2014.2.12(水)
シェアさせていただきます。 大事なことです。
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「陸前高田被災地語り部」くぎこ屋いいね!
2014年2月11日
おはようございます! 震災から、3年が経ちました! 震災でお亡くなりになられた方々の、ご冥福をお祈りいたします!
私は、東日本大震災で、多くの物を失いました、でも、沢山の方々と知り合い、沢山の、ご支援や、メッセージ、勇気を頂きました! 本当にありがとうございます!
突然ですが、皆さんに、質問があります。
「皆さんは、いざとなった時避難するべき避難所を知っていますか!」 「その避難所が安全かどうか、考えた事が有りますか!」 「その避難所に、どういった設備が有り、どの様な備蓄があるか知っていますか!」
実は、この質問は、語り部や、講演している時に、必ずする質問です。 避難所について知っている方は、10%に、届きません! 安全かどうか、ほとんどの方々が、行政任せで、安全だと思っている! ましてや、避難所にどういった設備や、備蓄があるか、まったくといいほど知りません!これが日本の、現状です!
東日本大震災の後、東南海地震や、700兆円の被害が出る、一週間の備蓄が必要と叫ばれているのにもかかわらず、何も知らない! おかしくないですか! 「この事は、実は、皆さんが、災害に合わないと思っているからなんです」でも違います! 災害は、津波だけじゃない!台風、竜巻、ゲリラ豪雨、先日のように、大雪だってあるんです! 是非この機会に、自分の避難所を見直してみて下さい! その事が、自分の愛する人、大切な人の命を守る事になります! そしてそれが、今回無くなられた方々の、供養になると思うからです!お願いします!
今回の、東日本大震災で、私は、避難所の事を何も知らず、本当に苦労しました! そしてその避難所で、5か月も暮らす事になったのです!他人事では、ないんです!
陸前高田の避難所で、必要だった物を上げさせて頂きます。是非参考にしてみて下さい。そして自分の避難所の、運営に、生かしてください!
今回の、東日本大震災で、避難所で必要だった物
1、 飲料水備蓄、及び緊急時に使える、井戸を用意するなど 2、 食糧(備蓄食糧)(あめなどの甘いもの) 3、 外との連絡用として、衛星回線、又は、無線設備 4、 毛布などの、寝具(備蓄) 5、 電気設備(自家発電設備、太陽光発電などの、予備電源) 6、 ガソリン、灯油、プロパンガスなどの、燃料 7、 水洗トイレが、使用できなくなるため、簡易トイレ(トイレットペーパー)。 8、 照明、ロウソク、電灯などの灯(乾電池) 9、 女性用の生理用品や、下着など衣類 10、 薬(常備薬、喘息の薬、糖尿などの、インシュリン)や、医薬品(包帯、消毒薬など) 11、 食糧を配るための、器や箸、水を配るための紙コップなど。 12、 着替えの衣類(ジャージの様な物) 13、 水を節約するため、サランラップの様な物便利です 14、 高齢者向けに、メガネが必要 15、 震災後、義捐金が届いたのが、6月の下旬ですが、最低でも、2週間後には、とりあえず、10万円ぐらいの一時金が、あれば、大変良かった! 16、 避難所をどの様に、使用するか、緊急時の避難所の利用マニュアルを作っておく(利用図面)と、非常にスムーズに対応できる。 17、 避難所の組織創りのマニュアルを作る
行動で、注意したい事!
1、 冷静に、物事を進める事、 2、 パニックを起こさないようにする! 3、 火事に気お付ける。特にロウソクを使用する場合は、空き缶に入れて、火事にならないようにする 4、 地区割りをして安心感を与え、地区ごとに、助け合う 5、 避難者名簿を作り、避難者が見る事が出来る様にする 6、 弱者の方を基準にして、動く。(優先順位) 7、 女性や、子供は、グループで行動する、暗がりに行かない事。 8、 避難の出入り口は、広くする(物を置かない)。 9、 普段の、出入り口は、なるべく少なくする。(防犯のため) 10、 夜の出入り口は、一か所にして、出入りがチェク出来る様にする 11、 体を動かし、生活リズムを作る。(ラジオ体操などを行う) 12、 食糧庫にどれ位の食糧があるか、一般の方々に、見えないようにする。(不安を与えないため) 13、 インフルエンザや、ノロウイルス対策用に、隔離病棟を前もって、作る 14、 物資を配るときは、子供、高齢者、女性の方々と言う様に、弱者から配る。 15、 避難所を運営するに当たって、スローガンを掲げる、例えば、「一人は、みんなのために、皆は、一人のために」など
高田第一中学校の避難所で、やって良かった事!
1、 体育館を区割りした事(体育館を6つに仕切った事)により、スムーズに、避難者を誘導する事が出来た、そして避難者自ら、地区の方々と、助け合った(けがをした人や、高齢者、子供たちの面倒を見てくれた)。 2、 避難所本部を校舎の正面出入り口ではなく、サイドの出入り口の所に、置いた事。(これにより、不審者をチェックでき防災に、役立ったし、食糧庫の管理と見張りが出来た)。 3、 情報の共有という事で、被災者が欲しい情報の掲示板を一か所にまとめて見れるようにした! 4、 食事場所を、小中学生、幼児(赤ちゃん)、怪我をしている方々、体育館の避難者に分けて、食事をとってもらった(食糧事情が落ち着くまで) 5、 ラジオ体操を始めて、一日のリズムを作った事、特に中学生が、前に出て号令をかけながら、毎朝行ったのが良かった。(子供たちが、行うと大人もやらざるを得なかった)下ばかり向いていた方々が、明るく元気になってきた。 6、 育児用の、家族部屋を作った事。体育館の中では、赤ちゃんは、生活できない。泣くのが、仕事なので、周りに迷惑がかかるし、お母さん方が、周りに気を使う。また、子供たちが、遊びまわる事の出来る部屋を作った事(音楽室) 7、 保健室を医療室にした事(日赤医療チームが利用) 8、 隔離病棟を、設けた事。(インフルエンザA型、B型、ノロウイルス用)2階の隅の教室利用。 9、 衛星回線が、二回線利用できるようになった時、時間を2分とし、前もって、2か所の電話番号と話す内容を決めて頂き、スムーズに進むようした事と、地区ごとに、時間を決めて並んで頂いたこと。 10、 体育館の中を土足厳禁にした事。 11、 トイレの清掃や、食事の準備や、配膳を当番制にした事(地区ごと) 12、 いろいろな方々からの、ご支援や、励ましが、沢山あり、勇気ずけられた 13、 沢山の方々と、知り合う事が出来、人生観が変わった事。 14、 人間は、一人では、生きていけないという事を改めて知った事 15、 世界各国の方々から、励ましの言葉や、勇気をもらった事
悪かった事!
1、 プライバシーが、ほとんど保つことが、出来なかった。 2、 一人当たりのスペースが、ともかく狭かった、(110センチ×180センチでした) 3、 洗濯や、お風呂に入る事が、なかなか出来なかったこと 4、 食事については、野菜不足になった、最初は、温かいものが、なかなか出せませんでした。 5、 常時、マスクを付けての生活だったこと。 6、 中々、周りの事をきにして、眠る事が、出来なかった 7、 集団生活だったので、消灯時間や、起きる時間が、決められていたこと(不満に思った方々が、かなりいたと思われます)
大変長文に、なってしまいましたが、是非これからの、防災に、生かして頂ければ、ありがたいと思います!