• yanxia2008

【一丁目一番地はどこだ?】

2012.12.17(月)

 勉強になります、一丁目一番地。

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東京ふしぎ探検隊

銀座に1番地がない理由 東京の1丁目1番地はどこに

2012/12/7 日本経済新聞

 衆院選が公示された。選挙となるとよく耳にするのが「○○は改革の1丁目1番地」という言葉。○○は「郵政民営化」「地域主権」「脱世襲」など様々だ。この「1丁目1番地」、実際にはどんな場所なのか。訪れてみると、渋谷や新宿では駅から遠い場所にあり、銀座には存在しないことがわかった。必ずしも中心地ではない「1丁目1番地」。その理由を探った。

■政治家が好む「1丁目1番地」

 「1丁目1番地」とは何か。広辞苑など多くの辞書には記載がない。数少ない記載例が11月に発売されたばかりの小学館「大辞泉 第二版」。そこには「最初に実施すべき最重要な事柄をたとえていう。最優先課題」とある。どうやら比較的新しい言葉のようだ。

 いつごろから使い始めたのだろう。「国会会議録検索システム」で検索したところ、最初に登場したのは1985年(昭和60年)。村田敬次郎通産相(当時)が衆院予算委員会で「高度情報化社会の実現のための技術開発」を「通産省の1丁目1番地」と訴えていた。

 その後、橋本龍太郎内閣では「行政改革」、小泉純一郎内閣では「郵政民営化」、鳩山由紀夫内閣では「地域主権」など頻繁に使うようになった。

 ちなみに検索システムでヒットしたのは445件。住所として使ったものを除くと332件あった。うち239件が民主党政権になってからだった。

国会会議録検索システムは国立国会図書館がインターネットで提供している無料サービスで、1947年(昭和22年)から現在まで、本会議やすべての委員会での発言をデータベース化している。

■永田町1丁目1番は「標高の基準」

 この1丁目1番地、実際にはどんなところにあるのだろう。やはり街の中心なのか。ビジネス街や繁華街で探してみた。ちなみに1962年(昭和37年)の住居表示実施後は「1丁目1番」となっている。

 まず訪れたのは永田町。国会議事堂の向かい側(議事堂に向かって右手前)が1丁目1番だ。今は憲政記念館がある。江戸時代には大老、井伊直弼の上屋敷があった場所で、戦前は陸軍参謀本部だった。

 参謀本部の陸地測量部があった場所には現在、「日本水準原点」が置かれている。国土地理院が日本の標高の基準としている地点だ。

 本来、標高0メートルとは東京湾の平均海面を指す。それではわかりにくいので地上に基準となる地点を置き、平均海面からの高さを定めた。これが水準原点だ。東日本大震災までは24.414メートルというのが水準原点の標高だった。

 震災で永田町周辺の地盤が下がったため、国土地理院では目盛りを2.4センチずらした。地震による修正は関東大震災以来88年ぶりだという。このときは8.4センチ下がった。水準原点は現在、標高24.39メートルとなっている。日本のあらゆる標高は、ここを基準に計算している。

 国土地理院では6月3日の「測量の日」を前に年1回、一般公開していて、記者も訪れたことがある。石造りの建物の中には水晶の板があり、そこに目盛りが刻まれていた。

 永田町の次は霞が関。1丁目1番には法務省の旧本館や最高検、東京高裁があった。さすが法治国家というべきなのだろうか。江戸時代には譜代大名の屋敷が立ち並ぶ場所で、今の弁護士会館の辺りには大岡越前の上屋敷があった。

 ちなみに霞が関で最初にできた官公庁は外務省。1870年(明治3年)のことだ。霞が関1丁目1番にある法務省旧本館の赤レンガの建物は1895年(明治28年)に完成し、国の重要文化財に指定されている。

■銀座1丁目は2番から

 永田町と霞が関ではイメージ通りの1丁目1番地。繁華街ではどうだろう。銀座にやってきた。

 地下鉄有楽町線「銀座一丁目」駅で降り、1番を探した。地下鉄の出口前にある高知県のアンテナショップは3番。八重洲方面に歩いたが、どこも3番だった。

 iPhoneの地図アプリで検索すると、2番はあるようだ。それでも1番地は見当たらない。どういうことか。中央区に問い合わせた。

 「銀座に1丁目1番地はありません。1丁目だけではなく、2、3、6、7、8丁目に1番地がないんです」

 1番地がない? 理由を尋ねると、こんな答えが返ってきた。

 「実はこの辺りでは中央区と隣の千代田区との境界が画定していないのです。ちょうど東京高速道路がある場所です。もし境界が決まったらそこが1番になると考えられるので、2番から番号を振ったのです」

 区の境界についてはこの連載でも以前、「銀座にナゾの番外地 秘めた歴史に迫る」で取り上げたことがある。住所が決まっていないことが、こんなところにも影響していたとは……。

