜ばない、利益にもならない行動である。言いがかりにもかかわらず、奥山恵美子市長は、言い訳もせずに、真摯に受け止めたとのことで、誠実な方だと頭が下がる思いだった。

 国会議員の秘書から電話があった直前にこのようなやりとりがあった。このため、国会議員サイドから連絡があったという嬉しい驚きがあった反面、不信感が半ばしていたという事情もあった。案の定、国会議員さんの持っている資料は全くの不完全というか、大事な資料が致命的にかけていたので、こちらから資料をファクシミリするとともに、事案を整理して、問題点などをレポートしたものを送った。それまでの経緯なども含めて、こちらの心情を秘書さんは、すぐに理解してくれた。救われた気持ちになった。

 その後、国会議員さんが直接話しを聞きたいと言い出して、私が東京に行く日程を調整していたら、なんと議員さんの方でこちらに来るということになった。急遽、ご両親にも連絡して、同席してもらい、話をすることになった。私が秘書さんと事務的な手続きを打ち合わせていたら、直接連絡を入れていただき、私のフェイスブックのお友達に国会議員の先生が加わることとなった。

高橋千鶴子先生は、特殊公務災害についてもよく勉強されていて、私の説明もほとんど必要ないのではないかと感じるほどだった。ただ、若干の議論になったことを覚えている。高橋先生は、特殊公務災害の「高度の危険」という要件のハードルが高すぎるのではないかという基準を問題にしようとされていた。私は、大友さんの事案は、基準を動かさなくても、十分認定されるし、認定されなければならない問題なのだということで、力説してしまった。先生からたしなめられたのは、国会議員は立法行為を行う立場であり、基準を問題にする立場だ、弁護士は、法律を執行する立場だからそうお考えになるのだろうということだった。それは正しい整理なのかもしれない。しかし、その時は、私には、大友さんの事案を特殊公務災害と認定されることだけが頭にあり、基準が変わるのを待ってはいられないという短絡的な考えから抜け出すことは確かに困難だった。しかし、議論もありながらも、とても楽しく、事情聴取が終わった。

 国会質問は、奇しくも、私と大友さんの3人が東京の基金本部で口頭意見申述をおこなった2月26日に行われた。時間の関係で、傍聴することはできなかった。

 これが、前述のように圧巻の国会質問だった。議員の質問が的を射ているだけでなく、それに答弁する新藤義孝総務大臣を始め、参考人の方々が、高橋議員の質問を歓迎し、建設的に何かを作り上げていくという、実に身の入ったやりとりになっている。もちろん国会のホームページにも掲載されているが、敬意を評して、日本共産党の高橋千鶴子先生のホームページアドレスの方を記載しておく。

5 基金本部

 大友さんの事件の口頭意見申述当日、基金本部は、これまでにない温かみのある対応を見せた。お悔やみを頂いたことは初めてかもしれない。こういう当たり前のことが行われるだけで、遺族としてはほっとするところである。ただ、ほっとばかりもしていられない。なんとかしようという必死さがあった。訴訟になったら、遺族の負担も増える。人を信じたいという気持ちも残っていた。

 自分でも読み上げる原稿を用意したのだが、大友さんのご両親の意見があまりにも的を射ていたので、それを聞きながら、急遽方針を変更した。当初の私の原稿で、ご両親の意見と重複している部分を大胆にカットした。言わなければならないことは、意見書で既に提出していたということもあり躊躇なかった。大幅に浮いた時間を、大友さんに用意してもらった津波やそのあとの状態の写真パネルの解説や、口頭意見申述の際に、基金が作成した資料の地図などを用いて、視覚的に訴えることに力を注いだ。委員の反応も良かった。やるだけのことはやったという充実感はあった。しかし、どんなに論理的な説得をしても、なかなか判断が覆るということはないことは、十分認識している。私は、私の意見申述の最後に、「この事案は、ここで認められなくても、必ず特殊公務災害が認められる事案です。」と言って、裁判で、世論を味方に堂々と戦う旨、宣言した。

