2015.11.27(金)
これだから刑事裁判は分からない。 検察は上告理由を見つけられるか。
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オウム菊地直子元信者に無罪判決 東京高裁
NHKニュース
2015年11月27日
20年前に起きたオウム真理教による東京都庁の郵便物爆破事件で、殺人未遂のほう助の罪に問われた菊地直子元信者(43)に、2審の東京高等裁判所は、1審の懲役5年の判決を取り消し、無罪を言い渡しました。
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元オウム菊地直子被告、逆転無罪判決 捜査当局の強引な起訴とメディアの誇大報道を検証
江川紹子の「事件ウオッチ」第42回 2015.12.09
東京高等裁判所の菊地直子被告への逆転無罪判決は、巷間かなりの驚きを持って受け止められたようだ。
有罪率が99%を超える日本の刑事司法にあっては、ただでさえ無罪が少ないうえ、一審有罪となった被告人が控訴審で逆転無罪となる道は、さらに厳しい。オウム事件では、起訴された教団関係者が192人に上るが、無罪判決は2人目。しかも、彼女は長年地下鉄サリン事件の犯人として特別手配されていた人物である。
「菊地被告は麻原の側近中の側近」という事実無根
事情を知らない人が、判決を意外に思ったとしても不思議ではない。けれども、いくつかの報道・情報番組の司会者やコメンテーターが、「亡くなった方、後遺症に苦しむ方がたくさんいらっしゃるのに……」などとして、不満を露わにしていたのには違和感を覚えた。
オウム真理教がいくつもの凶悪犯罪を引き起こし、多くの人を殺傷したのは事実であり、これはいつまでたっても許されるべきことではない。だが、刑事裁判は起訴された事実について、被告人個人の責任を判断する。そして菊地被告は、地下鉄サリン事件などの大量無差別殺人にかかわったわけではない。
産経新聞電子版でも、判決に憤る「元捜査関係者」の言葉として、「菊地元信者は麻原彰晃死刑囚の側近中の側近で、女性信者の頂点にいたとされる。計画を知り得る立場にいたことは推認できる」などと書いていて、びっくりした。新聞がこんな嘘を書いてはいけない。
教祖の周りには、妻や娘のほか複数の女性古参幹部がおり、お気に入りの若い女性信者もいた。その中から少なくとも3人の女性に、6人の子どもを産ませている。これ以外にも、好みの若い女性を「ダーキニー」と呼び、宗教行為と称して性行為の相手をさせた。信者には恋愛を禁じておきながら、教祖自身は性的に実に放縦であった。
だが菊地被告は、そうした特別な女性たちとは違い、教団PRのために出場するマラソンの練習に明け暮れたり、土谷正実死刑囚の下で化学実験の下働きをしたりする立場だった。一連の事件で起訴された教団関係者の中では、末端信者の部類といえるだろう。20年前、大物幹部らが続々逮捕されていた時期に捕まっていれば、メディアに名前が大きく載ることもなく、刑事責任を問われるのは麻酔薬の密造に関する薬事法違反くらいで済んだのではないか。 事件から20年もたち、当時のオウムの実態や事件の詳細については多くの人が忘れ、若い人たちはほとんど知らない。そうした点を整理しつつ、菊地被告は何を裁かれ、何が争点となり、どうして無罪となったのかを、視聴者や読者に冷静に、そして正確に伝えることが、本来マスメディアの役割のはずだ。
「罪の認識があったから逃げた」のか?
それはともかく、多くの人々が釈然としない気持ちになったのは、17年間も逃走を続けていたのに無罪になってしまっていいのか、という点のようだ。事件の被害者の内海正彰さんも、「長年逃亡生活を続けており、罪の意識は十分持っていたはずです。無罪の判決は、その事実を法廷という場でしっかりと立証できなかったということで、誠に残念なこと」とコメントしている。
まず押さえておかなければならないのは、犯罪の疑いをかけられた者が逃げ隠れしても罪にはならない、ということだ。逮捕・勾留されている被疑者や服役している受刑囚の脱獄・脱走は処罰の対象になる。しかし、身柄を拘束される前に逃げたり隠れたりした場合の罰則規定はない。有罪判決の場合に、逃亡したことが悪い情状として働き、量刑に影響することはあっても、逃げ隠れしたこと自体が罰せられたりはしない。
ただし、被疑者が逃げ隠れするのを助けた者は、罪に問われる。そのため、彼女が特別手配されている者と知って一緒に生活していた男性は、犯人隠避罪で有罪判決を受けた。これは、被疑者を捕まえて裁判にかけるという国家の刑事司法作用を妨害したことが罪とされるためで、菊地被告の無罪が確定したとしても男性の罪は変わらない。
菊地被告は、薬品類を運んだ時点では、「何に使うのか知らなかった」と述べている。薬品の運搬を指示した中川智正死刑囚も、彼女には目的を告げていないと証言した。それでも、逃げている間に事件に関する報道を見聞きし、自分が運んだ薬品類で爆薬がつくられ、事件が起き、内海さんがひどい怪我をしたことを知った。当然、「罪の意識」は生じたろう。
ただその時は、自分の運んだ薬品を使って人を殺傷する事件を起こす認識がなければ無罪になる、という法的知識は持っていなかったのではないか。たとえ使用目的についての認識がなくても、捕まれば処罰される、という意識で逃げていたのであれば、「逃げたこと=事件当時に認識があった」とはいえない。
