2616.12.6(火)
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小林茂
2016年12月6日
「知事抹殺の真実」の福島市上映(12月12日)を前に元知事・佐藤栄佐久さんが6日夕、あの事件以来おそらく初めてであろう県庁登庁、そして県政記者クラブでの会見に臨んだ。 栄佐久さんにとって、10年の歳月が経ったとはいえ、また、目の前の記者たちも世代交代で変わったとはいえ、自分の古巣に戻ってきたような感懐があるのだと思う。挨拶でも感慨深げにそのことに言及した。 挨拶の後、福島民友、朝日、河北の記者から質問があった。そして、監督の安孫子さんによる取材、制作の打ち明け話。 その取材のなかで地元メディアに映像を借りようとしてもことごとく拒否され、完成にこぎつけるのが無理と思ったこと、窮地を救ってくれたのが共同通信だったこと。 それを聞いていた栄佐久さんの表情が一変した。 それまで、メディアとはお互いに友好関係が続いているとして、制作責任者の三田公美子さんがこの事件に関してマスコミの責任に触れた発言をした場面をやんわりと制し、言葉を選びつつ、話していたのだった。 かつて、知事当時、小泉政権の看板だった三位一体改革の意義、本旨について考えをお聞きし、時には県庁職員の危機管理意識、親方日の丸体質に関して激しく議論を交わしたことを思い出す。もともとは厳しく激しい気性の人なのに、この会見では、にこやかに温厚な語り口の、そんな場面だった。 「あの当時の記者なら冤罪だとわかっていたはず。とりためた映像を制作に当たって提供できない、そんなメディアだったらどうしようもない、ではないですか。そんなメディアなんですか!」と。 栄佐久さんにとって、おひざ元のメディアは、まだ勧善懲悪、ジャーナリスト精神が残っている、わかってくれている、そういう思いが強かったのだろう。 だから、監督の話している最中に、そんなことがあったのか、と問いかけ、自ら記者たちに問題意識は持っていないのか、と語りかけた。 何のために記者の道にはいったのだと。国策捜査であろうと、福島のメディアだけは、自分の気持ちをわかってくれている、冤罪ということをずっと思ってくれている--と、そう信じてきたであろう、栄佐久さんの無念の胸中が伝わってくるような気がした。 いま、地元各社の幹部席に座っている当時の記者の皆さんはこの場面をどのような思いで受け止めただろうか。