2013.5.5(日)
埼玉の竹内さんがシェアされていましたが、高橋博之さんが、宮沢賢治と賢治の影響、インスピレーションを受け歌詞を書いたという宇多田ヒカルとの関係について投稿されていました。
たまたまきょう、賢治には「『ジャズ』夏のはなしです」(大正15年)と「岩手軽便鉄道 七月(ジャズ)」(ほぼ同じ内容だが、未完)という2つの詩があることを知りました。
日本で「ジャズ」という言葉が一般的になってきたのは昭和の初め(2〜3年)ごろになってからといわれていますので、その数年前、花巻にいたはずの賢治が、いつどこで、「ジャズ」と出会い、聴いて楽しんだのか興味が尽きません。
しかし、よくよく考えれば、賢治は童話作家であっただけでなく、音楽、絵画、演劇、天文学、生物学、地質学、宗教にも秀で、農民でもあった「知の巨人」でもありましたから、別段おかしいことではなかったのかもしれません。