また、土谷正実死刑囚の下で、麻酔薬の密造など化学関係の仕事(教団では「ワーク」と呼んでいた)に従事していた彼女は、地下鉄サリン事件で特別手配されていたことから、自分が知らないうちにサリン製造にも関与していたのではないか、と思ったようである。加えて、菊地被告の場合、警察・検察・裁判所に対する強烈な不信感があり、自分の言うことなど信じてもらえないと思っていた。
同居男性と出頭について話をしたことはあった。だが、そこには曲がりなりにも生活があり、それを断ち切って出頭するには、よほど強い意志が必要だったろう。出頭すべきだったというのは正論であるし、彼女にそれができなかった弱さを被害者が責めるのは至極もっともである。
ただ法律は、人間がそういう弱さを持つ存在であるという前提でつくられているからこそ、刑法に「逃げ隠れ罪」を書き込まなかったのではないか。
判決の妥当性
今回の判決の内容は、実にまっとうなものだと思う。
この事件は、そもそも起訴自体がかなり無理筋だった。詳細は、起訴直後に書いた拙稿「オウム事件・菊地直子起訴 これでいいのか警察・検察」に書いた通りなのだが、ここでも簡単に経緯を記しておく。
彼女は、2012年6月、地下鉄サリン事件についての殺人及び同未遂容疑で逮捕された。続いて猛毒のVXを使った殺人・同未遂事件で再逮捕。さらに、都庁小包爆弾事件で再々逮捕された。
しかし、サリン事件とVX事件は、関係者の裁判でも彼女の名前は出てこない。逮捕の時点で、捜査機関はこの両事件で起訴できないことはわかっていただろう。それでも警察は彼女を逮捕し、上限である20日もの勾留がついたが、案の定不起訴になっている。
爆弾事件は、捜査の結果、爆発物を製造し、それを人の殺傷に使うことがわかったうえで原材料の薬品を運んだといえる状況にあれば、検察は彼女を事件の共同正犯としては起訴したはずだ。しかし、それはいくらなんでも無理だった。それでも、殺人未遂と爆発物取締罰則違反(爆取)の幇助犯(犯罪を手助けした者)として立件した。
彼女の後に逮捕・起訴された高橋克也被告に対しては、猛毒のVXを使った最初の殺人未遂事件での起訴を見送るなど、検察は慎重な立件をしている。しかし、地下鉄サリン事件などの重大事件に関与していた高橋被告と異なり、菊地被告の場合はほかに立件できる事件がなかった。かといって、長らく特別手配していた者を不起訴で放免するわけにはいかないという警察・検察の事情があって、かなり無理を重ねて起訴にこぎつけたのではないか。
裁判を傍聴していても、彼女が爆弾づくりを知っていたと認定するのは相当に無理があるように感じられた。一審の裁判官や裁判員たちも同様だったらしく、爆取では有罪としていない。ところが、推認や推測を重ねることで、何か危ないものをつくって人を殺傷する計画があるということはわかっていただろうと、殺人未遂罪の幇助罪で有罪を認定した(この一審判決がどのような飛躍した論理で結論を導き出したのかをお知りになりたい方は、こちらの拙稿をご覧ください)。
その殺人未遂罪の幇助罪も、今回の控訴審判決で成立しないという判断になった。各段階を踏むごとに罪名がどんどん落ちていき、そして何もなくなったのである。このプロセスを逆にたどってみれば、当初の警察段階での報道ぶりがいかに誇大でデタラメなものだったのかがわかるだろう。
法的責任と道義的責任
私も、彼女になんら道義的責任がないとは思わない。彼女は教団に取り込まれ、違法活動にも使われた。いわばオウムの被害者であると同時に、教団の違法活動を支える化学部門の一員として活動していた加害者的側面があった。本件でも、彼女が薬品を運ばなければ、あのような爆弾事件は起きなかった。その重大な結果に対して、彼女には道義的責任がある。
ただ、司法やメディアにおいて、実態にそぐわない過大な責任を追及されている状況では、防衛本能や被害者意識が働いて、自らの責任をじっくり考える心理状態にはならないのではないか。
裁判中、ほとんど感情を表に出さなかった彼女が、一審の被告人質問で一度泣いたことがある。裁判長の被告人質問の時だった。私のメモにはこうある。
裁判長 「真実を曲げられるおそれがあるから、出頭できなかったと」
被告人 「はい」
裁判長 「どういうふうに真実を曲げられると?」
被告人 「私が今、直面していることです。そのままです(泣く)」
それは私には、自己憐憫の涙のように見えた。
そして、今回の控訴審判決の時でも、彼女は涙を流した。裁判長の正面で無罪の主文を告げられた後、弁護人席の前の被告人席で判決理由を聞きながら、彼女は静かに泣いていた。そして判決文の読み上げが終わり、再度正面に立った彼女に対し、大島裁判長はこう語りかけた。
「法律的には無罪です。ただ、あなたが運んだ薬品で重大な犯罪が行われ、(被害者が)指を失うという結果が生じている。それ以外のワークについても、当時はわからなかったとしても、教団の中でやってきたことをきちんと心の中で整理してほしい」
菊地被告は、泣きながら何度もうなずいた。安堵の涙であり、予断や偏見なく証拠や証言を精査してくれた裁判長の言葉だからこそ、それが心に染み入っての涙でもあろう。
この判決が、彼女が社会に対する信頼を取り戻し、1人の市民として再出発するきっかけになってほしい。傍聴席には、オウムの後継団体「アレフ」の荒木浩幹部ら、オウムの関係者が傍聴に来ていた。社会が彼女を排除し、オウムにしか居場所がないという事態にならないようにと願う。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)