2014.2.17(月)
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2014年2月17日
もう戻れない地で、いつまでも期待させるほど罪なことはない・・・
記者たちの3年 故郷は遠く 避難者苦悩 東京新聞 2014年2月17日
◆福島民報 会津若松支社 柳沼郁(やぎぬまかおる)記者
東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から二年ほど過ぎたころから、取材の際に控えるようになった質問がある。「町に戻りたいですか?」
「戻りたいけど、戻れないんだよ。ばかなことを聞くな」。会津若松市の仮設住宅に暮らす大熊町の男性から罵声に近い言葉を浴びせられた。男性の自宅は福島第一原発から約三キロ。帰還困難区域内にあり、古里に帰る見通しは立たない。
後日、男性から謝罪されたが、こちらも深々と頭を下げた。避難者の間には復旧・復興が遅々として進まない現状へのいら立ちと、国や東電への怒りや不満が渦巻いている。愚問を恥じた。同時に、やり場のない怒りを抱え、苦しみながら生きている避難者の胸の内が垣間見えた。
震災と原発事故から間もない二〇一一年四月、本社報道部から会津若松支社報道部に異動した。日々の仕事に加え、会津若松市に役場機能を移した大熊町の取材が日常の一部になった。今も休日を除いてほぼ毎日、市内の仮設住宅に足を運んでいる。
本紙の企画「避難先から」「避難者の声」で取材した大熊町民ら避難者は九十五人に上る。携帯電話には五十人以上の連絡先が登録してある。借り上げ住宅で暮らす人たちとも連絡を密にするよう心掛けている。
杯を交わす間柄になった六十代の男性は「『避難者』と思われるのが怖い」と打ち明けた。飲食店でビール一杯頼んでも「賠償金で酒を飲みやがって」と見られているように感じる。「俺は原発事故に加担してしまったのか…」。原発建設の元作業員という職歴にも引け目がある。男性は仮設住宅でしか酒を飲まない。
八十五歳の女性は「もうすぐ、そちらに向かいます」と、先立たれた夫の位牌(いはい)に毎晩手を合わせている。会津で最期を迎えようと決心したという。さまざまな境遇の人たちが温暖な古里から遠く離れた雪国・会津で生と死に懸命に向き合っている。
町は「復興まちづくりビジョン」の中間報告を示した。本来の庁舎で役場機能を再開させるのは二〇一九年から二〇二三年の間で、東京五輪の開催時期と重なる。国民にとっては楽しみな六年間だが、早期帰還を望む町民には長すぎる。高齢者ならなおさらだ。
「戻りたいけど、戻れないんだよ」。大熊町の男性の言葉を思い出すたびに、地元紙の記者として何ができるのか自問自答を繰り返している。
<福島県の避難者> 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故に伴う避難者は12日現在、13万6832人。避難先は県内が8万8416人、県外が4万8364人、避難先不明が52人。震災後、役場機能を会津若松市に移した大熊町は全町民が避難生活を送っており、1月1日現在、会津若松市で2243人、いわき市で3894人が暮らしている。「帰還困難区域」の住民の割合は全町民の96%。
<写真>大熊町民が避難生活を送る会津若松市の長原仮設住宅=福島県会津若松市で