• yanxia2008

【また あの日が やってくる 】

2013.8.4(日)

 鈴木先生、ありがとうございました。シェアさせていただきます。  一回り以上違う団塊の世代に属しますが、考えるところ花森氏と全く同じです。

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鈴木 浩

2013年8月3日 ·

 「暮らしの手帳」の創刊者、花森安治が1973年に次のような詩を「暮らしの手帳」に載せています。ものすごく長いのですが紹介させていただきます。

 終戦後、高度経済成長期を夢中で生きてきた人々、今日では団塊の世代がその中心ですが、今日の姿をみてどんな想いでいるか。

 痛恨の想いは通底しているのではないかと感じた次第。

二十八年の日日を痛恨する歌

また あの日が やってくる あの日 大日本帝国が ほろびた日 もっと正確にいうと 大日本帝国が ほろびたはずの日 いまから 二十八年まえの 昭和二十年八月十五日

もう いいかげんに 忘れてしまいたいとおもう あの日に生まれたこどもは 今年はもう二十八になっている 結婚している人も 多かろう ひょっとしたら こどもが何人もいるかもしれない 二十八年という年月は そんなにながかったのだ ぼくらが それを ついこのあいだのように 鮮やかに おぼえているだけのことだ もう 二十八年もまえの 八月十五日など 忘れたらいいのだ

あの日 ぼくらにとって たしかなことは 戦争が終った ということだけだった これで たぶん 死なないですんだ ということだった

戦争に敗けると どんな悲惨な目にあわされるか それを小さいときから 骨のずいまで たたきこまれた 降服するより 死をえらべ その言葉が哀しく 壮烈に 激しく 胸をゆさぶりつづけた そして 日本は降服した 大日本帝国は 崩壊した しかし ぼくらは 殺されはしなかった ぼくらは 奴隷にも されはしなかった 強制労働にも駈り立てられず 去勢もされなかった

ぼくらは 正直いって 拍子抜けした こんなことなら もっと早く敗けていたらよかったのにな とおもった ぼくらは 恐しさに 張りつめていた気が 一度に抜けて 茫然と ふぬけみたいになって どこでも 町角でも ビルの前でも 駅のプラットホームでも どたんと腰を下して 力のない目で うつらうつらと 世の中を見ていた ぼくらの目のまえを まるで蜃気楼のように 美しい色をしたものが 次から次へと 目まぐるしく通りすぎていった 政治犯即時釈放 共産党浮上 婦人解放 男女同権 婦人代議士 財閥解体 天皇の人間宣言 小作人に農地を解放 新しい日本国憲法 六三三制 労働基準法 独占禁止法

ニッポンコクミンハ リクカイクウグン ソノタノセンリョクハ コレヲホジシナイ シソウ オヨビ リョウシンノジユウハ コレヲオカシテハナラナイ スベテ コクミンハ ケンコウデ ブンカテキナ サイテイゲンドノセイカツヲイトナム ケンリヲ ユウスル

生き残ることができてよかった 死んだやつは ほんとうに損をしたものだ 生きていることが申しわけないみたいだ 何才まで生きられるかわからないが これからの人生は みんな附録だ 死んだとおもえば なんでもできる ぼくらは しんぞこ そうおもった ぼくらは 空腹をかかえ 疥癬になやまされ からっぽの頭のなかに バラ色の空気を いっぱいつめていた

しかし 蜃気楼は すぐに消えてしまった ほんの数年で 朝鮮戦争がはじまったからだ なにもかも ぶちこわしたままで まだ 新しい世の中が なんにもでき上らないうちに 日本は 不意に 突如として 向きをかえて走りはじめたのだ

戦争に敗けたとき ぼくらは そのさき 何年も何年もながい年月 苦しい暮しを 覚悟した ぼくらは 生きているあいだに もう二度と らくな暮しはできないかもしれないとおもった

それが 急に とんでもなく 景気がよくなってきたのだ 今夜も 明日も あさっても しばらくは 水だけで命をつながねばならない とあきらめて かたい石の床に 体をちぢめて眠ろうとした矢先に 目の前に 豪華けんらんたる食卓があらわれたのだ ぼくらは ガツガツと けもののようにむさぼりくらった あすの分も あさっての分も 食わねばならぬ とあせった これ以上食えぬほど食って 眠った 目がさめてみると また新しい料理が 山とつまれていた またガツガツと 食った

朝鮮人みんなの不幸をこやしにして 敗戦国日本の企業は 肥っていった 朝鮮戦争が やっと終ったら しばらくして ベトナム戦争がはじまった ベトナム人みんなの悲惨と困窮と歎きを 踏み台にして ふところ手をして 鼻歌をうたいながら 敗戦国日本の企業は ますます肥っていった

