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Historical Archives

#005 「風に吹かれて」は強烈な反戦歌ではなかった?

2015.2.21

 今夜のNHKスペシャルは「新・映像の世紀第5集 若者の反乱が世界に連鎖した」。

 1960年代末、既存の政治体制にNOを突きつける若者たちの反乱が、まるで示し合わせたかのように、同時多発的に巻き起こった。西側ではベトナム戦争反対の声、東側でも自由と民主化を求める声が沸き上がった。

 番組では、ベトナム戦争、中国文化大革命、パリ5月革命、チェ・ゲバラによるキューバ革命、ドイツの若者の反乱、プラハの春など激動の60年代と、この中で沸き上がった若者たちの反乱を描く中で、ジョン・レノンやデビッド・ボウイ、ミック・ジャガー、ビートルズなどとともに、ボブ・ディランが「風に吹かれて」を歌うシーンが織り込まれていた。

 この「風に吹かれて」は、今では公民権運動などのシンボル曲、反戦曲の代表として知られているが、彼自身は必ずしも強烈な反戦・革命思想で書いたものではなさそうだ。

 当時の雰囲気を資料で当たってみると、2009年11月1日付けのThe Los Angels Timesによれば、ディランは

   I wrote 'Blowin' in the Wind' in 10 minutes, just put words to an old spiritual, probably something I learned from Carter Family records. That's the folk music tradition. You use what's been handed down.

 〜ある日の午後に10分で書いた。古い霊歌のメロディーに言葉を当てはめたんだ。多分カーター・ファミリーのレコードか何かで覚えたものだと思う。これがフォーク・ミュージックのいつものやり方だ。すでに与えられているものを使うんだ。〜

と語っている。

また、Bob Dylan Songfacts Siteによれば、

   Dylan took the song to the nightclub Gerde's Folk City in Greenwich Village, where he was due to play a set. Before playing it, he announced, "This here ain't no protest song or anything like that, 'cause I don't write no protest songs." During this first performance, Dylan couldn't read some of his own handwriting and made up some of the lyrics as he went along.

 〜その日の夕方には、彼がプレイする予定にしていたグリニッジビレッジのナイトクラブ「ガーディス・フォーク・シティ」に曲を持って駆け込んだ。演奏の前に、彼は「これはプロテスト・ソングとかではない。私はプロテスト・ソングを書いていない。」と話した。この最初のパフォーマンス中、ディランは彼自身の手書きの歌詞のいくつかを読めなかった〜

とあることからしても、そのことを裏打ちしているように思われる。

 もちろん、作成前(1962年)に、グリニッジ・ヴィレッジのコーヒーハウス「ガスライト」の向かいにあった「コモンズ」で友人たちと長時間黒人の公民権運動について討論した果てに生まれたという経緯からして、公民権運動のシンボル曲に祭り上げられても当然だとは思うのだけれど、その結論はむしろこの曲の歌詞自体にありそうだ。

 

 ♬ 男と呼ばれるためにどれほどの道を歩かねばならぬのか

  砂の上で安らげるためにどれほど鳩は飛び続けねばならぬのか

  殺戮をやめさせるためにどれほどの弾がうたれねばならぬのか

  その答えは 風に吹かれて誰にもつかめない

 

  山が海となるにはどれほど悠久の世紀が流れるのか

  ほんとに自由になれるためにどれほど人は生きねばならぬのか

  何もみてないというためにどれほど首をかしげねばならぬのか

  その答えは 風に吹かれて誰にもつかめない

 

  ほんとの空をみるためにどれほど人は見上げねばならぬのか

  他人の叫びを聞けるためにどれほど多くの耳を持たねばならぬのか

  死が無益だと知るためにどれほど多くの人が死なねばならぬのか

  その答えは 風に吹かれて誰にもつかめない

 

というように、プロテスト・ソング風の問いかけと抽象的な問いかけが交互に繰り返されたあと、「答えは風に吹かれている」というリフレインで締めくくられる曖昧さが、聴き手の自由な解釈を許し想像力をかき立てるからこそ、普遍的な、しかし新しい感覚の言葉として広く受け入れられたからということになるだろう。

 直截的な表現でないところが、天才の天才たる所以と言える。

 私はこの曲をピーター・ポール&マリーのバージョンで好きになり(PPMのほうが大ヒットした)、まだ新幹線などない時代、長時間かけてエッチラオッチラ上京し、日比谷公会堂でのPPMのステージに感動した思い出がある。

 

 さて、2010年代に「若者の反乱」はあるだろうか?

 世界的に見ても「貧困格差」が広がる中で、若者たちの声がより高く上がることを期待したい。日本では18歳選挙権が実現した。SEALDsなどの活動がそれに少しでも近づくことを期待したい。

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