 その後の審査会委員の方々の質問に丁寧に答えていたが、質問の内容についても、いろいろとご配慮を頂いたことが感じられるものだった。ご両親の意見申述を評価していただいたような発言もあったし、実際、ご両親のお話を聞いて涙を浮かべられる審査委員もいらっしゃった。先に述べた、特殊公務災害は公務員しか認められないが、民間との関係で不公平だと思わないかという質問がなされたが、その質問も、いろいろとこちらの心情に配慮して、慎重に言葉を選んで行われた。もちろん、こちらは、公務員だからこそ、自分の命を投げ打っても住民を守る公務を課されたと反論した。頷いて、聞いていただいた。仙台の支部審査会とは全く違う雰囲気だった。

 その後、基金本部は、補償課長名で、宮城、岩手、福島の各県と政令指定都市仙台の基金支部に対して、平成26年5月1日付で、一度棄却された事案でも再申請を受け付け、判断しなおすということを通達した。裁判で言うところの再審であるが、これは公務災害事案も裁判同様厳しい要件があるが、これを東日本大震災の事案に限って緩和するというものだった。民間の場合は、認定基準の変更に伴い、自庁取り消しと言って、労働基準監督署長が非該当処分を自主的に取り消し、認定しなおすのだが、地方公務員の場合は、この制度がないのだろう。また、基準が変更になるわけではないので、妥当な措置であろう。よく考えられていると思う。

 間違いを改めるということは勇気が必要だろう。私は、率直に経緯を評したい。

 各県で、未申請者、棄却された申請者に対して、申請、最新性の働きかけが始まったとのことである。

 6 遺族

 なんといっても、申請者たる遺族の頑張りがなければ、何も始まらない。遺族には頭が下がる。常に、仲間を気遣っていた。申請しない遺族を心配していた。最新性が受け付けられ、それも解決した。だいたい、地方に行けば行くほど、公務員の遺族は、自身も公務員だったり、身内に公務員が多い。その中で、震災請求など、異議申し立てをするということは、それ相当の決意が必要だったと思われる。

 南三陸の遺族の集会には、旧歌津町まで、仙台の大友さんのご両親も駆けつけて、エールの交換が行われた。それぞれが、まだ、自分の認定がされていないのに、相手のことばかり気にしていたのが微笑ましかった。

 弁護士なんて、遺族によって動かされるものである。今回弁護士は、情報交換を積極的に行い、弁護団以外でもチームを作ったように組織だって動いていた。中でも、南三陸町の事案では、大勢の遺族の取りまとめまで行った東忠宏弁護士は、たいへんご苦労された。貧困問題で忙しい中、村田先生の事案、南三陸町の事案では太田伸二弁護士も、積極的に活躍された。

第6 何が認められたのか

 できるだけ、まだ、特殊公務災害の申請や再申請をしていない遺族の参考になるように言葉を選んで整理する

1 被災公務員が危険でないと思っていても特殊公務災害

 危険は、客観的に判断するということが、徹底された。基金本部の裁決書でも、善行だとか、本人が安全だと思ったとかは、全く考慮されていない。極めてシンプルな形になっている。

 防災対策庁舎、役場、病院等々、津波高10メートルを超える場合、被災地のあらゆる建物でも、命の危険がある。

2 被災場面の目撃者は不要

 防災計画書で公務に従事していることになっているとか、津波の前の状況、その時の目撃者など、公務に従事していて被災したことが合理的に判断できれば足りることとなる。

3 公務の内容は、災害による被害をなくすための活動

 実際に避難誘導をしているだけでなく、避難誘導のための情報収集、避難の効果を上げるための水門の閉鎖、また、病院などにおける体が不自由な方の2階から3階への避難もこれにあたる。