ぼくらは もう 死にものぐるいで もうけることに 目の色を変えて走りに走った からっぽの うつろな心のなかに もうけることだけが どろどろと 渦巻いて 噴きだしていった いま 日本で 大きな顔をしている企業は 多かれ少かれ どれも 朝鮮戦争とベトナム戦争で大きくなった みんな 大した苦労もしないで 向うからころがりこんできた注文で 肥っていった いうならば ぬれ手に粟で つかんだ繁栄だ その味を一度おぼえたら もう まっとうな商売は できなくなる

よい品を作ろうとはしないで 見せかけで売る おまけで釣る 景品で誘惑する リベートで抱きこむ すこし困ると 政府に泣きついて 補償金をもらう 見返りに献金をする

東南アジアに行きわたっている日本語が 二つある 一つはカミカゼ もう一つはセッタイ ご馳走する 女を抱かせる 金をつかませる そうして じぶんの社の製品を売りつける 品質や性能で競争するのではないのだ 買い手の暮しに ほんとうに役に立つものを作ったり売ったりしているのなら だれも エコノミック・アニマルなどと いいはしないのだ ひとの不幸をダシにして肥ってゆく ひとの弱点につけこんで売上げをのばしてゆく これでは けものといわれても 返す言葉があろうはずはない

もうけてなにがわるい という その通りだ 他人の不幸を踏み台にして肥ったりせず 人間の弱点につけこんで売上げをのばしたりもせず ぼくらの暮しに役立つ いい品だけを作ったり 売ったりしているかぎり もうけて わるいはずはない そんなふうに考えて仕事をしている会社や人間だったら 大いにもうかるのが ほんとうなのだ

しかし いま そんな会社や人間が どれだけあるというのか ひとの不幸であろうが何だろうが 利用できるものは何でも利用する ひとの暮しに役に立たなくても ひとの暮しをダメにすることがわかっていても 売れさえしたら それでいい 売れるためなら どんなことでもする そんな会社や人間ばかりだ そんな会社や人間が しかも こそこそと人目をはばかるどころか 白昼堂々と 大手をふって 天下国家を背負っているような顔をしているのだ そんな会社や そんな会社の後押しをした政府が いま 日本の繁栄を作り上げてやったのは じぶんたちだ と胸を張っているのだ あの敗戦から 奇跡的に立ち直らせたのは おれたちだ とうそぶいているのだ そうなのか ほんとにそうなのか それなら 見るがいい ぼくらの暮しを後まわしにして ぼくらの血のにじむ税金を使って そんな企業を後押ししてきた政府よ その政府と なあなあでやってきた大企業よ 見るがいい 誇らしげに 君たちが作り上げたというその世の中を 目をそむけないで はっきりと見るかいい 繁栄とは なにか ゆたかな暮しとは なにか 君らは もうけることが そうして繁栄することが ぼくらの幸せにつながる といった 君らが 禿鷹のように 他人の不幸をむさぼり食らって肥ってきたからこそ ぼくらの 暮しも それにつれてよくなってきた筈だと 君らはいった たしかに 君らがもうけたのに ぼくらの暮しがすこしもよくならなかったといえば ウソになる しかし 大企業が 千もうけたとき ぼくらがうるおったのは たったの一だ 大企業が 万もうけたとき ぼくらがうるおったのは たったの二だ 大企業が 億もうけたとき ぼくらがうるおったのは たったの三だ しかも そのたった二か三のうるおいと引きかえに ぼくらは なにを失ったか 君らは いま その目で はっきりと見るがいい

君らが狂気のように作りだす工場の煙で ぼくらの空は いつも重く曇ってよどみ 君らが平然と流しつづける廃液のために ぼくらの川と海は いつも暗く腐って流れようとはせず 君らの作ったものの出すガスのために ぼくらの木と草は 夏に枯れて 春にも花をつけない 君らのために ぼくらのまわりから 緑は失われ 君らのために ぼくらはいま ちっぽけな土地に ちっぽけな家を建てる望みさえ絶たれ 君らのために ぼくらはいま 食卓にのぼせる一尾の魚にも 毒はないかと心を痛める

しかし 口惜しいことだが こんなひどい世の中にしてしまったのは 君らだけの罪ではなかったのだ 悔んでも悔みきれないのだが 君らが 狂ってしまって 血眼になって もうけだけに走るのを だまって見ていて 止めようとしなかったぼくらも 狂っていたのだ