■「銀座インズ」は川だった 埋め立て後、区の境界定まらず

 中央区銀座と千代田区有楽町の境にある東京高速道路の場所にはかつて、外濠(そとぼり)川という川が流れていた。江戸時代に徳川家康が造成した人工の川だ。戦後、道路整備のために川を埋め立て、そこに高架を築いて1階を店舗とした。それが銀座インズだ。

 もとは川の真ん中が区の境だったが、埋め立てに伴い新たに境界を定める必要が生じた。その協議が今なお決着していない。

 区の境界が定まっていないのはここだけではない。東京高速の高架下はどこも同じ状況だ。宝くじで有名な西銀座チャンスセンターがある「西銀座デパート」や「銀座ファイブ」も中央区と千代田区の境界上で、「銀座ナイン」は中央区と港区との境にある。いずれも「正式な住所のない番外地」だ。

 境界が画定すれば銀座1丁目1番になりそうな場所には現在、東京高速道路の本社がある。住所は「銀座1丁目3番先」となっていた。

 ちなみに中央区によると、銀座1~8丁目には2カ所、1番地が存在している。1つは4丁目。数寄屋橋交差点の交番があるところだ。2つ目は5丁目で、こちらは泰明小学校がある。

■東京の地下鉄には「二丁目」がない

 ところで、東京の地下鉄には○丁目と名乗る駅が8カ所ある。「銀座一丁目」のほか、「青山一丁目」「六本木一丁目」「四谷三丁目」「新宿三丁目」「志村三丁目」「本郷三丁目」「西新宿五丁目」――だ。駅名はすべて奇数となっている。

 このうち、駅の住所と違うのが「本郷三丁目」と「青山一丁目」。「本郷三丁目」駅は本郷2丁目にあり、青山1丁目という住所は存在しない。なぜか。

 実は、「本郷三丁目」駅が開業した1954年(昭和29年)時点では、駅はその名と同じく3丁目にあった。それが1962年(昭和37年)の住居表示実施に伴う町名再編で2丁目になった、ということらしい。

 「青山一丁目」駅は現在、北青山1丁目と南青山1丁目の境にある。1938年(昭和13年)の開業当時は青山北町1丁目、青山南町1丁目という住所だった。ちょうど境にあるので「青山」で代表させたようだ。交差点名やかつてあった都電の停留所も「青山一丁目」だ。

 今は奇数しかない地下鉄の駅名だが、何かの験担ぎではない。かつては偶数もあった。東京高速鉄道(現・銀座線)が1938年に開業した際、「青山一丁目」のほかに「青山四丁目」「青山六丁目」という駅があった。翌1939年に「青山四丁目」駅は「外苑前」、「青山六丁目」駅は「神宮前」と改称。1972年(昭和47年)の千代田線「表参道」駅開業のときに、銀座線「神宮前」駅も「表参道」と改めた。

 ちなみに都電では現在でも偶数「丁目」の停留所がある。「荒川二丁目」「西ケ原四丁目」「東池袋四丁目」「町屋二丁目」だ。

■東京の住所、中心地は「皇居」

 では、渋谷や新宿の「1丁目1番」はどこだろう。すぐに思いつく人はかなりの「住所通」だ。

 渋谷では青山通り(国道246号)沿い、駅から向かうと「こどもの城」の手前が「1丁目1番」。JR渋谷駅から歩くと10分くらいかかる。角には「ファーストキッチン」があった。

 新宿はどうか。こちらもかなり駅から離れている。新宿御苑の大木戸門の向かいで、JR新宿駅から歩くと15分はかかる。新宿というより四谷といった方が近い。

 なぜ「1丁目1番」が、街の中心である駅からこれほど離れているのか。そこには住所を巡るある法則が潜んでいた。

 「東京都の住居表示の実施基準では、都心に近い場所を起点、つまり1丁目1番と定めています。この場合の都心とは皇居なのです」

 「住所と地名の大研究」(新潮選書)などの著書がある地図研究家の今尾恵介さんによると、町名を再編した1962年(昭和37年)の「住居表示に関する法律」が適用された場所では、この法則が当てはまるという。法則に従った結果、渋谷や新宿など皇居の西側では駅から離れたところが1丁目1番となったのだ。

 東京以外の地域ではどうなのか。各自治体ではそれぞれ「中心地」を定めていて、駅や市役所などが起点となっている。この場合は1丁目1番は感覚的にも中心といえそうだ。

 ちなみに政府が示している住居表示の実施基準では「丁目の数はおおむね4~5丁目にとどめる」となっている。東京23区で調べてみたが、赤坂などで9丁目はあるものの、10丁目はなかった。ただし全国的には10丁目以上も存在している。

 最重要の意味で使う1丁目1番地。言葉の受けとめ方は、出身地によって違うのかもしれない。(河尻定)

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