4 公務により逃げ遅れれば足りる。

 基金本部も、その危険な公務が命じられた時点で、その危険性を評価している。一度、危険な公務に着手して、その危険が現実化して被災にあった以上、被災した時点では既に公務が終了し、安全な地点に向かう途中で被災しても公務災害だということになるはずだ。その時という極限的に捉えるのでは、津波の場合は妥当ではなく、大きく危険を判断する必要がある。

5 危険は、客観的に判断する

 その時の客観的に予想された判断で、危険性を判断する。過去の想定にとらわれて現実より低い想定を考えない。

6 一般的な法規、防災計画、内規、マニュアル等、その公務が抽象的に命じられていればたり、具体的な公務支持がなくても特殊公務

 警察官や消防官に多いが、当初の公務内容から非常事態を受けて、避難誘導活動をしていた場合も、もちろん特殊公務である。

第7 すぐに検討して実行に移さなければならないこと

1 先ずは、避難誘導基地を安全な場所を設定するということである。

 その時入手できる情報は限られている。それほど多くの情報源は活用できないことが明らかになった。また、必要な人数もそれほど多くない。防災対策庁舎などの緊急時の施設は、くれぐれも津波被害のおそれのない小高い山に、防災無線を作動させる設備と最低限の情報収集設備があれば足りる。決して危険区域にはつくらず、公務員の安全を確保して、避難誘導の実質を上げなければならない。ここが、壊滅すれば、その後の情報発信も不能となる。

 また、公務員が、危険な場所から、避難誘導センターに引き上げることによって、住民も危機感を持って高台に逃げることにつながる。

 津波は、高台に逃げる他ないという意識を徹底する必要がある。

 現状、海辺の自治体の避難誘導拠点を、早急に見直し、応急施設を作る必要がある。

2 想定外を想定する

 例えば若林地区での震災前までの想定は、津波高が最大で110センチメートル、マグニチュードも最大で8.0だった。今回の津波高は10メートルを超えるもので、マグニチュードは当初8.8で後に9.0と修正された。いずれにしても、想定を超える規模のものだった。それにもかかわらず、想定した災害規模のもと策定された避難広報活動を実施してしまったという問題があった。

 この問題は、日頃、どの程度の規模の地震や津波が起きるか、その想定の範囲とは何なのかということが明確にされていなかったということから起きている。

 想定の数字を明確にすることが大切である。そして、想定を超える規模の震災の場合は、これまでの防災計画を修正しなくてはならない。想定を超えた場合の想定、計画を策定する必要がある。個人的な意見としては、通常の想定を超える規模の震災の場合は、何が起こるか予想し得ないのであるから、職員の人名を優先するべきだと考えている。このためにも、職員の安全を確保しながら行いうる避難誘導活動を早急に確立する必要があると思われる。また、住民に対する意識付けも、想定を超えるという意味をしっかり認知させる必要がある。要するに、今回のような想定を超えた地震、津波高の場合は、公務を解除し、職員を高台などに避難させることができるようにするべきだと思う。

3 津波の危険想定を再検討する。

 これまでの地震被害の想定は、地震そのものによる被害の想定が主であった。津波の被害は、あまりページを割かれていない。貴重な経験があるのだから、この経験に基づいて、津波被害を想定しなおすべきである。

 例えば、南三陸町などは、防潮堤があるということが、被害想定を低く見積もらせる理由になっている。しかし、今回の津波の教訓は、想定を超えた大規模津波の場合は、防潮堤は役に立たないということである。前後に移動するエネルギーが、防潮堤によって上昇させるエネルギーに変化させ、津波高を高くした可能性がある。また、山にはさまれた谷状の地形も津波を高く、奥の地域まで到達させるようにんになっている。

   今回、被災した地域は、ある程度のサンプルを得ることができた。しかし、被災地域以外の津波の想定はどのようになっているのか、見直しがきちんと行われたのか、大変心配である。

まとめ

 私たちは、特殊公務災害が認められたことで安堵するばかりではなく、これから起こりうる大震災に、尊い犠牲から教訓を引き出し、新たな犠牲を極力起こさない努力をするべきだと考える。

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