あの敗戦の日 二十だった人も もうすぐ五十に手がとどく あの敗戦の日 大人だったもの いま 五十をすぎたひと 六十から上のひと 七十をこえたひと ぼくらみんなが こんな世の中にしてしまったのだ ぼくらは こんな世の中にしてしまうために あの日から 二十八年も生きのびてきたのではなかった あのとき 何百万という人間が死んだ 死にたくて死んだ人間など 一人もいなかった 何百万という人間が 国のために殺されたのだ あのとき ぼくらは もうおのれの欲のために ひとの幸せをふみにじるまいとおもった あのとき ぼくらは これからさきの人生は附録だとおもった それなのに その附録の人生で ぼくらはなにをしてしまったのだろう

ぼくらは わずかな米のねだんや 雀の涙ほどの年金や ちいさな橋や ちいさな学校と引きかえに 大企業を支持する政党へ 一票を入れた ぼくらは その政党に反対する政党が じっさいには 大きな声で反対するだけで なにもできはしない裏の裏を承知で その反対党へ一票を入れた ぼくらは それだけで なんにもしなかった ぼくらは 西ドイツの繁栄ぶりがうらやましかった ぼくらは 大企業が じぶんの町や村に 工場を作ってくれたらいい とおもった ぼくらは 目のまえの 2DKや クルマやカラーテレビがほしくて 大企業のために 身を粉にして働いた ぼくらは よその大企業にまけるまいと 必死になってフラスコをふり けんび鏡を のぞいた そして ぼくらは みんな じぶんのこどものことを忘れていた こんなひどい世の中に これからもっとひどくなる世の中に 生きていかねばならない ぼくらのこどものことを そのまたこどものことを ぼくらは どうしたらよいのか のひどい世の中を 大企業と その後押しをする政府が作ってしまったのだ それを ぼくらが だまって作らせてしまったのだ

ぼくら あの日 大人だったもの ぼくら いま 五十をすぎたもの ぼくら 大企業を動かしているもの 大企業に動かされているもの 大企業の後押しをしてきたもの 大企業の後押しをさせたもの それを ぶつくさいうだけで つまりは 大企業のいうままにさせてしまったもの ぼくら みんな

ぼくらが どんなに忘れたいとおもっても忘れられない あの日が またやってくる ぼくらだけは やっぱり あの日を忘れてはいけなかったのだ 今年も また あのしらじらしい〈全国戦歿者追悼式〉が 挙行されることだろう しかし 死んでいった あの何百万という人たちに対して その死のつぐないがこのザマだと 生き残ったぼくらが はっきり言うのでなければ ありきたりの追悼の言葉など なんにもなりはしないのだ ぼくらに必要なのは あんな紋切型の追悼式ではなくて あの敗戦の日 大人だったぼくらひとりひとりの心の中の慰霊祭だ ぼくらは そのたったひとりの慰霊祭で どんなにつらくても 苦しくても 痛烈なおもいをこめて あなたがたの死によって あがなわれたのが こんな世の中だということを そして こんな世の中を作り上げたのは ぼくらだ ということを その肺腑をえぐる挽歌(かなしみうた)を 死んでいった何百万のひとのまえで はっきりとうたわねばならないのだ

ぼくらは もうずいぶんと長く生きた ぼくらは もういい ぼくらは もうどうなってもいいのではないか ぼくらは じぶんのこどものために そのまたこどものために もう一ど あの日に帰ろう もう一ど あの焼け跡に立ってみよう あのとき 工場に一すじの煙りもなく 町に一点のネオンサインもなかった あのとき ぼくらに 住む屋根はなく まとう衣はなく 口に入れる食物はなく 幼い子に与える乳もなかった ぼくらには なんの名誉もなく なんの地位もなく なんの財産もなかった ぼくらだけは 狂った繁栄とわかれて そこへ戻ろう そこから出直して ぼくらは じぶんの作った罪を じぶんの手であがなってゆこう

ぼくらが こんなにしてしまった世の中を すこしでもマシなものにして こどもたちに渡してやるために ぼくらがつけさせた工場の火を ぼくらの手で消そう ぼくらが汚れさせた川や海を ぼくらの手でさらえよう 土地のねだんを せめて十年まえにもどそう 自動車を作るのをやめよう ジェット機を飛ばすのをやめよう 新幹線を走らせるのをやめよう ぼくらの暮しをおびやかすもの ぼくらの暮しに役立たないものを それを作ってきたぼくらの手で いま それを捨てよう どんなに罵られ どんなにさげすまれても それに耐えていこう 一切の罪は ぼくらにあるのだから それ以外に ぼくらのこどもたちに すこしでもマシな世の中を渡してやるみちはない のだから

また あの日がやってくる ぼくらよ おまえの胸のなかに いま惻々と 過ぎし二十八年の日日を 痛恨もて うたい上げよ (花森 安治) 暮しの手帖 第二世紀25号(1973年8月1日発行)

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